疾っくに日も落ちた路上の直中で、一人怒鳴り散らしている龍麻と行き会う少し前。

『目的地』を目指しながら、醍醐と劉は、京一と龍麻の卒業後に関する話をしていた。

「何で、京一はんとアニキが、そのこと、醍醐はん等に黙ってるのか知らんさかい、わいが教えてええのか判らんけど……。……あんな。二人、真神卒業したら、中国行くんやて」

「中国? 何をしに?」

「修行の旅がしたいんやって。言い出したのは京一はんらしいんやけど、アニキも、もっと強くなりたい思うから、京一はんと一緒に行くことにした、て。で、観光やなしに中国行くにはどうしたらええかって、アニキに相談されてな。手続きとか、色々教えて欲しいとも言われて、ほんなら、わいに任しとき、になったっちゅう訳や。わい、華僑のおっちゃん等にコネあんねん。ほんで、この間、出来立てほやほやのパスポート預かって、知り合いの華僑のおっちゃんトコ訪ねて、ビザ、何とかして貰うて来たんや」

「成程。そういうことか……」

「わい、結構頑張ったんやでー? ビザのこともそうやけど、京一はんの刀とか、アニキの手甲とか、上手いこと税関通るように手配してぇなって、おっちゃん等にねだってん。……って、話、ずれてもうたな。…………で? 醍醐はん、何して、この話聞きたがったん?」

「……それがな。龍麻が言っていたんだが、この数日、京一の様子がおかしいらしいんだ」

「そうなん?」

「俺には判らなかったが、龍麻の言うことだ、正解なんだろう。それに何故か、そこまで決まっている卒業後のことを、あいつは誤摩化したし、何故あいつが誤摩化しを言うのか、龍麻も理解出来ない風だったから、あの二人……いや、京一に、何か遭ったんじゃないかと思ってな。あいつは、誰かが一人悩んでいると、水臭い、と怒るくせに、自分のことは棚に上げるから。誰にも見せぬ所で、自分だけで無理矢理、悩みを消化してしまうだろう?」

真神を卒業したら、龍麻と京一は中国に渡ると知っているのは、どうやら今の処、自分一人だけらしい、との事実に気付いて、躊躇いながらも、知り得ること全てを告白した劉に、今度は醍醐が、懸念を語った。

「あー……。確かに京一はん、そういうトコあるわ。……京一はん、ああいうお人やから? 一寸やそっとのことなら、放っといても平気やろうし、下手にちょっかい出さん方がええんやろうけど、アニキ絡みのことやと、ちいっと、人が変わることもあるさかいな。馬鹿なことも、考えがちみたいやし」

「俺も、そう思う。今のあいつの一番の欠点は、龍麻のことになると、真っ先に自分を切り捨てる所だな。それを、龍麻がどう思うかも忘れて」

「…………ほんまにアニキは、京一はんに愛されとるなー」

「あ、愛され……?」

「別に、変な意味やないで? 恋愛やのうて、友愛っちゅー奴や。京一はんとアニキのそれは、えろう濃いから、誤解されてもしゃーないやろうけど」

醍醐が告げた懸念に、うんうん、と劉は深く頷き同意を示して、「愛やな、愛」と、傍らの彼の目が点になるような一言を洩らしつつ、足を進め。

ビキリと思考が停止し兼ねない例えを持ち出された醍醐は、ハハ……と乾いた笑いを浮かべ。

「ん? そこにいるのは、龍麻か? どうしたんだ、怒鳴り散らしたりして」

移ろわせた視線の先に、彼は、道の直中にて叫んでいる龍麻を見付けた。

「アニキやないか。何ぞ、遭ったんか?」

一拍程置いて、劉も又、龍麻の姿に気付き。

のほほんと、二人は彼へと近付いたが。

「醍醐っ。劉っ。手伝ってっ! 一緒に、京一の馬鹿探してっっ!」

「は? 京一はん? 京一はんが、どうかしたんか? 道の真ん中で、けったいな声上げなならんようなことでも?」

「まあ、落ち着け、龍麻……」

怒髪天を衝く形相で振り返り、手伝え! と雄叫びを上げた龍麻の勢いに、思わず及び腰になり、一先ずはと、彼等は彼を宥めに掛かった。

「どうしたもこうしたも……っ。物凄ーーーーーー……く勝手なことを、物凄ーーーーーー……く勝手な言い種で垂れて、なのに俺の言い分なんか聞きもしないで、とっとと逃亡したんだ、あのド阿呆っ! 許さない、絶対っ! 頭深々と下げて、御免なさいって言うまで、絶対に許してやらないっ! そういう訳だからっ。あの馬鹿、一緒に探してっっ!!」

しかし、本当に本当に、怒り狂っているらしい龍麻は、二人掛かりの宥めを吹き飛ばし、京一を見失った路地の奥へと、さっさと駆け出してしまう。

「うわぁー……。アニキ、めっちゃ怒っとる。何やらかしたんやろか、京一はん…………」

「さあなあ……。俺には見当も付かん。……が、今の龍麻に、落ち着けと言っても無理だな……。……仕方無い、追い掛けるぞ、劉」

「……そやな。あんなアニキ、一人にしとけんわ」

龍麻の見せる剣幕に呆気に取られたものの、放っておく訳にはいかないと、二人は、龍麻を怒り狂わせた『犯人』を内心で呪いながら、慌てて後を追った。

馬鹿正直に自宅に戻ったら、追い掛けて来た龍麻に捕まって、何や彼や、問い詰められるかも知れない、と考え、龍麻曰くの『逃亡』を謀った京一は、西新宿を離れ、新宿駅前の喧噪を抜け、歌舞伎町の裏路地に紛れた。

幾ら何でも、こんな所までは追い掛けて来ないだろうと思えたし、不夜城・新宿の『最たる不夜城』は、今の彼のような者が朝まで彷徨うろついていても、咎める処か、黙って覆い隠してくれるから。

「もう少し……せめて、卒業式の日まで、ひーちゃんを誤摩化し続けた方が、良かったのかも知んねえよなあ……」

──歌舞伎町で一番の大通りをコマ劇目指して進み、途中、細い路地を区役所方面に折れて暫く行くと、間違っても未成年は近付かぬ方が良い、胡散臭い風俗店が林立する一角に出る。

そしてその一角の、その又一角には、果たしてこれを、公園と言っても良いのだろうか、と悩める程、小さな『公園』がある。

そんな『公園』の片隅の、低いブロック塀に腰下ろして、京一は、そこが公園であることを細やかに主張する、細い木々の枝葉の向こう側に見える、星も瞬かぬ夜空を見上げた。

……もうそろそろ、覚悟を決めなければとか、いい加減、『限界』だとか。

そんなことを思って、今夜、中国へは一人で行くと、彼は龍麻に告げたけれど。

卒業ギリギリまで、それを隠し通しておこうかとも考えていた。

ひょっとしたら龍麻は、日本に残れとの『説得』を、聞き入れないかも知れない。だったら、卒業の日にそれを告げ、誰にも何も教えず、一人、海の向こうに渡ってしまった方が、と。

でもそれは、大切な親友に対して、騙し討ちに騙し討ちを重ねるに等しいことのように感じられたし、出来るだけ早く己が胸の内を告げて、卒業後の進路をどうするか考える時間を、少しでも多く、龍麻が得られるようにしたかったから。

思い立ったが吉日と、京一は、今宵を選んだ。

「いきなり、中国行くのは止めろ、なんて言われたって、ひーちゃんだって戸惑うかも知んねえし。卒業したらどうするか、決めなきゃなんねえし。……うん。これで良かった……んだよな、多分……。兎や角言われっかも知んねえけど、ひーちゃんならきっと、判ってくれるさ。この街に残った方が、ひーちゃんは幸せなんだから……」

………………今、尚。

本当にこれで良かったのか、京一には判断が付かなかったけれど。

少なくとも、己と共に中国へ渡る道を親友に選ばせるよりは、遥かにマシな結果になった筈だと、彼は己に言い聞かせ。

肩に担いでいた竹刀袋を胸に抱き直しながら、薄いブロック塀の上で膝を抱えた。