駆け抜けた裏路地が導いた、胡散臭い風俗街の一角の、小さな小さな公園に、『逃亡犯』の姿を龍麻は見付けた。

見慣れ過ぎた竹刀袋を胸に抱き、膝を抱えている、丸められた背中がそこにあった。

なのに、その背を目にした途端、ぴたりと彼は足を止め、先程のように、俯いてしまう。

「アニキ? どないしたんや? 京一はん、見付かったやんか」

「あそこにいるのは京一だろう? 詫びを入れさせるんじゃなかったのか? 御免なさいと頭を下げるまで、絶対に許さないのだろう?」

「……そうなんだけど…………。でも、京一があんなこと言い出したのは、もう、俺なんかどうでも良くなったからじゃないかな、って…………」

これまでの勢いは何処へやら、急に、萎れた風情となった彼を、やっと追い掛けっこも終わりだと、安堵を浮かべていた劉と醍醐は訝しみ、ほら、と背中を押したのに、耳を疑うようなことを、龍麻が言い出したので。

「…………京一が? お前を? どうでもいい……?」

「……アニキ。お日さんが西から昇っても、それは有り得んと思うで?」

きょとん、と二人は、目を瞬かせた。

「けど、さ……。でなきゃ、急に、中国には一人で行く、だなんて、言い出さないと思うし……」

一体この彼は、何を言い出したのだろうと、深く首を傾げるしかなかった醍醐と劉に、龍麻はボソボソと告げ。

「京一はん…………」

「あの、馬鹿……」

「……そやけど、アニキもアニキや」

「その通りだな……」

漸く、今宵の騒動の正体が見えて来たと、がくり、二人は項垂れた。

「…………ひーちゃん……?」

──と、小さな小さな公園の入口で、細やかなやり取りを交わしていた三人に気付いた京一が立ち上がり、街灯の明かりが薄くしか届かぬ細い木々の下ですら、あからさまに、拙い、と言った表情を拵え、又、『逃亡犯』と化しそうな雰囲気を漂わせたのが判ったから。

「京一。いい加減にしないか」

「そうやで。もっぺん逃げ出したら、わいも醍醐はんも許さへんで?」

片手を広げ、醍醐は京一の行く手を塞ぎ、劉は、ガシッと龍麻の腕を取って引き摺りながら、公園の中に踏み込んだ。

「……お前等…………。チッ、余計なことしやがって」

「余計なことて、何やねん。そないな言い方は良くないで、京一はんっ。──ほれ、アニキ。言いたいこと言うんやろ? こないなこと言うお人には、一回ガツンと、きつく言ったらなあかんっ!」

「京一。全部の事情は知らんが、今の処、全面的にお前が悪い」

龍麻を引き摺り立ちはだかった劉と、己の肩を強く掴んで離さぬ醍醐の二人を見比べ、俯いたままの龍麻からは目を逸らし、腹立たし気に言い捨てた京一に、劉はキレ掛け、醍醐は、問答無用と、ボカリ、彼の頭を拳骨で殴った。

「……殴んな。…………判ってる。逃げるような真似したのも、さっきの言い種も、悪りぃと思ってる。それに関しては、謝る。……悪かったな、二人共」

「随分、殊勝だな。珍しい。……だが、良いことだ」

「判ってくれれば、わいはそれでええよ。後は、京一はんとアニキの問題やしな。……ホンマにもう、あんま、やきもきさせんでくれへん? わいも醍醐はんも、そん都度、冷や汗掻くわ」

友の一人に噛み付かれ、もう一人の友に殴られ、僅か天を仰ぎつつ、意外にもあっさり、京一は己が非を認め、故に、友人二名はホッと胸撫で下ろしながら、再度、龍麻の背を押した。

「…………京一」

「…………おう」

「あの、さ……」

「…………何だよ」

「あの…………何で、あんなこと言い出したのかな、って思って……」

「……理由は、さっき言った。その方が、お前の為だと思うからだ」

「…………本当に?」

「本当に」

「それだけが、理由?」

「それだけが、理由だ」

「本当は、俺の為、なんじゃなくって。俺の所為、なんじゃ? 京一はもう、俺のことなんか、どうでも良くなっちゃったんじゃないの……?」

「……一寸待て。俺が言ったことの、何処をどう曲解したら、そーゆー結論になるんだよ」

一、二歩引いた所で、自分達の様子を黙って窺っている醍醐と劉の視線に晒される中、背を押されるに任せ、京一へと近寄った龍麻は、ひたすら俯いたまま、京一は京一で、龍麻から視線を逸らし続けたまま、互い、辿々しいやり取りを交わし、思い切ったように、龍麻が、「自分のことなど、どうでも良くなってしまったのではないか」と言い切った時、やっと、唖然とした顔となった京一は、龍麻に眼差しを向けた。

「…………だって、そうとしか、俺には思えなかったから……」

しかし、彼の瞳が漸く己へと戻って来たことに気付かず、龍麻は、街灯が薄くだけ届く公園の片隅の地面を、ひたすらに見詰め続けた。

微動だにもせず。そこしか、見詰める先はないのだとでも言う風に。

街灯は本当に薄過ぎ、不夜城を不夜城足らしめている極彩色のネオンの渦は、彼等の頭上の梢の、その又上を通り過ぎてしまうから、何も見えはしないのに。

「だから。待て。一寸待てって。…………ひーちゃん? ホントに、何がどうしてどうなれば、そういう結論に辿り着けるんだ? 俺にゃ、理解出来ねえぞ……? 俺は唯、お前のことを慕ってる奴等や、必要としてる奴等のいる新宿で、恙無く暮した方が、中国行くより、よっぽどお前の為になる、って言っただけじゃんかよ」

だから、益々京一は慌て、ガシッと両手で龍麻の肩を掴み、少し強めに揺すぶった。

「…………それが、嘘なんじゃ? って、俺は言ってる……っ」

そうされて、仕方無く龍麻は、地面に落としていた視線を何とか持ち上げたが、眼差しは、唯でさえ長過ぎる前髪と、伏せがちな睫毛に覆われて、上手く京一までは届かず。

「………………………………何で俺が、ひーちゃんに嘘吐かなきゃなんねぇんだよ……。あーもー、そっぽ向いてんじゃねえ! こっち見ろって、ひーちゃん。……ひーちゃんっ。龍麻っ!」

思わず、己の置かれた立場や、そもそもの事の発端を、すっぽり頭から飛ばして、京一は声を荒げた。