──1999年 03月──

一九九九年 三月上旬。

桜ではなく、梅の花が盛りの、よく晴れ渡ったその日。

新宿区の、真神学園高等学校では、平成十年度の卒業式が執り行われた。

卒業式の式次第、全てが終わり、講堂より退場し、式で受け取った卒業証書の入った黒い筒を片手に、一人、体育館裏に向かった龍麻は、桜の古木を見上げていた。

約一年前のあの日、京一が『降って来た』、あの桜を。

「んー……。流石に、幾ら京一の氣が、猛烈なまでに陽でも、三月の頭に桜の花咲かせられる程、驚異的じゃないかー……」

蕾み、と言うのも躊躇ってしまう程、固くて青い桜の枝先を眺め、残念そうに、彼は呟く。

「……今日、見事に『満開』なのは、お前だけだね」

桜から視線を外し、胸許に飾られた、卒業生であることを示す造花を見下ろして、龍麻は、淋しそうに笑った。

「…………緋勇」

「あ、犬神先生…………」

出来れば在校生である内に、この桜の花が見たかった、と、叶わぬと判っていた願いが、やはり叶わなかったことを嘆いていた彼を、何時の間にやらやって来た犬神が呼んで、呼ばれた彼は、振り返る。

「卒業出来て、良かったな。……と、一応は言っておこうか」

「あはー。……有り難うございます。お陰様で、無事に卒業出来ました」

「蓬莱寺の奴も、卒業出来たようだしな。『問題児』二人、とっとと追い出すことが出来て、漸く、肩が軽くなった」

体毎、自分へと向き直った龍麻へ、教員らしからぬ祝いの言葉を告げると、唇の端に銜えたクシャクシャの煙草に犬神は火を点けて、嫌味ったらしく笑った。

「…………淋しいですか? 『問題児』が卒業するのは」

「肩が軽くなった、と言った筈だぞ。お前達五人は……特に、お前と蓬莱寺は、色んな意味で、俺の手を煩わせてくれたからな」

「でも、煩ってくれたんですよね、色々と」

しかし、めげることなく龍麻は言い返し。

「……仕方無い。俺はお前達の、学年主任だったからな」

犬神は、肩を竦めた。

「それだけが、理由じゃないですよね。…………京一から、聞きました。先生が、龍命の塔のことや、他にも色々、知ってたこと。……犬神先生? 先生は……──

──俺は、唯の、しょぼくれた中年生物教師だ。それ以上でも、それ以下でもない。……………………緋勇」

「はい」

「ここを卒業して、お前がどうするのか、何処に行くのか、俺は知らん。兎や角言うつもりもない。お前以外の誰のモノでもない、お前の人生だ、お前の好きにするといい。…………だがな、緋勇」

「…………はい」

「折角の人生だ。長くて短い、『人の世』での人生だ。何処に行って、誰と、どんな風に過ごすにせよ。どんな路を選ぶにせよ。……幸せになれ。例えお前が、黄龍の器でも。黄龍に等しくても。………………幸せになれ」

「先生…………」

「道連れが『あれ』では、苦労するのが目に見えるがな。……『問題児』二人して、世間に迷惑を掛けるんじゃないぞ。──じゃあな」

──気のない素振りばかりを取りつつ、龍麻の、物言いた気な態度を無視し、問い掛けも、途中で遮り。

自分は、唯のしょぼくれた中年生物教師だと言い張った犬神は、言いたいことだけを言い切り、くるり、龍麻に背を向けた。

「………………先生も、お元気で」

もう、話すことは何も無いと言う風に去って行く背へ、龍麻はそれだけを告げ、ぺこり、頭を下げた。

──正体不明な、しょぼくれた中年生物教師は、結局最後まで、自分達には正体を明かさなかったけれど。

彼は彼なりに、自分達のことを見守ってくれていたのかも知れない、もしかしたら、自分達の知らない何処かで、手も貸してくれていたのかも知れない、と。

彼は、目を細め、校舎の方へと去って行く犬神を見送った。

「小蒔、ひーちゃん何処行ったか知らねえ?」

「京一、葵、何処行っちゃったか知らない?」

──龍麻が、体育館裏で、犬神と言葉を交わしていた頃。

三年C組の廊下前で、ばったり行き会った京一と小蒔は、それぞれの尋ね人の行方を問い合っていた。

部長だったくせに、幽霊部員の如き京一だったが、それでも、剣の腕前の所為か、人柄の所為か、剣道部の者達にもとても慕われており、卒業式が終わった直後、名残りを惜しむ後輩達や仲間に捕まった彼は、中々解放して貰えず。

名実共に、立派な女子弓道部長だった小蒔も、式が終わって直ぐ、部の者達に囲まれて。

やっと、お役御免となった二人は、逸れてしまったそれぞれの親友を探しつつ校内を彷徨っていた。

「ひーちゃん? ……あー、そう言えば、体育館の方に行くの、見掛けたよーな…………」

「体育館? お、あそこか。サンキュー、小蒔!」

「って、京一、ボクの質問に答えてないじゃないかっ! 葵、何処行っちゃったのさーーっ!」

「美里なら、生徒会室じゃねえの?」

「あ、そうか! 行って来る!」

行き会い、二言、三言、言葉を交わし、京一は体育館裏目指して、小蒔は生徒会室目指して、再び廊下を駆け出し。

「京一君……?」

「……美里? 何やってんだよ、んなトコで。小蒔の奴が探してたぜ?」

──もう直ぐそこに、目指す体育館裏が、という所まで辿り着いた時。

京一は、物陰に一人、ひっそりと佇む葵を見掛け、その足を止めた。