「ひーちゃん」

京一的には『嫌味』とも受け取れてしまう、葵の『立ち話』に付き合った後。

辿り着いた体育館裏の、桜の古木立つ一角に、思った通り、一人佇んでいた龍麻に、京一は声を掛けた。

「……あ、京一」

「こんな所にいたのかよ。探したぜ?」

「御免。一寸、感慨に一人耽ってたって奴。……どうしても、ここに来たかったんだ。在校生の内にね。本当は、満開になったこの桜の木が見たかったんだけど……」

掛けられた親友の声に、肩越しに振り返った龍麻は、にこっと笑って、青い蕾だけの桜を、再び見上げた。

「ここに? どうして?」

「…………ここはさ。あの時、京一と、京一の氣が、俺目掛けて『降って来た』場所だから。初めて、京一と背中合わせで戦った場所だから。想い出の場所なんだ」

──去年四月の、あの日、あの時。

龍麻が、ここ、真神学園へと転校して来た日。

この場所で起こった出来事を、遠くを見詰める眼差しをしながら、嬉しそうに、彼は、思い出している風だった。

「そっか………………」

だから、京一も龍麻に倣い、古木を見上げ。

「…………よっ、と」

小脇に抱えていた卒業証書入りの筒を、樹の根元へ放り投げると、相変らず担いでいる紫の竹刀袋をズボンのベルトに差し、木登りを始める。

「京一?」

「登って来いよ、ひーちゃん。木登りくらい、出来んだろ?」

「当然」

唐突に、そんなことをし始めた彼を、きょとん、と見遣って来る龍麻へ右手を差し出し、枝の上へと引き上げて。

龍麻と二人、そこへ腰掛け京一は、景色を瞳の中に収めた。

「……ここから見る景色が、この学園の中では一番好きだった。この場所が、俺の一等だった。お前に出逢うまで、好きなのに嫌いになりそうだった桜の花に埋もれて、見果てぬ夢を見るのが、俺の『癖』になってた」

「…………夢?」

「ああ。『運命の出逢い』の夢。お前に出逢うまでは、唯の、見果てぬ夢だった夢。……一年前までは、本当に唯の見果てぬ夢だったけど。今は違う。『それ』は叶って、夢なんかじゃなくなった。出逢えたお前と、これから先も、肩並べて歩いて行けるんだからな。天下無双の剣を持つ為に。誰よりも強くなって、誰よりも、何よりも大事な奴を護り抜ける男になれるように。…………だから俺は、『この場所』も、卒業だ」

「…………そっか。なら俺も、『この場所』を、今日限りで、『きちんと想い出』にしなくちゃ。……俺だって。強くなって……武道だけじゃなくて色んな意味で強くなって、誰よりも、何よりも大事な奴を護り通せる奴になれるように、これから先、京一と一緒に歩いて行けるんだから」

「……ひーちゃん──龍麻。俺は、お前となら、何だって出来る気がする。お前と一緒なら、どんなことだって。………………俺達は、未だ、高校卒業したばっかのガキだけど。唯の、ガキでしかないけど。それでも、俺とお前の二人なら。………………これからも、宜しくな」

「こっちこそ。宜しく、京一。…………でも。負けないからな」

「俺だって、負けねえよ。お前に負けるのだけは、我慢ならねえ」

肩口を触れ合わせながら狭いそこに座って眺める、大好きだった風景を、同じように瞳に収めている龍麻へ、京一が告げれば。

同じだけの『モノ』を、龍麻も京一へ返した。

「……なあ、ひーちゃん?」

それが、どうしようもなく嬉しくて。

とても、嬉しくなって。

未だ未だ固く青い、桜の蕾の一つに、京一は手を伸ばす。

「ん?」

「中国にも、桜ってあんのか?」

「……あるんじゃないかな。ソメイヨシノじゃないと思うけど。日本で桜が満開になる頃、咲くとも限らないけど」

「そっかあ…………。じゃあ、上手くすれば、中国でも桜が見られっかも知んねえな。でも……『この』桜がいいよな、やっぱり。────ひーちゃん?」

「今度は、何?」

「……………………ほら。上手くいった」

「え……? ………………あ」

伸ばした指先に触れた蕾を、掌に握り込み、少しの間、暖める風にして、京一は、そっと、折った指を開いた。

思惑通りに出来た、と綻んだ彼の面のように、そこには、一瞬前までは固いだけの青い蕾だった、けれど今は、季節外れに咲いている、淡い、薄紅色した花があって。

龍麻は、目を見開く。

「……京一ってさ」

「ん?」

「変なトコ、変に器用だよね………………」

「……それが、感想か……?」

「うん」

「お前なー…………」

「冗談だってば。……ま、結構本気の感想だったけど。………………京一」

「…………何だよ」

「何時か……何時か…………高校生だった頃の俺達よりも、少しは強くなれたって、誰にも胸張れるようになったら、二人で、この樹の桜、見に来よう。満開になる頃に」

「そうだな。そういうのも、いいな。何年掛かるか、判らねえけど」

ぱちくりと目を見開いたまま、伸ばした人差し指の先で、薄紅色の花びらを、つん、と突き、京一の肩を落とさせるような感想は述べたものの、ふわっと微笑みつつ、『遠い未来』の約束を交わそうと、龍麻が言うから。

己の陽の氣で、一輪のみ咲かせた蕾の繋がる枝を、ピン、と京一は弾きながら答えた。

…………真夏の太陽の如くな、暖かくて、熱くて、時折『痛い』氣を放つ彼の手から解放された枝は、ぷる……と幾度か揺れ。

一輪だけの花を散らし。

京一と龍麻、二人の頭上に、薄紅色を、一枚ずつ降らせた。