──京梧──

茶屋のお花が噂していた通り、江戸は、『鬼』の化けの皮を被った連中が跋扈していた。

そんな連中が引き起こした騒ぎの所為で、江戸に着いたばかりの夜、俺達は、飯も碌に食わねぇ内から、龍閃組って名の、公儀隠密にさせられちまった。

そんな者になるつもりなんざ、俺にはこれっぽっちもなかったってのに。

……だからまあ、お陰さんで、俺の江戸の町の『始まり』は、最悪、と言えるものに近かった。

時諏佐百合──百合ちゃんの挑発めいた物言いにうっかり乗って、聞いちまったら最後の話に耳貸した俺にも非はあったから、龍閃組の一員に、との成り行きに、一応の諦めは付いた。

家を飛び出してからそれまで、碌でもない生き方ばかりしてきた俺にも外道を憎む気持ちはあったから、江戸の町を脅かす連中を放っちゃおけねぇ、って百合ちゃんの志は解らなくもなかった。

だが、連中──鬼道衆と名乗ってるあの連中も、『鬼』でなく人で、そのやり口は兎も角、奴等が目指してる所は、京の方で蠢いてる薩摩や長州の奴等と大差ないように思えたし、薩長の連中を粛正して歩く新撰組の真似事なんざしたくねぇ、ってのが、その頃の俺の本心の一つだったから。単に強い奴を求めて江戸に足を向けただけなのに、何で俺が公儀隠密なんぞに、ってな愚痴は、どうしても胸の内から消せなかった。

巡り逢った、滅茶苦茶に強かった龍斗と二人、道場破りでもしながら、江戸での日々を過ごして行ければそれでいいのに、と言いたかった。

……が、まあ、そんな訳にもいかなくなっちまって。

ご丁寧に首に鈴をくっ付けられた公儀の狗ねぇ……、と思いながら、日々を始めた。

────江戸の町で関わりを持った奴等は皆、悪い連中じゃなかった。

否、寧ろ、えにしを持ったことを自慢出来るような奴等だった。

とは言え、美里はどうにも生真面目で、何事も思い詰めるような質だったし、雄慶は、仏の道がどうの、人の道がどうの、死後の世が、霊魂が、と年中うるさくて、挙げ句に鼾が酷かったし、小鈴はキャンキャン吠えながら小言ばかり言いやがるし、いい女だな、と思ってた百合ちゃんは、事、手習いに関しちゃ容赦無かったし、瓦版屋の杏香は俺に言わせりゃ無茶苦茶な女だったし、百合ちゃんの知り合いらしい犬神とか言う奴は、どうにも得体の知れない鼻に突く野郎だったし、火付盗賊改方の御厨の旦那は、公儀隠密って立場故に胡散臭いこともしなけりゃならなかった俺達に、早速目を付けたようだったし、雄慶の野郎の師匠で百合ちゃんの更に『上』らしい円空のジジイは食えない坊主で。

正直な処を打ち明けちまえば、始めの頃は、ほんの少しだけ、どいつもこいつも鬱陶しい、と思ったりもしたんだが、段々、そんな仲間達と送る騒がしい毎日にも慣れ始めて。

始まりは、「最悪だ……」と思えた立場も生活も毎日も、何時しか、そう悪いもんじゃねぇな、と感じるようになった。

誰も彼も、良い奴ではあったし。

不謹慎だとは思うが、刀も『力』も、存分に振るえたし。

『毎日』の中に、『毎日』を送る俺の傍らに、常に龍斗がいたから。

立場も生活も日々も。

悪くはなかった。

あの茶屋で、ちょいと毛色の変わった男だな……、と感じた通り、龍斗は、本当に変わった奴だった。

ちょいと毛色が……、なんてもんじゃ済まなかった。

何時でも何処でも、出来の良過ぎるツラに春風みたいな笑みを湛えてる男、とでも例えてやれば聴こえはいいんだろうが。

有り体に言えば、何時でも大抵ボーーーーーー……っとしている、他人の話を、右の耳で拾った傍から左の耳で零しちまうような奴だった。

過ぎる程腕は立つのに、龍斗の中身は、まるで子供みたいだった。

龍閃組の者として、の話をしている最中も、俺達がしている話を上手く拾えてねぇ様子で、困ったような、どうしたらいいのか判らねぇような、そんな顔ばかり拵えてて。

話し合いが終わる度、置いてけぼりを喰らったような、何処となく寂しそうなツラしながら、そろっと俺の着物の裾を引きつつ、嘘か真か判らねぇ言い訳と共に、「何がどうなったのか教えて欲しい」と求めてきた。

……だから、始めの内は心底呆れたりもしたが、あいつのそんな質にもいい加減慣れて、何時しか、あいつが聞き漏らしたこと全て、俺が改めて語り直してやるのが常になった。

仲間達の話を聞こう、話に加わろう、と努めてるのは判ったし、その努めが上手くいってねぇだけだ、ってのも判ったから、気が付いた時にはあいつへの呆れも文句も俺の中から綺麗さっぱり消えてて、逆に、そんなあいつの面倒くらい、俺が見てやらなけりゃ、と感じるようにもなって。

庇護が過ぎるにも程がある、せっかちで出しゃばりな兄のようだ、と同い年のあいつにブツブツ言われつつも、俺は、あいつの世話ばかり焼いた。

年がら年中ボーーーーー……っとしてる所為か、龍斗は、一歩町に出た途端に迷子になる、と言うのも判ったから、俺達の塒の龍泉寺に帰って来られなくなったら大事だと、あいつと町を行く時は、あいつの手首を掴んで歩くのが俺の癖になった。

そんな俺と龍斗を捕まえて、美里や小鈴達が、まるで、親鳥と雛鳥みたいだ、と笑いやがるのがちょいと癪だったけれど、あいつの手首を掴んで歩くのが癖となる程、あいつの世話ばかり焼いて歩くのは、実の処、楽しかった。

仲間達に、俺と龍斗は、やけに馬が合うようだ、ってなことを言われると、何処となく、くすぐったくて、何故か嬉しかった。柄にもなく。

それに、事、戦いとなれば、龍斗は、春風みたいな風情の全てを塗り替えて、人が変わったように戦う奴だったし、滅茶苦茶に強かったから、あいつと肩を並べて戦うのも、背中を護り合うようにしながら戦うのも、楽しくて、嬉しくて。

何処となく抜けた奴だが、相棒、と言える相手を手に入れたのかも知れない、なんてことまで俺は考えた。

────……だから。

江戸の夜に蠢く鬼道衆の連中とやり合いながらも。

哀しく痛ましい出来事とばかりぶつかりながらも。

龍斗や仲間達と送っていた、あの頃の俺の日々は。

俺には似合わぬ、平穏、と言えるものだったのかも知れない。