──京梧──

寺の裏手の縁側で、俺が一人酒を煽り始め、幾刻かが過ぎても、龍斗はずっと、俺の傍らに添っていた。

龍斗を居ない者のように扱って、酒とだけ向き合ってたってのに、あいつは何も言わず、困ったような顔しながら、餓鬼みたいに両膝を抱えて俺の傍でじっとしていた。

…………それは、酷く不器用なやり方だったんだと思う。

どうやって他人を慰めたらいいのか判らない、餓鬼のやり方だったんだと思う。

情けない様を晒してる俺なんざ、見て見ぬ振りすりゃいいのに、見ぬ振りも、放っておくことも出来ず、けれど掛ける言葉は探せなくて、一緒にいることしか思い付けない、子供と一緒の。

────巡り逢ってからその頃までに、龍斗とは何度か酌み交わしてたから、俺は、あいつが底なしに酒に強えぇのを知ってた。

俺も結構な左党だが、あいつは俺の上を行くかも知れねぇ蟒蛇うわばみで、だから、傍にいるってんなら、酒に付き合わせようか、とも思ったが。

不器用過ぎるにも程があるんじゃねぇかと、その時の俺には思えた龍斗の『やり方』が、どういう訳か安堵出来て。

何も言わず、唯、黙って傍にいてくれるのが、俺の痛む胸にゃ丁度いいと思えて。

……そう。

俺は、あの夜、黙って俺に添ってくれた龍斗に、甘えてた。

…………甘えてる。

こいつの、不器用な子供みたいな優しさに、俺は今、甘えてる。

──ってことは、過ぎる程判ってたが。

甘えてることに甘んじてたくて、随分と酷い扱いだとは思いながらも、触れる程の傍にいたあいつを延々と無き者のように扱ってたら、龍斗は何故か、ひたすら、何かを考え込むような気配を見せ始めて、何を考え込んでいやがると、黙々と呑みながらも俺は、その実、あいつのそんな様子を気にして、度々に顔色を窺った。

そうしていたら、その内に龍斗は、顔色を、どうしようもなく思い詰めてるようなそれにして、戸惑ってる風な目付きにさえなった。

…………最初の内は、あいつのそんな様子を、こいつもこいつなりに、お葉ちゃんが逝ったことを悼んでるんだろう、と俺は受け止めた。

が、やがて、「どうも、そういうんでもない」と、何となく感じた。

そう感じたのは唯の俺の勘って奴だが、単に、顔馴染みが逝っちまったことを受けて沈み込んでる、って訳じゃないのは間違いなさそうだった。

────本当に、掛け値なしに、緋勇龍斗って男は、年がら年中ボーーーっとしてる、春風の化身みたいな『おっとり野郎』だが、だからって、大人しい訳じゃない。

少なくとも俺の前では、言いたいことははっきり言うし、割合に、選ぶ言葉に容赦はない。

誰かに、気に入らないことを言われたりされたり、許せないことを言われたりされたりすれば、まるっきり人が変わっちまったように怒り出すこともあるし、そうなったら最後、存分に手も足も出る。

ひと度、立ち合いだの戦いだの死合いだのになれば、それこそ、別人の如くしゃっきりして、べらぼうに強えぇ武人、って顔だけを見せる。

……そう、だから。

おっとり野郎なあいつも、唯、おっとりしてるだけの奴じゃねぇから。

もしも龍斗が、お葉ちゃんが逝ったことだけを考えてるんなら、どうしようもなく思い詰めてる風なツラ拵える前に、自分達なりに、お葉ちゃんの弔いをしようとか何とか言い出すだろう、と俺には思えた。

けれど、龍斗の奴は何も言わず、ツラに浮かんだ皺だけを深めていったから。

次に俺は、俺に付き合うことにしたはいいが、いい加減、黙りばかりが続く『今』を何とかしようと考え出したんじゃねぇか、と思った。

……が、そんな見立ても、どうにも見当違いな気がして。

やがて、俺の考えは、「こいつは本当に、俺だけに気を遣ってるんじゃねぇか」って処に落ち着いた。

俺が言うのも何だが、「何もそこまで」と言いたくなる程、俺だけに気を遣ってるんじゃねぇか、って。

そんな見当も、何となし見立て違いな気はしたが、それ以上の訳を、その時の俺には思い付けず、それを、龍斗が見せた風情の、一応の決着とした。

そうしてみれば、龍斗の思い詰めてるようなツラなり態度なりを気にするのは止められたが。

ちらちら、龍斗にはバレねぇように顔色を窺って、態度を気にして、としてた所為だろう、何時しか俺は、お葉ちゃんが逝ったことや、桔梗達のことでなく、龍斗に絡むことばかりを考え始めていた。

──あの吉原での出来事が、それなりに俺にも堪えたんだろう、そんな覚えは俺自身にもあるが。だからって、こうして誰かが──龍斗が、黙って添ってくれてるってのに甘んじちまう程には堪えてねぇ筈なんだが、どうして俺の『今』は『こう』なんだろう、とか。

そう言った類いのことを。

…………十七だったか、十六だったか、もう、俺自身にも定かじゃねぇ『昔』、家を飛び出して、郷里を飛び出して、親兄弟にも、それまでの友にも背を向けて、天下無双の『剣』と共に、剣の道の頂に辿り着く為と、浪々に足踏み入れてから、こっち。

ずっと。

俺は、本当の意で、独りだった。

そりゃ、関わりを持った奴、縁を持った女、そう言った連中がいなかった訳じゃねぇが、関わりも、縁も、その場限りだった。

流離さすらいってのを始めてから、ずっと、俺の傍らには誰もいなかったし、誰かを傍らに置こうとも思わなかったし、誰かに甘えよう、誰かに甘えることに甘んじよう、なんて、到底思えなかった。

行きずりの商売女の肌に甘えることはあっても、女そのものに甘えることはなかった。

なのに、俺は何故、今。

不器用な子供と一緒の優しさをくれる龍斗に、こうも甘えているんだろう、と。

龍斗に甘えることに、何故、甘んじているのだろう、と。

つらつら、つらつら、考えて。考え続けて。

やがて、俺は。

………………ああ、俺は、龍斗が俺に優しさをくれるのを、心の何処かで望んでいたのかも知れない。

龍斗が黙って傍らに添ってくれるのも、心の何処かで望んでいたのかも知れない。

俺は、龍斗の『優しさ』が欲しかったのかも知れない。

龍斗を、俺の傍らに添わせておきたかったのかも知れない。

………………そう気が付いた。

どうして、龍斗の『優しさ』が欲しいと望んだのか、龍斗を傍らに添わせておきたいと望んだのか、その訳にまでは思い至れなかったけれど。

「…………なあ、龍斗」

──今、俺が龍斗に甘えている理由わけ

龍斗に甘えていることに甘んじている理由わけ

それに、朧げなれど思い当たった、そろそろ夜が明ける、と言う頃。

俺は、手の中の杯を見下ろすのを止め、龍斗の横顔を眺めながら、奴を呼んだ。

「何だ?」

前触れもなしに呼び付けた刹那、龍斗は、少しばかり驚いた風に、微か、ビクリと肩震わせて、が、精一杯、気のない風を装いつつ応えてきた。

「ありがとよ」

「……? 何が?」

「付き合ってくれて」

「別に、そういう訳では。唯、今夜のことで、酷く何かを思わされた様子だったお前を、一人にしておくのは、と思っただけだ」

「それを、付き合うってんだよ、世の中じゃ。……だから、ありがとよ」

「……どう致しまして、と言った方が良いのだろうか」

「好きにしな」

…………『本当の訳』は、俺自身にも判らなかったけれど。

甘えさせてくれた、甘えることに甘んじさせてくれた、傍らに添ってくれた、そして、付き合ってくれたことへの礼を告げれば、あいつは、そっ……とだけ嬉しそうに笑んで、でも、どうして俺が礼を言ったのか、さっぱり思い当たれてねぇのがありありと判る声で呟いたから。

訳もなく可笑しくなっちまって、俺は、声立てて笑いながら龍斗の肩を抱いた。

「もう、夜が明ける。今夜のことを振り切れたなら、少し寝たらどうなのだ? 私も、少し休む」

と、伸ばした俺の腕を擦り抜け、あいつは立ち上がり、背を向け、慌てた風に去って行った。

「……何だ? 照れてんのか? 何を照れんだ?」

足早に去っちまった奴の背へ、俺は独り言とも問い掛けとも付かねぇ声をぶつけたが、あいつには届かず。

詰まらねぇな、と肩を竦め、空になっちまった酒瓶を掴みつつ、俺も又、立ち上がった。