──龍斗──
────京梧へと私が抱いた想いを、人の世の言葉で例えるならば、それは、恋になる。
……そう、桜の古木に教えられ。
私は甚く、戸惑った。
如何な私でも、恋、と言う言葉の示すことくらいは知っていたし、ヒトならば、そういう想いを抱くこととてあるのも、解ってはいたけれど。
それまで私は、恋、などしたことがなかったし、ヒトであるか否かも定かでない己の中に、恋、と言う想いが生まれるなど思ったこともなかったから、恋、と言う想いも言葉も、私にとっては、何処までも他人事に等しかった。
だから私は、戸惑いが過ぎてしまって、始めの内、私は恋をしているのだと教えてくれた桜の古木の言葉を、内心で疑っていた。
それに。
吉原に対する、どうしようもない思い違いをしていたのと同じで、恋、と言うことも、当時の私にとっては、子孫繁栄の為だけに在ることの一つでしかなく。
恋の想いとて、子を生す為に在るようなものなのだろうに、男が男に恋をする、などと、本当に有り得るのだろうかと、不思議で不思議で仕方無かった。
更には、何故、桜の古木が私にそれを教えたのかも、不思議だった。
『皆』は、私が本当に幼かった頃より私を慈しんでくれて、愛おしんでくれて、様々なことを様々に語り聞かせてもくれて。
『この世の理』さえも、私に教えてくれた。
が、『皆』の語り、教え、それは全て、『人のみの世』とは関わりのないことばかりで、例えば、私は一体ナニモノなのかとか、そういう、『私自身』に関わることとて、『たった一つ』を除き、黙して語らなかった。
……そう、『皆』とて、『全て』を教えてはくれない。
彼等が、本当に何も彼も私に伝え聞かせてくれる存在であるならば、少なくとも、私は道に迷ったりはしない。
その都度、その土地の『皆』に問えば良いのだから。
故に、そんな『皆』が、私のみの心のこと──京梧に恋をしている、と言うこと、それを説き聞かせてくれるなど、本来なら有り得ぬのに。
桜の古木は、何故か、それを私に。
………………でも。
物心付いた時より私の傍らに常に在った『皆』が、私に嘘を教えたことは一度たりとてなく、私の為にならぬことを教えられた例もない、それを、私は知っていたから。
男の私が男の京梧に恋をしていると言うのも、『皆』がそれを教えてくれたのも、不思議で不思議で仕方無かったけれども、どうしても拭えぬ、他人事のような心地を抱えつつも、私は京梧に恋をしている、とのそれを、私は、心の片隅に刻み込む努めだけはした。
疑いながらも、「私は京梧に恋をしているらしい」と、私自身の心の片隅に据え置いてより。
又、暦は流れて行った。
時諏佐先生の命で、幕府の船に乗り込み、大切な物らしい、と言い含められた荷を守りつつ、上方へ赴いたりもした。
山育ちの私は、船旅などそれが初めてで、江戸から上方への、約十日に及んだ船上の日々は、何も彼もが珍しく、目を瞬くばかりだった。
……が、そんな船旅に、余り良い思い出はない。
乗り馴れぬ物に乗った所為で、酷い船酔いを起こしてしまい、最初の二、三日は京梧や藍に迷惑ばかりを掛けてしまったし、私達が守ること命ぜられた、『幕府にとって大切な荷』の箱を安置していた船底からは、人のような、さりとて決して人では有り得ぬ、敢えて例えるならば、人を越えたヒトを模した何か、のようなモノが何故か這い出て来て、私達はそれと戦わねばならなくなったし。
何よりも、『人を越えたヒトを模した何か』は、決してこの世に在ってはならぬもの、と『皆』が口を揃えて、しかも強く強く訴えてきたから、終いに私は『皆』の強い声に頭まで痛めてしまって、そんなことがあった翌日は、又、潮風に吹かれながら踞る羽目になって、京梧や仲間達の手を煩わせてしまって……。
……だから、あの船旅のことは、今でも余り思い出したくはない。
────とは言え、良くない思い出ばかりが残った、少々難儀したその船旅も、その後、松平容保公に目通りするべく向かった京の都での出来事も、何とか全うすることは叶い。再び、上方から船に乗って江戸へと戻り、割合の平穏の中、十日と少しの日々を過ごした私達が迎えたのは、大川の川開きだった。
毎年、皐月の二十八日が、大川の川開きと定められていて、以降、三月後の、葉月の二十八日まで川開きは続き、その間は毎日、大川縁では花火が打ち上げられるが、初日の花火が一番華やかで、両国橋が落ちるのではないかと思える程の人出がある、と時諏佐先生に教えて貰っていたし、その少し前、弁天堂と言う処の花火職人の武流達と知り合っていたから、私は秘かに、その日を楽しみにしていたのだけれども。
結局、川開きの日も、龍閃組として鬼道衆を迎え撃つ任に追われて、川開きの花火など、楽しんでいる暇は無かった。
けれども。
私達が、花火の目映い光でなく、痛ましくて哀しい出来事と向かい合わざるを得なかったその日を境に、江戸の町には、信濃の山奥では考えられぬような暑い日々が続く盛夏が何事もなかったように訪れ、龍閃組に加わってくれた者、力を貸してくれるようになった者、と言った仲間達も、見る間に増え。
────それから暫く。
私は暇を見付けては、京梧に付き合って貰いつつ、大川の川開きがあったあの日、河原で出会った、比良坂、と言う女人に何とかして会えぬかと、足繁く両国に足を運び続けた。
比良坂と言う女人は、異国生まれなのか、金の髪を持っていた。
恐らく、比良坂の名も、親御から受け継いだのではなく、取り敢えず、と誰かが授けたものなのだろう。
昔のことを何一つ憶えていないらしく、故に、関わりを持った私達も、彼女の多くを知ることは出来なかったから、どうしてなのかの訳は判らないが、彼女の瞳は光を失っていて、けれど、心の目で全てを見ているような女人だった。
──人買いに売られ、浅草寺の奥山の見世物小屋で、人魚の振りをさせられていた比良坂と出会った時、私は彼女に、『お告げ』めいたことを語られた。
だから私は、もう一度、比良坂に会いたかった。
彼女が私に与えた言葉は、諸手を上げて『お告げ』と例えるには不吉過ぎていて、そんなことを、何故
彼女の声の通りが、余りにも良過ぎたから。
…………彼女の声も言葉も、私の耳には、人のもの、としては届かなかった。
あの声、あの言葉、それは、『皆』のそれと等しかった。
……要するに。
私には、比良坂、と言う異国の女人が、ヒトとは思えなかった。
ヒト以外の何かだ、と感じた。
川開きの前日、時諏佐先生に乞われ、渋々ながらも龍泉寺を訪れた、犬神と言う名のあの彼と初めて行き会った夜、この男はヒトではない、と悟ったのと同じく。
──そんな、ヒト以外の何か、と感じざるを得なかった彼女に、不吉過ぎる『神のお告げ』を告げられてしまったが為、私は何とかして、もう一度比良坂に、と望んだのだが。
あの日、彼女と出会った河原で、彼女を見世物小屋に連れ戻そうとした小屋の主人と、私達は一悶着起こしてしまっていたので、小屋の主人にも、他の小屋の者達にも、訪れる度、取り付く島もなく追い返されてしまって。
結局、もう一度彼女と会って、あの言葉の真意を、との私の願いが叶うことはなかった。