──京梧──

忙しないまま、日々は過ぎた。

俺の中の苛立ちも、気持ち悪さも、ささくれ立つ気分も、全てそのままに。

気が付きゃ、暦の方は初夏になってて。

初夏の声を聞いた頃、忙しない、苛立つ、気持ちの悪い、ささくれ立つ気分だけを生む日々は、何時の間にやら、少しずつ遣る瀬無いそれになってた。

卯月の間は、雄慶達に八つ当たりをしちまうことも、ままあったが、そろそろ暦が皐月になる、となった頃には、俺も大分、どうしたって消えない苛立ちや、気持ち悪さや、ささくれ立つ気分を紛らわせられるようになってた。

とは言え、見回り、と称し、一人で江戸の町を徘徊したり、ちょいと、とだけ言い残して、その辺の旗本屋敷の中間ちゅうげん部屋に夜な夜な立つ賭場に出入りしてみたり、深酒をしてみたり、と憂さを晴らして歩いたから、諸々を紛らわせられてたってだけで、俺の苛立ちその他の大元が消えてなくなった訳じゃなかったから、所詮はその場凌ぎって奴だった。

だが、少なくとも、仲間達の前じゃ陽気に振る舞うことだけは叶ってて。

……ま、兎に角。

その頃の俺の毎日はそんなこんなで、そんなこんなの間も、鬼道衆の奴等は、数日と間を置かねぇ程、引っ切り無しに暴れてた。

俺が見た処、鬼道衆が起こしたってことになってる騒ぎの、少なくとも半分は、連中に罪を擦り付けようって下衆なこと考えた野郎共の仕業みてぇだったが、鬼道衆でも鬼道衆でなくとも、『鬼』を名乗る連中が、あっちこっちで騒ぎを起こしまくったのは確かで、俺達は、それを鎮めるのに駆り出され続けた。

────来る日も来る日も、本当に慌ただしかった。

本物の鬼道衆が引き起こした騒ぎの中に隠されてた、あいつ等の内の一人──御神槌って名の、伴天連の坊主だったが──の事情が余りにも遣る瀬無かった所為で、毎日には、慌ただしさ以外に遣り場の無い想いが混じり始め、だが、江戸の町に、江戸の町に住む者に仇なすって連中のやり口は許せるものじゃなくて、少しずつ、何も考えたくねぇな、なんて思いに駆られる機会が俺の中で増えていった。

遣る瀬無くとも、遣り場の無い想いばかりが漂っても、慌ただしさに身を任せてりゃ、そんなこんなも淡雪みたいに流れてくんじゃねぇか? なんて薄い望みも俺は持ち始めた。

けれど、時って奴は、そんな風に流れちゃくれなかった。

何も考えたくなくとも考えざるを得ないことは続いて、慌ただしさに体も頭も丸投げにしても、遣る瀬無さも、遣り場の無い想いも、淡雪みてぇには消えてくれなかった。

そういう類いのモノが、まるで澱のように俺の中には溜まった。

何とか彼んとか紛らわせてはいた、苛立ちや気持ち悪さも増すばかりだった。

考えさせられること、思わされること、苛立ち、気持ち悪さ、それはひたすらに俺の中に降り積もって、それを噛み締める度、俺は、こういう風になっちまってる俺を、時には宥めて、時には諭して、としてくれた奴がいたような気がして仕方無くなった。

『幻』の筈の『誰か』の、理由わけもなく惹かれる、吸い込まれちまうような心地になる真っ黒な瞳が、こういう時、何時だって俺の傍にあった……、なんて『夢』まで見た。

直ぐに頭に血を上らせちまう短気な俺を、瞳で、言葉で、導くようにし、「お前の信ずる道は……──」と、俺の辿るべき道の在処を改めさせてくれてた『誰か』の『幻』、『誰か』の『夢』。

………………でも。

皐月のその頃も、『幻』と『夢』に、俺の手は届かなかった。

その日、俺は又、憂さ晴らしがしたくなった。

酒を浴びに行くか、それとも賭場に行くか、と朝っぱらから悩んでた。

が、酒にも博打にも、どうにも気乗りしなくて、ふ……、と。

以前、支奴の奴に譲って貰った、『吉原細見』のことを思い出した。

──花のお江戸に出て来た男なら、吉原は一度は行かなけりゃならねぇ場所だ、そうでなきゃ、男が廃る。

……それが、俺の言い分の一つだった。

その筈、だった…………んだが。

どういう訳か、俺は、未だ桜が咲いてた頃に支奴に貰った吉原細見のことを、それまですっかり忘れてた。

向かう所は一度は行かなきゃ男が廃る吉原、これまでの俺だったら、何を置いても繰り出してただろうに、吉原にも、吉原細見にも、何でか、余りいい感じがしなかった。

だから、譲って貰ってたのを思い出した吉原細見を手に、俺は柄にもなく暫し悩んで、が、有り体に言っちまえば結局、桃源郷の誘いに負けた。

今日、吉原細見を思い出したのも何かの縁だろう、これは、行っとけ、って神仏の思し召しだと、いい加減な言い訳を、てめぇでてめぇにしてから、日暮れの少し前、俺は、吉原の大門を潜った。

細見に載ってた、俺の懐具合に丁度良さそうな見世が並んでる角町へ行って、羅生門河岸近くの萩原屋って見世に目を付けて、気に入る遊女おんながいねぇなあ、と足翻し掛けて。

俺はその時、見世の上がり口近くに突っ立ってる遊女に目を留めた。

色白で、線が細くて、整った顔立ちの、三味線を小脇に抱えてる女だった。

何処となく、憂いみたいなもんも漂わせてた。

…………遊女は。

名を、お葉、と言った。