──京梧──

直ぐそこが河原な所為だろう、突然に水の匂いを濃くする、人気ない往来の直中で、俺は振り返り、

「……よう。緋勇……龍斗」

精一杯の決心をしたようなツラしてた、緋勇龍斗に話し掛けた。

「…………久しいな」

袖からじゃなく、懐から抜いた左腕を腰の刀に掛けた、だらしない様で突っ立って、笑みながら、一寸からかうように言ってやれば、あいつは目を丸くして立ち竦み、暫し俺を眺めた後、まるで春風の化身みたいに笑って、在り来たりの言葉を言った。

「そうだな。確かに、久しいっちゃ久しいな。……で? 今日は何の用だ? 鬼道衆の緋勇龍斗?」

王子稲荷の門前で逢った時同様、俺を見るあいつの眼差しは、何処となく眩しい何かを見る時のように細められてて、こそばゆい心地を覚えたが、反面、何を暢気に、道端の挨拶みてぇなこと言ってやがる、と思っちまった俺は、少々呆れ、一層のからかいを口にしてみた。

「……そ、の………………。用、と言うか……」

と、途端、何処となくの上目遣いをしていたあいつは、急に口籠り、打ち捨てられた野良猫みたいな目になって、泣きそうに口許を震わせつつ俯いた。

「…………そんな顔すんじゃねぇよ。……悪かった。一寸、からかってみだけだって。だから、下なんか向いてねぇで、こっち向け」

今にも泣き出しそう、としか言えないツラをあいつにされて、俺は、どきりとした。

泣きそうになってるあいつの顔を、どうしても見たくなかった。

こんな顔、『もう二度と』あいつには『させたくなかったのに』とも思って、酷く慌てた。

本当に、少々のからかいのつもりだったのに、あいつを困らせちまった自分に腹まで立った。

けど、だからって、掌返したように慰めるってのも、何となく……、と思えて、俺は、あっさりだけ詫び、悪気があった訳じゃないから、こっちを見てくれ、と促してみた。

「……ああ。そうだな」

俺の素っ気ない詫びは、それでもあいつに届いたようだった。

辿々しくはあったが、俯かせたツラをあいつは持ち上げ、少しばかり不器用に笑って、真っ直ぐ、真っ黒な瞳を俺に向けてきた。

ほんの少しばかり出来損ないな感はあったが、その時のあいつの笑みも、春風みたいなそれだった。

……ああ、お前は、そうやって俺を見て、そういう風に笑ってりゃいい、と『遠い昔に思ったかも知れないこと』を、ふと、俺は思った。

だってのに、あいつが何故か安堵の息を吐いたから、俺と二人っきりだってのに、何を固くなってやがるんだと、先ず、俺は少しだけムッとし、

「で?」

「で? とは?」

「何で、俺の後を尾けて、俺に話し掛けようとした? 用か何かか?」

「用……、と言う訳ではない。その…………」

直ぐさま、こいつにはこいつの思う処があるんだろう、と考え直して、世間話の続きをする風に話し掛けてやったら、あいつは、又、口籠った。

「…………ま、何でもいいか」

あいつのそんな様子は、俺の中に、「こいつの思う処ってのは、何かのっぴきならねぇことなのか?」ってな思い違いを生んで、思い違ったまま、俺は、何がどうだろうと構いやしねぇが、俺達が、ここで、顔付き合わせてこうしてるのを、万が一、鬼道衆の誰かに見られたら、こいつの立場がねぇかと、ほんの少しの間だけ悩んで、あいつの左の手首を引っ掴み、引き摺るように歩き出した。

「何処へ?」

それなりには力尽くのことをしても、あいつは当たり前のように俺と肩並べて歩き出し、行き先を尋ねてきた。

「この先にな、団子屋があんだよ。折角だから、そこへ行こうと思ってよ。俺が能く行く、お花って女中のいる茶屋の方が団子も何も美味いんだが、目指してる店の方が近ぇし、客も少ない。そういう、人目に……っつーか、お前の仲間内の目に付かねぇ店の方がいいだろ? 俺と、こんな風にしてんだからよ」

だから、俺が何処を目指してるのか、何でそこを目指そうと思ったのか教えてやったら。

「…………何故?」

あいつは、心底不思議そうに首を傾げた。

「何故、ってな、どういう意だ?」

「確かに私は、『今』、鬼道衆の一人だ。そしてお前は、龍閃組の者だ。だが、だからと言って、私とお前が話をしてはいけない、と言う道理はない筈だ。お前が、鬼道衆であるにも拘らず私を受け入れてくれた以上、私達が語り合えぬ道理も、逢えぬ道理も、ないと思うのだが」

教えてやったことの何に不思議を感じてるのか判らず、今度は俺が首傾げる羽目になって、あん? と片眉跳ね上げた俺に、あいつは、そう言って退けた。

「…………面白ぇこと言う奴だな。そりゃ、敵同士だろうが何だろうが、俺とお前が望む以上は、俺達がこうしてられねぇって道理はねぇけどよ。……でも。そう言う割にゃ、俺に声掛けるまで、随分と躊躇ってたじゃねぇか。俺達の間の道理がどうあれ、一応は敵同士な俺達が、こうしてるのを誰かに見られたら拙いことになるかも知れねぇってのは、お前にだって判ってんだろ? だから、声掛けられなかったんじゃねぇのか?」

「確かに、私とお前の立場を考えれば、私達がこうしているのは良くないのかも知れない。私やお前の仲間の誰かに見咎められることかも知れない。それくらいは、私とて弁えている。お前とこうしているなら、それを弁えた上での方が良いことも。だが、私が中々お前に声掛けられなかったのは、鬼道衆の一人である私を、お前が受け入れてくれなかったら、と思ったからだし。お前が私を受け入れてくれたのだから、私達それぞれの立場を弁えた上で、と言うことと、私達がこうしていることとは、話が別だろう?」

「…………成程。ま、理屈の内ではあるな。お前んとこの連中にしてみりゃ、屁理屈って奴になるんだろうが。────ん? と言うことは。お前、唯、俺に話し掛けたかったから、俺の後を追って来ただけなのか? で、中々話し掛けられなくって、どうしよう、って、してただけか?」

「そうだ。私が、今日、お前の後を追ったのは、お前と話がしたかったから。それだけだ」

「……そうか。それだけか」

そして、更に愉快なことを言い出しやがったから。俺は、あいつの手首を掴んだまま、腹抱えて笑った。

…………あいつは鬼道衆で、俺は龍閃組でってことにこだわりたくはなかったが、拘らなきゃならねぇのは確かだったから、余り出来の良くねぇ頭を使ってやったってのに、あいつは俺の浅知恵なんざ軽々吹っ飛ばす屁理屈を捏ねて、それとこれとは話が別だと、きっぱり言い切り、俺と話がしたかっただけ、とも言ったから、もう、俺は笑うしかなく。

──こだわるつもりがなくても拘らなきゃならなかったから、じゃなくって。

拘るつもりがなくても心の何処かで拘って、だから俺は、逢いたいと願ってたこいつと本当に逢えても、こいつみたいに素直に、お前と話がしたかった、とは言えなかったんだろうに、こいつはそうじゃない。

全く、大したタマだ、と。

一頻り笑い転げた後、俺は、だってなら、とあいつと連れ、大手を振って往来を行き、お花んとこの店程は美味くねぇ茶屋に入った。

その茶屋の敷居を跨いだのは、そろそろ昼飯時だなって頃合いで、それより、後もう少しで日が暮れるって頃まで。

俺達は、小さな茶屋の片隅で、ずっと語らっていた。

互い、迂闊なことは洩らせねぇから、どうしたって他愛無いことしか言い合えなかったが、俺は、それで満足だった。

どんな下らねぇ話だろうと、それだけの間、あいつと話していられたことが、幸と思えた。

どうしても逢いたい、と望んだあいつと、夢でも幻でもなく、逢えて語れた、それは、幸以外の何物でもなく。

俺の中の『何処か』の『何か』が訴える、『夢』が見せる『幻』の中の『誰か』は緋勇龍斗なんだ、との想いは、又、真へと変わっていった。

………………俺の柄じゃない、そんなことは判ってるが、真、幸せだった。

何時までもこうしていたい、と思うのを止められなかった。

夢でしかない『夢』が見せる、幻でしかない『幻』が、現となって、ここに在る。

そう思うだけで、心の臓が跳ねた。

こいつがこうして『生きている』。──それが、堪らなく嬉しく。

何時までも、俺の傍で、俺を見ながら、春風みたいに笑んでればいい、と、俺は、切に願った。