──京梧──
水無月が終わり掛けてたその日。
その日までの半月と少しの間、毎日そうしたように、俺は、雄慶の奴と、黒繩翁の野郎やあいつが言い垂れた不吉な言葉に繋がる手掛かりを探して、江戸中を歩き回った。
けれど、手応えなんざ一つも得られなくって、疲れ果てた俺は、蕎麦でも食わなきゃやってられねぇ、と何時もの蕎麦屋に向かった。
どうにも真面目な雄慶の奴は、蕎麦を食ってるくらいなら、円空のジジイに会いに行ってみる、と一人長屋に行っちまったから、見飽きたツラの親父が切り盛りするあの店の片隅を陣取ったのは俺一人で、ざるを一枚頼んだ時、ひょっこり、龍斗が現れた。
その日も俺を探しにやって来たんだろうあいつに、付き合わねぇか、と誘いを掛ければ、あいつは素直に腰下ろして、一緒に蕎麦を手繰り始めたが。
何時も以上に、その時のあいつの様子はおかしかった。
大川の川開きの翌々日から漂わせてた、何かを思い詰めてるような、鬼気迫る気配は消えてて、何やら、きっちり覚悟を決め切ったような目をして、まるで、俺との今生の別れのように蕎麦を食ってた。
でも、やっぱり、俺には多くを問えず。
今日はもう戻らなくてはいけない、と言ったあいつと、蕎麦屋の前で別れた。
──僅かの間しか龍斗と共に過ごせなかった所為か、気分の晴れなかった俺は、暇潰しにはなるだろうと、雄慶の後を追って長屋へ行った。
訪れてみたそこで、上手い具合に、道端で話し込んでた奴と円空のジジイに行き会えた。
ジジイは、何やら嫌な気配を感じる、と言い出し、直ぐにでも龍泉寺に戻れと俺達を促した。
何が遭っても、支奴洒門から目を離すな、とも言った。
何で、あの支奴を、そうも気にするんだ? と思いつつも、促されるまま雄慶と二人、駆けるように龍泉寺に戻れば。門前にいた、劉って名の、清国の仙道士だか何だからしい餓鬼と、俺が一寸した悶着起こした間に、半月の上、探し続けた黒繩翁が現れた。
その時の俺の気分は、「ここで会ったが百年目」だったから、問答無用で刀を抜き去り、叩っ斬ってやろうとしたが。
あいつは、劉と俺が起こした騒ぎを聞き付けて庭先まで出て来てた百合ちゃんに、何やらおかしな術を掛けやがった。
避ける間も、防ぐ間もなかったあの野郎の術の前に、百合ちゃんの体は、まるで石みたいな……、『死んでしまったナニカ』、みたいになっちまって…………。
腸煮え繰り返る、本気で耳障りな嗤いだけを残し、黒繩翁の野郎が消えて直ぐ、他の仲間や、どうにも気になったらしくて龍泉寺までやって来た円空のジジイに百合ちゃんのことを任せて、俺、美里、小鈴、雄慶の四人は、長屋へ走った。
ジジイに言われた通り、支奴の動きを見張るべく。
────何だかは判らねぇが、あいつの尻尾を捕まえりゃ、百合ちゃんを助ける手立てが判るかも知れねぇと、こっそり長屋を一人出て行くあいつの後を、悟られねぇようにと気を付けながらひたすらに追ったら、そりゃあもう酷ぇ山ん中に、ぽつん……、とあった、小さな村に着いた。
その村を一目見て、雄慶が、ここは、幾重もに張り巡らされた強力な結界に護られてる、とか何とか言い出したから、様子を窺ってみれば。どうもそこは、鬼道衆の連中の村らしい、と判った。
…………こいつぁ、結構な所に案内してくれた、と。俺は塀に上り、屋根や木々の枝を伝って、中に潜り込んだ。
下から見てた小鈴の奴に、「京梧って、猿みたい」なんてことを言われたが、怒鳴り飛ばしてる場合でもなかったから、一睨みだけして更に枝を伝ったら、広間みたいに開けた場所に辿り着いた。
──────枝の上から覗き込んだそこには。
鬼道衆の連中と、龍斗と。
長い、紅蓮色の髪をした、不気味な気配の大男がいた。
男は、自らを、柳生崇高と名乗ってた。
……その男を、一目見た時。俺は、激しい眩暈を覚えた。
ふらり、体は強く傾いで、思わず枝から転げ落ちそうになり、必死で木に縋った。
段々頭も痛くなってきて、柳生の奴と、鬼道衆の大将の言い合いを遠く聞きながら、ぐら付く、痛い頭を抱えれば。
…………不意に。
本当に、不意に、幻が俺を襲った。
夢でしかない『夢』が見せる、幻でしかない『幻』だと思ってたそれ。
『今』でない慶応二年の桜の盛り、甲州街道の、高井戸の宿から少しばかり内藤新宿寄りに行った所に、ひょい、と姿見せる例の茶屋で、緋勇龍斗、と名乗った男と出逢ってから。『その年』の水無月の終わり、冷たい、刺すような雨が降り注いでた龍泉寺の境内で、あの男に命絶たれるまでの『幻』。
百合ちゃんの命を、仲間達の命を、あの男に絶たれ。龍斗と二人、凶刃に貫かれて絶命するまでの…………────。
────…………そう。
酷い眩暈と、堪え難い痛みに晒されながら、俺は。
『夢』や『幻』だった筈のモノが、夢でも幻でもなかった、と思い知らされた。
……俺は。
その刹那、全てを思い出した。
死んだ筈の俺も仲間も、何故かこうして生きていて、『二度目』の『今年』をやり直してた、ってことも悟った。
何がどうしてどうなったのか、そんなことは判りゃしねぇが、『一度目』の『今宵』、俺と共に貫かれて死んだ筈の龍斗が、ひーちゃんが、ああして生きててくれてる、ってことも。
…………生きている。
死んだ筈のひーちゃんが、生きていて。共に死んだ筈の俺も、生きている。
あいつが、生きて、目の前にいる。
……それは、叫び出したくなる程の喜びを、俺に感じさせた。
が、全てを思い出しても消え去らなかった眩暈や頭の痛みで霞む向こうで繰り広げられてたことを前に、本当に叫ぶ訳にはいかず、気合いのみで俺は踏ん張り、
「だと言うなら、お前を斃し、村に掛けられた術を解くだけだ」
「無駄だ……。お前も死ね────」
「天戒様!」
刀を抜き去りつつ、柳生の奴に向けて鬼道衆の大将が言って、けれど、あいつの刀よりも疾く柳生が大刀翻し、桔梗の悲鳴が上がった時。
俺は、道端に捨てるのも何だと、懐に突っ込んどいた団子の串を、咄嗟に投げ付けた。
「うぬ────っ!? これは……?」
細やかな邪魔を入れてやった為、柳生の奴の切っ先は止まり。涙が零れてないのが不思議なくらいに潤んだ瞳で、ひーちゃんが、俺の方を振り仰いだ。
「よぉ。元気だったかい? 鬼道衆────」
ひーちゃんのように俺を見遣ってきた鬼道衆の連中に、敢えてふざけた物言いをしながら。
俺は、ひーちゃんを見下ろした。
『一度目』の春、甲州街道の桜の大木の上でしたように、笑みながら。
何
あの野郎や黒繩翁の野郎が煙のように消えた後に残ったのは、どうしようもなく居心地の悪い、と言うか……、こう……ついさっきまで敵味方に分かれてた者同士、この先、一緒に戦うことになるんだよな……、ってな気恥ずかしさっつーか、居た堪れなさっつーか、兎に角、落ち着かねぇ気色で。
だってのに、何も彼も頭からすっ飛ばしちまったみたいに、ひーちゃんは俺へと駆け寄って来て、縋り付かんばかりになって、掴み上げた俺の胸倉に、恐らくは泣き出す寸前になっちまってた面を伏せた。
だから俺も、ひーちゃん以外のことは何がどうなろうと構わなくなって、ひたすら、あいつを宥めた。
────俺達の様子に呆気に取られてたんだろう連中のことをすっかり忘れ、そんな風にしてたら、鬼道衆の大将が、屋敷に上がれ、とか何とか言い出した。
「成り行き上、致し方ないから、軒先くらいは貸してやる。俺にとて、それくらいの慈悲はある」
ってな、言い訳めいたことも鬼の大将は言い出して、俺達も、「だってなら……」と適当なことを言って、連中と一緒に、どうにも腰が落ち着かねぇまま、あいつの屋敷の広間に上がった。
そんな成り行きを、何とか泣くのを堪え切ったらしいひーちゃんは、やけに喜んでた様子だった。
俺達と鬼道衆の奴等が、手に手を取って、ってなるだろう、って目処が立ったのが、ひーちゃんには、この上無い喜びだったらしい。
…………が。
それこそ、ほんの四半刻前まで、顔突き合わせりゃ死合ってた者同士が、成り行きがどうなろうと、早々簡単に馬を合わせられる筈も無く。
鬼の大将の屋敷に上がって直ぐ、多分、誰もが考えてもみなかったろう大騒ぎになった。