──龍斗──

天戒の屋敷の広間に一同が腰落ち着けた時、幼子達はもう布団の中に追い遣られただろう刻限になっていた。

が、大人が眠る頃合いには遠かったし、大勢の者が何や彼やとしているのを聞き付け様子を見に出て来た村の者達に、天戒が、京梧達を指して、自分の客人だ、と苦し紛れの誤摩化しを言った所為で、「御館様のお客人なら」と、村人達は、人数分の夕餉の支度を整え、振る舞い始めてしまったので。

済し崩しのまま、私達は食事を摂った。

……その時に摂った食事は、江戸に来てから私が摂ったそれの中で、一番不味かったと言える。

村人達が整えてくれた膳が本当に不味かった訳ではなく、余りにも居た堪れぬ風情の中、誰もが黙りこくったまま黙々と箸を進めたが為、不味い、としか感じられなかった。

心尽くしをしてくれた村人達には申し訳なかったけれど。

しかし、食事をしていた間は、それでも未だ良かった。

夕餉を食する、と言うのを、皆、無言のまま行えていたから。

要するに、『すること』があったから。

どうにも喉を通らない、真に居た堪れぬ夕餉に皆が黙々と挑んだ所為で、あっと言う間に『すること』は終わってしまい、「さて、どうしたら……」と、私以外の、居合わせた全ての者が悩むしかない刹那は直ぐにやって来て。

ちらりと皆の様子を窺えば、京梧達も天戒達も、何かを言おうと口を開いては思い直し、開き掛けたその口を噤む、と言うことばかり繰り返し始めたのが手に取れたので、このままでは埒が明かぬと、私は、桔梗に頼み、水無月の始め、「時がやって来たから」と、鬼道衆の仲間になった比良坂を呼んで来て貰った。

何故、彼女の同席を私が望んだのか、皆には判らぬ様子だったが、私は皆の訝しみを無視し、比良坂がやって来るのを待ってから、『知ること』を打ち明けた。

慶応二年と言う年を、私は──私達は、水無月の終わりまで──即ち『今宵』まで、一度、過ごしていること。

『一度目』、私は龍閃組の者だったこと。

『一度目』の『今宵』、私達の命が果てていること。

『一度目』の全てを、少なくとも私は憶えていること。

そして、私や私達は、『二度目』の慶応二年を、『今宵』までやり直したこと。

……その、全てを。

…………私が『知ること』を語り終えても、誰も、何も言おうとはしなかった。

けれど私は、こうなった以上、『一度目』のことも、『二度目』のことも、皆に語ってしまうのが一番良い、と信じていた。

比良坂を呼んで来て貰ったのは、私の話が嘘でない証に、彼女にも知っていることを語って貰おうと思ったからだった。

そんな私の思惑を解ってくれた比良坂は、その為の証を立ててくれた。

彼女は、「昔のことを一切憶えていないので、どうしてなのかは解らない」と前置いてから、自分には、どうしてか、人の持つ宿星を見遣る『力』と、常世に向かおうとする魂を現世に引き止める『力』があることなどを語って、『一度目』の『今宵』、柳生崇高に抗う為に必要な全ての『力』を集わせるべく、未だ常世に向かう運命さだめでははなかった私達を、『始まりの刻』──即ち『慶応二年の桜の盛り』の頃にまで戻したのだ、と、きっぱり言い切った。

『緋勇龍斗』と言う者なら──要するに私になら、それを叶えられると思ったから、とも。

……比良坂が打ち明けてくれた話を聞き終え、又、皆の間に沈黙が下りて暫く。

漸く、と言った態で、京梧が、何時になく重くしていた口を開いた。

自分も、『一度目』を思い出した、と。

私や比良坂が語った通りの『一度目の慶応二年』を、自分は憶えている、と。

すれば、段々と、皆、俺も、私も……、と口々に言い出して、私や比良坂の語っていること、自身が憶えている『一度目』のこと、それは真のことなのだ、と受け止め始めた。

……でも、それでも、柳生崇高の邪悪な野望を防ぐ為に、私達全てが望む行く末の為に、龍閃組と鬼道衆は、この先、肩を並べて行かなくてはいけない、と言うのを会得するのは、別の話だったようで。頭では解っていても、心が追い付いていなかった皆は、一転、剣呑な気配を纏い始めた。

小声で始まった、私には、これっぽっちも益がないと思えた言い争いは、徐々に声高になって、私と藍と比良坂以外の者達全て、喧嘩腰になり。

………………言い争いが暫し続いた頃、皆のそんな様子を眺めていた私の堪忍袋の緒が、音を立てて切れた。

────多くは語らぬが、京梧に言わせれば「おっとりが過ぎる」と相成るらしい私が、人が変わったようになった様を散々披露し、挙げ句、天戒と藍は血の繋がった兄妹だ、と言うのを誰の許しも得ずに皆に教える、と言うようなことまで仕出かして、大騒ぎになった所為だろうか、その後は皆、急に『大人しく』なって、私の言いたいことを汲んで『は』くれた。

柳生崇高と言う真の敵を打ち倒す為、共に戦う、と言うのも誓って『は』くれた。

だから私は胸撫で下ろし、翌日、京梧達と共に、龍泉寺に『帰った』。

結局は、一番の騒ぎを起こしたのは私だった翌日、龍泉寺に戻る、と告げた時の天戒達は、少々不服そうだった。

けれど。

時諏佐先生の見舞いもしたいし、円空様に相談したいこともあるし、何より、この三月と少しの間、離れ離れになっていた仲間達にも会いたいから、一度、私にとっての『家の一つ』である龍泉寺に戻る。龍泉寺が、私にとっての『家の一つ』であるように、鬼哭村も、私にとっては『家の一つ』だから、直ぐに戻って来るし、この先は、龍泉寺と鬼哭村、双方を行き来するようにするから。

……と語ったら、渋々ではあったらしいが天戒達も解ってはくれて、私は、京梧や藍達と、『一度目』の時のように肩並べて歩きつつ、龍泉寺へ帰った。

戻った龍泉寺には、夕べのことを聞いたのか、『一度目』の時の仲間達が揃っていた。

全ての者が『一度目』の何も彼も思い出したのかどうかは判らなかったが、それなりには『かつて』を取り戻していたのか、前夜、鬼哭村で起こった出来事や、天戒達と行った話し合いの中身を語っても、誰も、余り驚いた様子は見せなかった。

────それからも、私と彼等の話は中々尽きず、皆と話し込んだり、時諏佐先生の容態を伺ったりとしていたら、何時しか夜になっていた。

家がある者は、親兄弟の待つそこに戻って行き。龍泉寺を家とする者も、それぞれの部屋へと戻り。藍が手伝っている診療所の医師の良仁先生と円空様を、雄慶は送って行って。

私と京梧も、『一度目』の時、京梧と私が使っていた部屋──『二度目』の『今』は、京梧が勝手にしている部屋に行った。

…………そこは、私の憶えの中にある風情と何一つ違っておらず、どうしようもない懐かしさを感じた私は、思わず、直中に座り込んだ。

ぺたりと、子供のようにしゃがみ込み、行灯の灯りが仄かに届く、薄暗い天井を見上げた。

懐かしくて……、そこに帰って来られたことは、喜び以外の何物でもなくて……、唯、目を見開いて、私は暫し、天井を見上げ続けた。

……そうしていたら。

ぼんやりと上向いていただけの私の傍らに、つい……、と。

京梧が腰下ろす気配がした。