──京梧──

ひーちゃん独特の、はっきりし過ぎてると言いたくなる程に強くて、うっかりすると逃げ出したくなる、けれど、大仰に言っちまえば森羅万象に包み込まれてるような気分にすらなる、柔らかくって、優しくって、暖かい氣が、三月と少し振りに小さな部屋の至る所に満たされてく中、放心しちまってるとしか思えない態だったひーちゃんの傍らに、俺が、衣擦れの音をさせつつ添ったら。

ひーちゃんは、いきなり、我を忘れちまったかのように縋り付いて来た。

そりゃあもう、凄ぇ勢いで。

薄暗い天井を見上げるのを止めた、と思ったら、きっ、と睨んでる風に、が、前夜から度々俺には見せてた、今にも泣き出しそうな目で見上げてきて、胡座を掻いてた俺の膝上に乗り上げて、両腕を首の後ろに回し、渾身、としか言えねぇ力をその腕に込めたひーちゃんは、俺の名を呼び始めた。

「京梧……。京梧……っ……」

「……ひーちゃん。…………龍斗」

………………切ない。

そうとしか例えようのない声で、ひーちゃんが俺の名を呼び続けるから、俺は思わず、負けず劣らずの力で、あいつを抱き竦めてた。

────ひーちゃんに、惚れてる。

ひーちゃんを、愛おしく想う。

……それは、俺の中だけの想いで、ひーちゃんが知る由もないことだと、判ってはいた。

こうしていたい、とか、俺の傍らだけにひーちゃんを添わせておきたい、とか、そんなのは、ひたすらに俺の身勝手で、あいつには関わりないことだ、と。

だが、俺は思い出しちまったから。

ひーちゃんに惚れてた、って。

今でも、ひーちゃんに惚れてる、って。

俺だけを見て、笑ってて欲しい、って。

…………だから……、だから俺は、懸命に俺に縋り付いてくるあいつを、抱き締め返さずにはいられなかった。

一度は俺から失われちまったあいつを、もう二度と手放したくない、そう思って。ひーちゃんがそうしたように、俺も、あいつの名だけを呼んだ。

──……と。

急に、ひーちゃんの体が揺れた。

それは、強張ってるってんじゃなく、何かを決心したような動きで、ん? と首傾げれば、

「……京梧…………?」

「何だ?」

「『一度目』の頃から、ずっと。今も。私は、お前を愛おしく想っている」

俺に縋り付いたまま、胸許に顔も伏せたまま、ひーちゃんは、本当に小さな声で告げてきた。

「龍斗…………。お前……」

──ひーちゃんの、その打ち明けに、俺は耳を疑った。

……正直、泣きそうな目をして見上げられ、膝上に乗り上げてまで縋り付かれて、切ないだけの声で呼ばれ続けりゃ、どういう意でかは兎も角、ひーちゃんだって、ちったあ俺を想ってくれてるんだろう、ってな、期待みたいなもんを感じないではいられなかったが。

いきなり、そう来るとは思ってもいなくて、俺は、不意打ちを喰らっちまったってことと、ひーちゃんが告げてきたことの両方に、強く腕を震わせた。

あいつが、俺を愛おしく想っててくれてるってのが、俄には信じられなくて、同時に、機を見て打ち明けようと思ってたことを、先に言っちまうんじゃねぇよ、とも思って、俺は、呻きにも似た声も洩らした。

…………俺が腕を震わせ、耳障りの悪い声を洩らしちまった所為だろう、途端、ひーちゃんは、言っちゃぁならねぇことを言っちまった、ってな風に、びくりと身を竦めた。

「先に言うんじゃねぇよ」

思い違いをさせちまったか、とは思ったが、ひーちゃんに先手を取られちまったって頭が生む不機嫌さを消せぬまま、俺は、あいつを抱いてた腕に力を込め直した。

「何を?」

「何を? じゃねぇっての。────龍斗。俺はな、お前に惚れてる。……っとに、先に言っちまいやがって……。俺の立つ瀬がねぇじゃねぇか」

「…………京梧?」

「俺の言ってることが、解らねぇか? 俺も、お前を愛おしく想ってるっつってんだよ。──俺は、お前に惚れてて。お前が愛おしくて。俺の傍らだけに添って、俺だけに、春風みたいな笑みを向けてて欲しい、そう思ってるって話だ」

……どうしたって、拗ねた風にしか告げられなかったけれど。

相変わらず面を伏せたまんまだったひーちゃんの背中を、俺は、ぽんぽんと、赤ん坊にしてやるように叩いて宥めながら、ひーちゃんがくれた想いに、俺の想いを返した。

「京梧…………」

「……龍斗。正味の話、な。『あの夜』、柳生の野郎に、俺とお前が纏めて貫かれちまった時、俺は、お前と二人、一つの刃で貫かれたまま逝けるなら、一つの幸だって言えるのかも知れない、そう思った。……ま、二度と、あんなのは…………お前を逝かせちまうって轍を踏むのは、御免だがよ。……でもな。あの刹那、俺は、本当にそう感じてた。──それくらい。……龍斗、俺はそれくらい、お前に惚れてる」

…………ほんの少しばかり、乱暴な言い種だった、と。

今でも、そう思ってる。

もう一寸くらい、世俗に疎過ぎて、おっとりが過ぎて、何時だって春風みたいな風情ばっかり纏ってるあいつを慈しむだけの、優しい言葉を、優しい声で言ってやれば良かった、と。

でも、その時の俺には、そんな風にしか言えなくて。

────やっと、伏せ続けてた面を持ち上げた、驚くしかない、ってツラしてたひーちゃんを、笑みながら見下ろし。

……ま、どう考えたって、『こういうこと』にゃ、俺の方に一日の長ってのがあるだろうと、僅かの『下心』を胸の奥に忍ばせながら、俺は、あいつを抱き締めたまま固い畳の上に横たわって、直ぐそこで灯ってた行灯を引き寄せると、薄い火を消した。