──京梧──
……あの夜。
龍泉寺に帰って来たひーちゃんと、二人きりで過ごしたあの夜。
やっと、こいつを俺の物に出来た……、なんて。
そんなことばかりを、俺は思ってた。
急転直下、としか言えねぇことばかりが続いた水無月は終わって、文月になった。
ひーちゃんと『再会』したあの夜、鬼哭村で、「これ以上、ひーちゃんの機嫌を損ねたら一大事だ」と、思わず、目の前にいるのは敵だー、味方だー、ってことも忘れた俺達が、電光石火で目だけで語り合って立てた、その場限りでしかない誓いを、ひーちゃんは疑いもせずに信じてたらしかったが、そんなに上手く物事が運ぶ筈なんざねぇから。
双方、以降は一切の遺恨を持たず……、なーんてことが出来るかと、俺達と鬼道衆の連中は、ツラを付き合わせる度、一寸したことを切っ掛けにして小競り合いばかりを起こした。
柳生崇高って下衆野郎が出て来た以上、ひーちゃんの言う通りにした方がいい、互い、譲るとこは譲らなきゃならねぇ、と解ってはいたんだが、俺達の側にも、あちらさんの側にも、何方かと言やぁ気の強ぇ奴が多かったし、早々、素直にもなれなかった。
…………ツラを付き合わせては……、ってなことが、四、五日くらい続いた時だったか。
俺達は、円空のジジイに、江戸城の松の間に呼び出された。
それこそ、この先に一切の遺恨を残さなくする為の話し合いを、そこできっちり付けろ、ってなお達しだった。
だが、少なくとも俺は、行くだけは行ってやる、なつもりでツラを出したし、案の定、円空のジジイが仲立ちをしても、俺達の言い争いの片は付かず。このままじゃ、まーた、ひーちゃんがキレるな、と思ってはいたが、どうにも止められなくなった売り言葉に買い言葉の果て、『腕っ節』で話を付けようじゃねぇかと、ひーちゃんと美里以外の腰が浮き掛けた時。
円空のジジイが、そうまで言うなら、俺達の望み通り『腕っ節』で話を付ければいい、と言い出した。
しかも、龍閃組と鬼道衆で立ち合うんじゃなし、両方を引っ括めた『俺達』と、ひーちゃん一人が戦って、ひーちゃんが勝ったら、この先は、ひーちゃんの言うことを聞け、と。
────俺だって、てめぇの腕前には自信があるし、雄慶や小鈴だってそうだろうし、折り合いなんてもんは一つも付いちゃいないが、鬼道衆の連中が強いのは認められるから、龍閃組や鬼道衆相手にひーちゃんだけでってのは、幾ら何でも荷が勝ち過ぎるんじゃねぇか? とは思ったものの。ひーちゃんがべらぼうに強ぇってのは誰にも文句の付けようがなかったし、それ程に強いあいつと、一遍、真剣に立ち合ってみたい、と秘かに願ってたから、これ幸いと、俺は、ジジイの申し出に乗っかった。
他の連中も、俺と似たり寄ったりのことを考えてたようで、何処となく口許を緩ませながら、掛け値なし、ジジイの言う通りにすると誓って、俄の立ち合い場所になった江戸城の中庭で、俺達は内心、嬉々として、ひーちゃんとやり合った。
…………が。
鬼哭村でのあの夜と同じく、その時のひーちゃんは、ちょいと人が変わったようになっちまってて。案じる美里を制し、やる気に満ちてるツラで俺達と向き合ったひーちゃんに、俺達は誰もが、ここぞとばかりに痛い目を見せられた。
こっちが立ち上がれなくなるまで、ひーちゃんは、良く言えば、一切の『手加減』も『手抜き』もなしに『好き放題』やってくれて、挙げ句、未だやる気があるか? とか何とか、玉砂利の上に転がって呻くしかなかった俺達に、綺麗だが、綺麗が過ぎて凄まじい、って感じの笑みを浮かべて問うてきたから、ここで、ぐずぐずと言い垂れたら男じゃねぇな、と。
多少、渋々ではあったが、俺達は負けを認めた。
────負けを認めはしたが、小声の愚痴垂れだけは止めぬまま、俺達が松の間に戻り、ひーちゃんも、ひーちゃんに加勢した美里も座敷に座り直した時。
円空のジジイが、
「文句の付けようなく『決着』したのじゃから、皆、これからは、龍閃組も鬼道衆も、龍斗が率いているものと肝に銘じるのじゃぞ?」
と、笑いながら、俺達に引導を渡してきた。
内心、この糞ジジイ……、と思いはしたが、その時の俺の頭の中の半分以上は、終えたばかりの立ち合いのことで占められてて、ジジイの話に、ちゃんと耳貸すゆとりはなかった。
他の連中も、俺同様、本来なら勝てなきゃ嘘の筈のてめぇ達が、呆気無くひーちゃんに負けたってことに、考えや思いの殆どを使っちまってる様子だったし、美里は美里で、未だ、ひーちゃんのキレっぷりを目の当たりにしちまった時のままの、微妙なツラしてて。
ジジイの話をきちんと聞いている風なのは、ひーちゃん唯一人だった。
そんな俺達を他所に、円空のジジイは、ひーちゃんを龍閃組と鬼道衆の双方を率いるような立場に押し上げたのには、一つの理由があって、その理由
……………………その、円空のジジイの話を、ひーちゃん以外の誰もが半ば上の空で聞き流しちまったのは、果たして幸だったのか、それとも不幸だったのか、俺には今でも解らない。
唯、一つだけ言えることは。
天の四方を護り司る四神の長であり、大地を流れるその『力』を得た者は、森羅万象を司るとの言い伝えさえある龍脈の化身の、神の如き伝説の聖獣──即ち黄龍、その氣を、ひーちゃんが持ってる、と言われても。
……それが、今回のことと何か深い関わりでもあんのか? と。
俺達が、あっさり流しちまった、ってことだ。
ひーちゃんが、円空のジジイのツラを見ているようで実は見ていなかったことにも、俺達の誰とも目を合わせようとしなかったことにも、気付かぬまま。
黄龍の氣を持ってる、それが、ひーちゃん──龍斗にとってはどういうことなのか、その時の俺達は、誰も。
考えようとはしなかった。