──慶応二年 秋──

──龍斗──

文月と葉月は、駆け抜けるように過ぎた。

あ、と言う間もない程。

そして、気が付けば暦は、野分※1の頃になっていた。

江戸城での一件以来、龍閃組と鬼道衆の間での、私が秘かに溜息を吐き出してしまうような言い争いはなくなった。

皆、本当の意で腹が決まったようだった。

無論、口論めいたことが一つも起こらなかった訳ではないけれど、以降に起こった言い合いは、どれも皆、難癖から始まる売り言葉に買い言葉の口論ではなく議論だったから、私も藍も、言い合う彼等を見掛けても好きにさせるようになって、次第に、龍泉寺と鬼哭村を行き来する者達は増えていった。

未だ幼いと言うのに無宿人の、龍閃組の真那は、私達の仲間となる以前から親しかった、鬼道衆の泰山が住む村の裏山に年中顔を出すようになって、真那に会いたがっていた泰山は、天戒達に遠慮せず真那に会えるようになったのを、とてもとても喜んでいたし、村の中にある御神槌の教会に、同じ伴天連の尼僧のほのかは毎日通うようになったし、めりけん、と言う国が故郷らしい故に、伴天連の信者でもあり、鬼道衆の一人で異国人のクリスや、やはり伴天連の信者である藍も、頻繁に御神槌の教会で姿を見掛けるようになって、ほのかやクリスや藍が、御神槌の説教に熱心に耳を傾ける姿を見掛けるのも当たり前になった。

宗派こそ違えど、同じ僧侶同士である雄慶と尚雲は、仏教の話で盛り上がっていたと思えば、盛り上がり過ぎて、何処で何をどう間違えたのか、いきなり立ち合いを始める、などと言うことを繰り返していたし、兄妹でありながら、妹は龍閃組に、兄は鬼道衆に、と道を分けていた涼浬と奈涸は、王子村の如月骨董品店に仲睦まじく住まい始めて、商いも共に行うことにしたようだったし、小鈴の生家の道場では、霜葉や美冬や、織部神社の巫女で薙刀の遣い手である葛乃達が立ち合っている姿が見られるようになった。

しょっちゅう吉原に繰り出すようになった們天丸は、その途中で龍泉寺に立ち寄って、一緒に吉原へ遊びに行かないか、と京梧を誘うようになったし──尤も、京梧はちゃんと、それを辞退してくれたけれど──、桔梗や澳継は、内藤新宿に出る度、お花が奉公する茶屋に顔を出すようになったし、面打ち師の万斎と、俳諧師の梅月は、芸術──と言うのだろうか?──の話を交わし合う仲になっていた。

劉は、澳継と喧嘩仲間になったようで、微笑ましい喧嘩を繰り返すようになって。

屋敷に引き蘢りがちだった雹や比良坂は、藍や小鈴や、二人と仲良くなったらしい桔梗に誘われるまま、鬼哭村近くを散策するようになったし、鬼道衆の一人の火邑は、同じ火の『力』を持つほのかと気が合う風で、彼女との立ち話を楽しみにしているらしかったし、武流は、同じ大宇宙党の十郎太や、嵐王に手伝わせて、鬼哭村の子供達の為にと、花火を打ち上げたりしていた。

そして。

何が遭ったのかの仔細を私は未だに知らぬし、意外でもあったのだが、どんな経緯いきさつがあったのやら、何時の間にか、京梧と天戒は、やけに親しくなっていた。

それまで京梧は、天戒のことを、鬼道衆の頭領、とか、鬼の大将、とか、そんな風にしか呼ばず、天戒も、京梧のことを、おい、とか、お前、としか呼ばずにいたのに、或る時を境に、彼等は互いを名で呼び合うようになっていて、酒も酌み交わしている風だった。

龍閃組の皆が『龍閃組』であるのを、鬼哭村の村人達には明かせぬままだったし、同じように、瓦版屋の杏花や同心の御厨達に、天戒達が鬼道衆であるのも明かせぬままだったから、垣根、と言い表せる物が全て消え去った訳ではなかったが、それでも、皆、同じ行く末をこいねがい、共に戦う仲間として、親睦や結束を深めて行った。

だから、と言うか……、私や皆がそうこうする内に、文月と葉月は瞬く間に流れ去った。

勿論、皆も私も、その二月近くを親睦や結束の為だけに費やしてしまった訳ではなく、柳生崇高や、彼の一味や、彼等が言い残した不吉な言葉の手掛かりを掴もうと、あちらこちらを訪ね歩き、調べ歩き、としたが、それに関しては、暖簾に腕押し、と言う奴だった。

私達の前から消える際、柳生崇高は、自分に会いたくば崑崙山を探せ、と言い残したから、恐らくは何処かの場所を指しているのだろう『崑崙山』が唯一の手掛かりだったのだが、清国の伝説に出て来る、仙人が住むと言う伝説の山が本当にあるとは思えない、と皆は口を揃えて言ったし、本当に崑崙山が何処かに在るのだとしても、「柳生が、海を越えた清国に行った、は有り得ぬだろう」が、皆の大方の言い分だった。

崑崙山が本当に在るのか否かは兎も角、海の向こうの清国に柳生が、と言うのは考えられぬと私も思った。

が、柳生の言葉は、果たして何を指しているのかを話し合う内、遅ればせながら私達は、あの男の言い残したそれが、本当に伝説の崑崙山を指しているのなら、手掛かりになりそうなことを、清国の仙道士である劉なら知っているのではないか、と思い至った。

『一度目』のあの夜、黒繩翁と対峙した際、劉は、『崑崙』を知っているのか、と言う風なことを黒繩翁に向かって問うてもいたから。

故に、その辺りのことにはどうにも口が重い劉を何とか説き伏せて、話を聞かせて貰おうとしたのだが、私達がそれに思い当たった時、彼は、何やらを探さなくてはならないからと、誰にも行方を告げずに何処かに行ってしまっていたので、長月のその頃、私達が劉の話を聞くことは叶わず終いだった。

…………そして。

あの男によって氣脈の流れを止められてしまった鬼哭村は、ゆるゆると、ではあったけれど、確かに、『生気を失った灰色の村』の色を濃くしていった。

村同様、石と化したようになってしまった時諏佐先生の具合も、日に日に悪くなる一方だった。

……けれど。

その頃、時諏佐先生や、鬼哭村や、江戸の町や町の民の為に私達に出来ることは、殆ど無いに等しかった。

※ 野分のわき=台風