──龍斗──

その年の秋から冬に掛けての私達の行く末を、一足早く絵に描いたような、酷い野分が幾度か訪れた後。

長月の終わり。

時が無駄に費やされて行くだけで、長月の終わりとなっても、柳生崇高や彼の一味に繋がる話も物も、私達は一向に掴めずにいた。

だと言うのに、時諏佐先生の容態も、鬼哭村の様子も悪くなって行く一方で、私達の中には、消すに消せない焦りだけが溜まっていき、皆、我知らずの内に、縋るモノや支えとなるモノを強く求め始めた様子だった。

私自身、内に覚えてしまった焦りは消せなくて、そうしているとの覚えなきまま、『皆』の声や京梧に縋る風にしていた。

京梧とて、時には苛立ちや焦りを吐き出したい心持ちだった筈だろうに、彼は、お前が一番大変だろうからと、多くを問わず、私の少々我が儘めいた物言いにも行いにも付き合ってくれて、気が付いた時には、私は京梧のそれに甘えるようになってしまっていた。

甘え切りになってしまうのは申し訳ないと思って、幾度か、お前に頼ってばかりでは、と告げてもみたけれど、京梧は、俺とお前の仲に何の遠慮が要るんだ? と言いながら、私の訴え──と言うよりは、不安──を、さらりと流してしまった。

…………確かに京梧の言った通り、その頃の私達の間柄に、遠慮と言うものが入り込む隙は、多くなかったと思う。

私はそれまで、色恋には全く縁がなかったから、本当にそうだったのか否かは判らぬけれど、二人きりで過ごしたあの夜よりその頃までの二月半の間、私と京梧の仲は、それくらい恙無かったから。

真に恙無かったのか、余り自信は無いけれど、少なくとも私には、恙無かったと思える。

但、何処となくふわふわとした、夢の中にいるような、地に足が着いておらぬような、不確かな恙無さである気がしていたのは否めない。

幸せであったことだけは、確かだけれど。

……そういう訳で。

京梧がそう言ってくれるならと、私はその頃より、彼に甘えてしまうことが多くなった。

────柳生達の行方を追い求める奔走は行き詰まりを見せ、京梧とのことに、夢現のような心地で向き合っていたその頃。

私達の前に、柳生崇高の一味とは又別の、『異国の神』と名乗る者達が立ちはだかる出来事があった。

その当時、丁度、教会に話を聞きに来る子供達に御神槌が読み聞かせていた、遥か北の方にあると言う異国の神話の中で語られている、長い長い間、戦いばかりを繰り広げた神と同じ名を持つその者達は、彼等の大地からは遠く離れた江戸までやって来た訳を、『世界樹』を求めてのことだと言った。

──彼等のことや、彼等が長きに亘り繰り広げていると言う戦いのことは、御神槌が異国の本を紐解きつつ私達にも教えてくれた、と言うのもあって、割合に早い内から明らかになった。

真の神なのかどうかは兎も角、彼等は確かに『神』である、と。

私の目にも、彼等はヒトならざるモノとしか映らなかったし、彼等が操る『力』は、到底、ヒトに持ち得るモノではなかったから。

彼等が求めていると言う、『世界樹』なる物のことも、御神槌の話で知れた。

『神』達の言葉では、ゆぐどらしる、と言うらしい世界樹は、この世の全てを包んでいる、巨大なとねりこの樹だ、とのことだった。

それを初めて聞かされた時、この国にそのような樹が在るなど『皆』からも聴いたことはないのに、と私は思わず首捻ったのだが、その内に、彼等が言う処の世界樹は、神話通りの『樹』ではなく、星霜の間続けられてきた神々同士の戦いに決着を齎す為に必要な、『力』を持つ者を指していると判った。

彼等の言う『世界樹』とは、私のことであったらしいのも。

私そのものが、なのか、私の中の『世界樹の力』とやらが、なのか、その何れかなのかは判らなかったけれど、私が死ねば、『私』は『世界樹』として目覚めるらしい、と言うのも。

そして、『世界樹』の目覚めを防いでいるのは、『神』達が口を揃えて、その正体はろきと言う名の神の娘であり、黄泉の国の女王でもあり、真の名はへると言う女神だと言った、比良坂、と言うのも。

………………比良坂が、彼等の言う通り黄泉の国の女王であり、私が感じていた通りヒトならざるモノであろうとも、正直、私にはどうでも良かった。

彼等に何を言われても、何を聞かされても、自分は比良坂であり、ヒトだ、と、きっぱり告げた比良坂の言葉通り、彼女が本当は如何なるモノであろうとも、私達にとって、彼女は、私達の仲間である比良坂以外の何者でもなかったから。

私そのもの、若しくは、私の中の『力』が『世界樹』とやららしい、と言うのも、私にはどうでも良かった。

彼等の言う『世界樹』は、私達の言葉で言えば『黄龍』になるのだろう、と言う程度の話だ、としか感じられなかった。

自らを、遥か北の大地の『神』だ、と言う彼等が私達に語り聞かせた話の中で、私の中に最も楔を打ったのは、『神』を名乗る者達にも、私はヒトに非ざるモノだと言い切られたことだった。

神をして、ヒトに非ざると言わしめるモノ、それが、私なのだと。

────私がナニモノであろうと、私は私でしかないと、そう言い切れれば良かったのかも知れない。

黄泉の女王だ、神の娘だと告げられても、私はヒトだ、と言い切った比良坂のように。

けれど、私にはそれは叶えられなかった。

高が二十年だと言われてしまえばそれまでだけれども、江戸で暮らし始めるまでに過ごした私の二十年が、ヒトだ、と言い切らせてくれなかった。

……だから。

するとと言う異国の神達の最後の一人を退けて、前触れもなく私達の前に現れた彼等との『世界樹』を巡る戦いを終えて後も、私の心は晴れなかった。

暫くの間、私は、本当の意でぼんやりしたまま、毎日を過ごした。

皆の目には、そんな私の風情も、何時も通りおっとりが過ぎているだけ、としか映らなかったようで、覇気のない──と私は思っていた──私に、あれこれ問う者はいなかった。

が、京梧だけは何かを感じ取ったのか、私の『ぼんやり』が始まって二、三日が経った頃、連れ立って──正しくは、何時も通り京梧に左手首を掴まれ引かれながら──表通りを歩いていた時、不意に彼は、私の面を覗き込む風にして、

「近頃のお前は、ちょいと沈んでる風だよな?」

と言って退けた。

けれど、塞ぎ込んでいる理由わけを誰にも語れない私は素直に頷けず、そんなことはないと、努めて笑んでみた。

「…………そうか?」

誤解だ、と言わんばかりに笑んだ私を、暫しの間、京梧はじっと見詰めて、少しばかり眉を顰めて何かを言い掛け、が、ひょい、と肩を竦めると、

「ま、ひーちゃんが、そう言い張るんなら、俺はそれでもいいけどな。……だがな、龍斗。覚えとけ? お前はお前でしかない、って」

夕餉のことを語っているかの如くな気楽な調子で彼はそう言い、くい、と私の手首を一層引くと、そのまま、私の手毎、腕を袂の中に仕舞い込んでしまった。

だから、人目があると言うのに私達は、芝居絵の中に描かれる恋仲の男女連れのように、寄り添って往来を行くしかなくなった。

……私達の傍らを行き過ぎる人々の目が、どうしようもなく気になりはしたものの、そのひと時は暖かさを私に齎して、気楽な調子で告げられた彼の言は、幸を齎して。

────……………………恐らくはこの出来事が、私に『それ』を悟らせる、一番大きな切っ掛けだったのだろうと思う。

京梧には、どうということはない、小さな出来事だったのだろうけれど、私にとってはそうではなかったから。

出来事は、確かな切っ掛けとなって、その日、私は、京梧は私の『全て』なのだと、はっきり悟った。

私には音にすることすら叶わぬ、けれど求め続けていた言葉を、まるで私の代わりの如く告げてくれる、そして私に言い聞かせてくれる彼は、きっと、私の『全て』に等しい、と。

それ程までに私は、彼を想ってしまったのだ、と。