──京梧──

神無月の訪れも、思っていたよりずっと早かった。

思いも掛けなかった、異国の神なんて連中とのやり合いがあった所為で、あれやこれやとしている内に、長月は終わっちまって。

神無月になった、と思ったら、瞬く間に半月が流れた。

……神を名乗った連中の幾人かが、やがて必ず訪れる、と言い残した『神々の黄昏』とか言う滅びの刻。

柳生の野郎が招こうとしてる、この世の終わり。

恐らくは、同じ刻を指してるんだろう『その刻』の訪れまで、後、二月半まで迫ってた。

────その頃の江戸の町は、異国の神達が、柳生の野郎が、俺達へ口々に言い残した『この世の終わりの訪れ』は嘘でも偽りでもない、と言わんばかりに、刻々と、昼間が短くなってってた。

朝が来てもお天道さんは拝めず、昼飯時になって漸く、ちらり、と薄日が射す程度で、朝から晩まで、まるで、真夏の頃の夕立を降らせるような暗い雲が、朝から晩まで空を覆ってた。

昼と夜の境が消えちまったような、一日の中には夜と言う時しかないような、そんな風だった。

昼間の時が減ってって、夜の時が長くなるに連れ、俺達の焦りも募った。

けれど、どうしようもなくて。

毎日毎日、もう嫌だ、ってな愚痴が気付かぬ内に零れちまう程に江戸の町中を彷徨っても、俺達の知りたいことは何一つも掴めなかった所為だろう。

誰もが焦って足掻いても、百合ちゃんの具合も、鬼哭村や江戸の町の様子も、悪くなってく一方だったって所為もあったんだろう。

神無月の中頃だったその頃は、流石のひーちゃんも苛立ちを見せることが多くなり始めた。

他人の前でも仲間内の前でも、何時も通り、おっとりが過ぎる態を崩しはしなかったけれど、俺と二人きりになると、愚痴を洩らしたり、八つ当たりめいた振る舞いをしてみたり、としてきた。

が、愚痴以外の何物でもない言葉を垂れ流しにされても、八つ当たりをされても、俺は、柳に風と受け流した。

あいつが一番大変だってのは、どうしたって変わりゃしなかったし、あいつだって、愚痴の一つも零したり、八つ当たりをしたりする相手がいなけりゃ煮詰まっちまうだろう、と思ってたから。

但………………。

……そう、但。

そういう風にひーちゃんに接しながらも、そんな俺の態は、少しばかり行き過ぎちまってるのかも知れない、と思う刹那がない訳でもなかった。

ひーちゃんが一番大変だから、とか、あいつのことを受け止めてやれる奴の一人くらいはいなけりゃ、って思いがあったのは本当のことだったし。あいつの愚痴も八つ当たりも、何処まで行ったって可愛いの範疇を出なかったから、受け止めてやるのは容易だった、ってのも本当のことで。

だから、そういう意味合いの上で、俺はこれっぽっちも無理なんざしちゃいなかったが、別の意味では無理をしてたから。

俺のやってることは、少しばかり行き過ぎてる──否、『やり過ぎ』なのかも知れない、そう感じちまうことは、実の処、多々あった。

……………………後にも、先にも。

本当に、心底、惚れてる、と思えた相手は、ひーちゃん──龍斗、唯一人だった。

今でも、俺が真に惚れた相手は、龍斗唯一人だ、と胸を張って言える。

そんなあいつには、俺にも打ち明けられない隠し事があるらしいと俺は気付いてて、けれど、あいつが懸命に隠す秘密を敢えて暴こうなんて気には到底なれなかったから、それに関して俺に選べた道は、龍斗が触れられたくないだろうことには触れずにおこう、知らぬ存ぜぬを貫き通そう、俺は何も気付いちゃいないと、俺自身にも言い聞かせよう、って奴だった。

……でも。

俺にも告げられねぇ龍斗の悩みの種──恐らくは、円空のジジイや異国の神達が言ってた『力』に絡むことで、あいつが酷く思い煩ってるんなら。本当は、どうしようもない不安を抱えてしまってると言うんなら。

そんなことには、これっぽっちも気付かぬ振りを貫き通しつつも、何とかして、あいつを支えてやった方がいいんじゃねぇか……、なんて、良く言えば惚れた弱みって奴になるんだろう、が、俺の柄にもないことを考えちまった。

けれど、肝心の部分に一切触れず、あいつの思い煩いを綺麗さっぱり振り払うなんざ、到底、出来る訳ねぇ相談で。

思い煩いを払ってもやれねぇせめてもの代わりにと、俺は、俺と龍斗の間柄には相応しくねぇ、過分な優しさなんてものを、あいつに与えちまってたんだと思う。

……………………でも。

それは、もしかしたら、唯の言い訳でしかなかったのかも知れない。

情人同士であっても、俺達の間柄は、同じ男としては何処までも対等で、例えるなら、戦友とか、親友とか、相棒とか、そんな言葉になるだろう、絆と言う想いで繋がってる部分は、愛おしいと言う想いで繋がってる部分と大差ねぇ大きさで、だから、一方的に与えるのみの、過分なだけの優しさは、あいつと俺の間に渡すにゃ相応しくない、との覚えは、あの頃の俺にも確かにあって。

その、『相応しくない』との覚えを、あの頃の俺は、「今の、俺にも言えねぇ思い煩いを抱えてる龍斗を支えるには致し方のないことだ」と、てめぇに言い聞かせることで流してしまっていたけれど。

……今にして思えば。

あれから随分と長い刻が経った今、思えば。

あの頃の俺が、俺自身に言い聞かせてたそんな『理由わけ』は、言い訳でしかなかったのかも知れない。

…………俺は。

心の何処かで、後ろめたさを感じてたんだと思う。

慶応二年の神無月の中頃だった、あの頃から数えれば、『この世の終わり』が二月半後に迫って、仲間内の誰もが強い焦りを覚えてるのが手に取るように判っても。

龍斗ですら、愚痴を洩らしたり、八つ当たりをしたりとしなければならねぇような事態になっても。

俺の頭の片隅には、強い奴とやり合えるなら俺はそれでいい、って考えが確かにあって、そんな考え──否、『欲』に身を委ねちまえば、迫りつつある『この世の終わり』すら忘れられちまう己の質に、後ろめたさを感じてたのかも知れない。

そして。

龍斗が、俺を捕まえて時折の愚痴を垂れたように。

俺は、あいつに過分な優しさを与えることで、後ろめたさに蓋をしていたのかも知れない。

────俺が、てめぇ自身の覚えなきまま抱えてたんだろう後ろめたさは。

結局の処、煎じ詰めちまえば、幼い頃から焦がれ続けた天下無双、それだけが、俺の『全て』であって。龍斗は、『それ以外の全て』なんだ、と言うことに繋がっていたから。

…………あの頃、俺は。

きっと、それが後ろめたかったんだろうと思う。

俺自身の中にそんな想いが眠ってやがったなんて、あの頃の俺には、これっぽっちも解っちゃいなかったけれど。

……俺は。

剣が、天下無双が、何時か立ってみせると誓った剣の道の果ての頂に辿り着くことが、『全て』で。

龍斗は………………────

────…………だから。