──慶応二年 冬──
──龍斗──
京梧が与えてくれる『過分な優しさ』に、私が内心では異な心地を覚えたまま、神無月は終わった。
そして、霜月が始まって、十日程が経った頃。
その頃にはもう、江戸の町より『昼』が消えていた。
少し前まで、真昼の頃は射していた薄い陽も、全く顔を覗かせなくなった。
町のあちらこちらで、昼がやって来ないのは天変地異の前触れに他ならない、との噂が流れ始め、徐々に、江戸を離れ、郷里へ帰って行く者達も出始めた。
それに連れ、町の中からは活気が減り、が、逆に、用がある訳でもないのに往来を行き来する人数は増えた。
私達だけでなく、日々の裏側で何が起こっているのか知る由もない者達にも、不安ばかりが広がっていた。
町の者達が浮き足立ち始めたのは、空模様の所為ばかりではなく、その年の文月の二十日、家茂様が、大阪城にて薨去されたと幕府より正式に触れられた所為もあったのだろう。
家茂様は、私や京梧と同じ弘化三年の生まれだったと言うに、病に倒れられ、そのまま…………。
家茂様が逝かれてしまって後、葉月の二十日には、一橋慶喜様が徳川宗家を継がれたものの、末
────そんな風に、夜しか訪れなくなった江戸市中に重苦しい気配ばかりが漂っていた、霜月の十日頃。
相変わらず、空は夜の如く闇に覆われていたけれども、刻限は朝となった頃、天戒達が龍泉寺を訪ねて来た。
彼等が早朝からやって来た訳は、この先、どうするべきかを改めて話し合う為だった。
が、知恵を絞ってみても、その場の誰もの顔を明るくする程の策は出ず、遠回りな方法かも知れないが、柳生達や彼等の居場所ではなく、崑崙、若しくは崑崙山に付いて、何らかを知っているかも知れない劉を探してみよう、と言うことになった。
……劉が、私達の誰にも行方を告げずに姿を消してしまってより、既に二月近くが経っていた。
彼が、何を探す為にそうしたのか、知る者はいなかったけれど、何を探しているにせよ、もしかしたら江戸の何処かにいるかも知れぬし、江戸を離れていたとしても、そろそろ戻って来ていてもおかしくはない頃と思えて、故に。
そう話が決まって直ぐ、私達は腰を上げ、幾手かに分かれ、劉の姿を見掛けた者か、彼の行方に心当たりがある者がいないかを探しに、江戸の町へと散った。
──私は、京梧や雄慶と共に、浅草に向かった。
浅草寺の奥山に着いたのは昼八つ頃で、春の頃や夏の頃、一人、奥山をふらつくことが多かったから、それなりには詳しい、と言った京梧に案内
けれど、得られたことは多くなく。龍泉寺を出る際、落ち合う場所と決めておいた、一橋御門へと行った。
一橋御門の前にある、日本橋川に掛かる一橋の袂に私達が辿り着いた時には、既に、天戒と尚雲以外の皆が集まっていて、探し求めた劉の姿もあった。
たまたま行き会った杏花に、目黒不動尊の境内で、猿曳
────藍と小鈴に伴われてやって来た劉は、二月半以上も行方を晦ましていた訳を結局教えてはくれなかったが、崑崙、と名の付くモノを探している私達の知り得たことを教えてくれるなら、自身が知っていることを教えてもいい、と言ってくれて。私達は、天戒と尚雲がやって来るのを待った。
が、宵五つ刻となっても、天戒も尚雲も姿を見せず。酷く心配になったらしい澳継と桔梗が、二人を探しに行くと、凭れていた橋の欄干より背を外せば、それを劉が留めた。
二人を留めた彼は、今、知っていることを語ってしまわなければ、この先、語る機会が得られぬような気がするから、先に自分の話を聞いて欲しい、と言い出し、崑崙山のことを語り出した。
────彼の話は。
崑崙山は、海を越えたこの国でも伝えられている通りの、伝説、としか言い様の無い姿のまま、本当に在るのだ、と始まった。
彼や、彼の一族達は、崑崙山が真に在るのを、知っているらしかった。
そして。
清の国で崑崙山と言えば、天下随一の霊峰と言う意を成すこと、又、この世の始まりに、この世の全てが生まれた場所であるとも、大地の氣が天界へと昇って行く通り道だとも言われていること、それを、彼は私達に教え。柳生が崑崙山と言った以上、彼等一味が企んでいることは、大地の氣に関わる何かだろう、と。
津々浦々に数ある火の山が示している通り、日本と言う国は、とてつもない氣脈の上に在るに等しく、崑崙山を思い起こさせるような強大な大地の氣の流れはこの国にも在るから、正しい見立てさえ出来れば、森羅万象を司り、どのような邪悪な願いでも叶えられる強大な力を手に入れられる筈で、真の処は判らぬけれど、あの男がしようとしていのは、そういうことではないのか、と。
……劉は更に、そんな風に語り。私達は、唯、押し黙った。
もしも、劉が語った通りの企みを柳生崇高が持っているとしたならば、確かに、師走が終わる頃に、この世の終わりがやって来ても何の不思議もなかったし。
だとするならば、あの男は確かにこの国の何処かにはいるのだろうけれど、神代の頃より語り継がれてきた崑崙山にも匹敵する程、大地の氣の力を秘めた場所とは、果たして何処なのだろうか、との謎は、結局解けなかったから。
だから、私達は誰もが黙り込み──その時、一橋の向こうから、駆け寄って来る足音がした。
──激しい足音と共にやって来たのは、天戒だった。
探索の途中で尚雲と逸れてしまい、探し歩いていた処、どうやら敵に襲われたらしい彼の叫びを聞き付け駆け付けてみたが、そこには槍が残されていただけで……と、慌てた様子の天戒は事の次第を語り、ならば、尚雲を探さなければ、と私達は走り出し掛けたが。
「もし。もしっ──!!」
やはり、一橋の向こうから、今度は、妙齢の女人が私達へと駆け寄って来た。
少しばかり髪を乱した、目に鮮やかな赤い着物を纏った彼女に、私は何処となく見覚えがあって、何処かで出会った女人だろうかと、憶えを手繰ったが。
「手を、手を貸して下さいましっ。この先の小屋に、雲水様がっ。怪我をしておられるご様子で……。どうか、手をお貸し下さいっ」
切羽詰まった様子の彼女に、尚雲のこととしか思えない者が直ぐそこで怪我をしている、と言われたが為、一先ず私はそれを止め、女人の言うそこへ行ってみようと、身を翻し、駆け出した彼女の後を皆と共に追った。