──京梧──

俺が、全く以てらしくもねぇことをしながら過ごした、神無月は終わり。

やって来た霜月が、十日程過ぎた頃……だった。

大分寒さが厳しくなって来てたその頃にゃ、江戸の町からは、すっかり『昼』がなくなってた。

お天道様の顔は、刹那も拝めなくなった。

まるで、町中の誰も彼もが浮き足立っちまったみたいに、これは天変地異の前触れだ、なんて噂をし合って、もう、こんな江戸になんかいられねぇと、故郷へ戻って行く連中も出始めた。

あっちこっちの長屋が空になり始めて、活気は薄れてって、でも、往来を当てもなくふらふらする奴等は増えた。

……多分、俺達だけじゃなく、江戸の町の誰もが、本当に不安だったんだと思う。

お天道様が顔を覗かせなくなったってのに、幕府から正式に、公方様が大阪城で薨去したって触れが出て、若くして逝っちまった公方様を悼む間もなく、徳川宗家を継いだ一橋様が将軍職就任を拒み続けてるらしい、なんて、『お家騒動』みたいな噂も伝わってきてたから、不安になっちまったって致し方なかったんだろう。

────江戸の町も、江戸っ子連中も、勿論俺達も、そんなこんなだった頃。

霜月の十日頃。

朝が来たってのに真夜中みたいに真っ暗な中、天戒達が、龍泉寺までツラ出しに来た。

数日前から言い合ってた通り、この先、俺達がどう動くかを、改めて話し合う為に。

だだっ広いだけで、そこら中にガタが来てる所為で隙間風が容赦無く吹き抜ける、骨身に沁みる寒さの本堂で、ああでもない、こうでもないと、俺達は、ツラ付き合わせて長い間話し合ったが、これ、と言う策は結局、誰からも出ず。面倒臭ぇやり方だが、柳生共の居場所じゃなく、崑崙山絡みのことを知ってるかも知れない劉を探してみよう、って話は纏まった。

あいつが龍泉寺からふらっと姿を消してから、もう、二月半は経ってたから、江戸を離れてたとしても、いい加減舞い戻って来ててもおかしくなかったし、ひょっとすると、江戸の何処かにいるかも知れないから、探してみる価値はあるんじゃねぇか、って。

そういう訳で、どうやって動くかを決めた俺達は、寒さの過ぎる境内を出て、幾人かずつに分かれて江戸の町に溶けた。

──俺が、ひーちゃんや雄慶と共に向かったのは、浅草だった。

朝の内に新宿を出たんだが、どうしたって、夜道を行くに等しい足取りになっちまうから、浅草寺の奥山に辿り着いたのは、昼八つ頃だった。

が、却ってそれが良かったようで、奥山は、思った以上の人で溢れてた。

真っ当だろう奴等も、そうじゃねぇだろう奴等も、あそこには佃煮に出来る程いるから、することもなく、唯ぶらぶらしてる遊び人連中を片っ端から捕まえて尋ね歩きゃ、劉の居場所や崑崙山に関する話が、あわ能くば聞けるんじゃねぇか、と俺は思ってて、そうするには好都合だったんだが、結局、あっちで遊び人を捕まえ、こっちで遊び人を捕まえ、としても、得られたことは多くなかった。

だもんで、仕方無し、龍泉寺を出る時、落ち合う場所と決めておいた、一橋御門へと俺達は向かった。

一橋御門の前の、日本橋川に掛かる一橋の袂には、もう、連中が集まってた。

天戒と九恫だけは未だみたいだったが、一日中探し歩いた劉までも、その場にツラを出してた。

何でも、たまたま行き会った杏花の奴に一寸した話を聞き込んだ美里と小鈴が、あいつを引っ立てて来たそうで、そりゃあお手柄だった、と言い合いながら、俺達が崑崙に関して調べたことを話してくれるなら、自分の知っていることを話してもいいと、しきりに繰り返す劉の話を揃って拝聴しようじゃねぇかと、天戒と九恫がやって来るのを俺達は待ったんだが。

宵五つになっても、二人は来なかった。

あいつ等のことだ、放っといても平気だろ、と俺はのんびり構えてたが、桔梗と風祭はどうにも不安になっちまったようで、探しに行く、と走り出そうとした二人を、劉が留めた。

今、自分の知ってることを喋っちまわなきゃ、この先、こんな機会はないかも知れないから、と言い出した劉は、何とか駆け出す足を堪えた二人が向き直るのを待って話し出した。

──俺でも聞き齧ったことのある、伝説の崑崙山は、本当にあるんだ、と奴は言った。

俄には信じられない、御伽草子に書かれていることとしか思えないような、伝承が語る崑崙山の姿は本当の話なんだ、と。

どうも、あいつやあいつの一族は、崑崙山が本当に在るのを確かに知ってるらしくて、やけにきっぱり、崑崙山に絡む伝説は、伝説じゃなくて真だ、と言い切ったあいつは。

あいつの故郷では、崑崙山と言えば天下随一の霊峰と言う意を成すとか、この世の始まりに、この世の全てが生まれた場所なんだとか、顎が外れそうなことをつらつら語って、あくまでも推量の域を出ない話だが、柳生の奴が崑崙山と言った以上、柳生達が企んでるのは大地の氣に絡むことだろう、と続けた。

……………………そっから先も、あいつの話は暫くの間続いたが、半分くらいは俺の耳を素通りし掛けて……、でも。

この国でも、正しい見立てさえ出来れば、森羅万象を司り、どのような邪悪な願いでも叶えられる強大な力を手に入れられる筈、と劉が言った刹那、俺は、ふと思い当たって、そっと傍らのひーちゃんの横顔を盗み見た。

────森羅万象を司れる程に強大な力さえ得られる、とてつもない大地の氣。

……その言葉から、俺は、黄龍を思い出した。

そして、柳生の奴が求めてる『力』ってのは、黄龍の力のことを指してるんじゃねぇかって、本当に、ふ……っと思い当たった。

だから、ひーちゃんを盗み見た。

江戸城の松の間で、円空のジジイに『黄龍の氣』の持ち主だと言われた、ひーちゃんを。

けれど、ひーちゃんが持ってる『黄龍の氣』と、柳生の奴が求めてる、黄龍を思い起こさせるような強大な大地の氣との関わりが、今一つ、俺の中で繋がってくれなくて。

自分がそういうモノの持ち主であるのを、ひーちゃんは心秘かに思い悩んでるらしいってのも、咄嗟に脳裏を掠めて。

俺は、思わず言い掛ける処だった何か──てめぇでも、どんな言葉を紡ごうとしたのか、さっぱり掴めてなかった何かを飲み込んで、劉の語りを聞き終え押し黙っちまってた仲間連中同様、沈黙の中に自分を収めた。

何とも言えない心地だけを抱えて。

────と、その時、一橋の向こうから、俺達の方へと駆け寄って来る足音が聞こえた。

振り返ってみたら、やって来たのは天戒だった。

九恫の奴と逸れちまって、探し歩いてた最中、敵に襲われたとしか思えない奴の叫びを耳にし駆け付けてみたら、誰の姿もなく槍が残されていただけで……と、慌ててる風に駆け寄って来た天戒は捲し立てて、だってなら、あいつを探さなけりゃと、俺達が揃って駆け出した時。

「もし。もしっ──!!」

妙齢の女が、叫びながら飛び込んで来た。

美人と言えねぇこともなかったその女は、この先の小屋に怪我をしている雲水がいるから、手を貸して欲しい、と叫ぶように告げて、こちらを急き立てる風に踵を返したから、取り敢えず行ってみようと、俺達は、勢い女の後を追った。