──龍斗──

陽光が欠片も姿見せぬ所為で、去年までよりも遥かに寒さが厳しくなった冬が深まった霜月も、大川を流れる水よりも早く過ぎ去り、気が付けば、師走がやって来ていた。

柳生崇高が告げた、この世の終わりがやって来ると言う月。

霜月の十日頃、宮本武蔵の魂を宿されたあの者と戦ってより約二十日、私は──否、私達は、焦りだけを抱え、暗い空模様がそのまま宿ったかのように、くらく日々を過ごした。

柳生達は、外法にて黄泉より引き摺り戻した二百有余年前の剣豪を私達にけしかける、と言う手すら打っていたのに、私達には何の打つ手もなかった処か、それまでの幾月同様、あの者達の居場所さえ掴めずにいたから。

鬼哭村の様子も、時諏佐先生の容態も相変わらずだったし、黒繩翁に取り憑かれていた所為で、水無月の頃より臥せっていた容保公が公務に戻られ、あの方の指揮の下、市井の混乱に乗じて幕府に徒なそうと企む浪人狩りが行われ始めていた為、私達だけでなく、江戸の至る所が不穏な気配や不安だけを滲ませる風情に包まれていて、その所為で、と言うのもあった。

だが、その頃、私が毎日を何処となく冥く過ごしていたのは、それ等の所為だけではなかった。

私の心も気分も沈みがちだった本当の訳は、どうしても、あの『彼』と戦った日の京梧を忘れられなかったから。

────あの翌日から、京梧は一人、足繁く河原に通うようになっていた。

暇を見付けては河原に下りて、町の灯りも届かぬ、一日中夜半の如く暗い、人は全く寄り付かなくなったそこで、火も焚かず、黙々と剣を振るっていた。

三度の食事より武芸を好む尚雲をして、剣術馬鹿、と言わしめる彼だから、彼の河原通いが始まっても、仲間達は皆、気にも留めていない風だったが、私は気にせずにいられなかった。

余りにも私が京梧の河原通いを気にするものだから、恐らくは私よりも『剣士としての京梧』に相通ずるモノを持っているのだろう天戒や尚雲達には、

「武蔵と戦ったことで、剣士として何か得たことがあるのだろう。だとするなら、あいつの好きにさせてやった方がいい」

と諭されたが、それでも、私は。

…………私とて、武人の端くれではあるから、京梧の想いが汲めなかった訳ではない。

気持ちは解っているつもりだった。

天戒達が言っていたように、京梧は、あの日目の当たりにした、天地無双と言うあの奥義を我が物にしようとしているのだろうと、察してもいた。

でも、私はもう、知ってしまっていたから。

京梧は、私の『全て』なのだと、知ってしまったから。

そして、あの日、京梧の瞳に映っていたのは私ではなく、彼が幼い頃から求め続けていた、剣の道の果ての頂の幻なのだと、気付いてしまっていたから。

……私は、京梧にとって、『剣以外の全て』なのだろうと、薄々………………。

だから……、だから、私は…………────

────私のそのような想いは、只の我が儘でしかないと言うのも、過ぎる程解ってはいた。

所詮、子供の理屈でしかないと。

けれども、その頃の私は、京梧を往かせたくないと頑に思っていた。

天下無双の『剣』の許にも。彼が辿る剣の道の果ての頂にも。

彼を往かせたくなかった。

私は、そこに往くことなど出来はしないから。

………………そう、あの頃の私は、唯、ひたすら。

我が儘と知りながらも、子供染みていると思いながらも、剣の道と言う、私の目には決して映らぬモノに京梧を渡したくない、そんな思いだけに囚われていた。

…………でも。

河原に赴けば必ず京梧がいる、そんなことが当たり前になって、何や彼やと言い訳を付けたり、本来なら要らぬ筈の用を拵えたりして、一人刀を振るう彼を私が迎えに行くのも当たり前になった、霜月の終わりの或る日。

その日、私は、河原に赴く京梧に付いて行って、少し離れた岩の上に座し、黙って彼を眺めて──否、闇の中、彼の気配を感じていた。

私が河原まで後を付いて行っても、視線を注ぎ続けても、彼は嫌な顔一つせぬ処か、「付き合ってくれるのか?」と笑みさえ浮かべてくれたけれど、剣を振るう彼の眼差しの先にあるのは、宮本武蔵の幻であり、その向こうにある剣の道の果ての頂でしかない風で、数刻が経った頃、知らず、私が溜息を零した時。

互いの顔さえ見えぬ程の闇に、突如、稲光のような光が溢れた。

それは、鋭い音と重みすらも伴っていて、私は、ああ……、と。

とうとう京梧は、あの剣豪が見せた奥義を我が物にしたのだな、と。

爆ぜ続ける光と音と重みと氣より、目を逸らした。

たった一度見せられただけのあの奥義を、僅か半月程で己が物としてみせた彼を甚く誇らしく感じつつも、又、京梧が、私より遠くなってしまう、と思って。

「………………帰るとするか。すまねぇな、ひーちゃん、付き合わせちまって。……そうだ、蕎麦屋にでも寄ってかねぇか?」

────私が俯いている間に、京梧が迸らせた、光と音と重みと氣は掻き消えたらしく。又、真に近い闇に戻ったその直中で、得物を鞘に戻した京梧は、優しい声でそう言いながら、私の方へと近付いて来た。

「僅か半月で、物にしたのか? あの、天地無双を」

「僅か半月、じゃねぇな。半月も、だ」

我が儘ばかりに満たされた私の冥い想いなど、この気配に滲ませてはいけないと、努めて明るく言った私に、京梧は苦笑の滲む声で応えた。

そうして彼は、私が携えて来ていた提灯を取り上げて、火を灯し、私との間に翳した。

揺れる提灯の向こうに見え隠れする京梧の眼差しは、もう、確かに私だけに向けられていて、面も、常通り優しかった。

寒いだろう? と、手首を掴むでなく、肩を抱いてきた彼の腕も、寄せられた体も、私だけが知る暖かさで、その刹那の京梧にとっての私は、私がそうであるように、『全て』であると思え。故に、余計。

私は悲しくなった。

………………今にして思えば、この頃の私がしていた恋は、どうしようもなく幼いそれだったのだろう。

この頃の私は、生まれて初めての恋と上手く向き合えぬ、童に等しかったのだろう。

けれども、当時の私に、そんなことに気付ける筈も無く。

京梧に肩を抱かれながら、提灯の灯りだけを頼りに帰り道を辿りつつ、後から後から湧き上がる、どうしようもない悲しみを堪えるのに精一杯だった。

それより又、日々は少しばかり流れ、月は師走に変わり、もう間もなく、柳生崇高が告げたこの世の終わりが……、となった頃。

再び、私達は、出会いをした。