──龍斗──
師走になって、四、五日程が過ぎた頃だっただろうか。
その日も早朝から思い思い探索に出ていた私達は、内藤新宿の馴染みの蕎麦屋に集っていた。
霜月までは、探索結果の報告は、龍泉寺で、又は鬼哭村の天戒の屋敷で、一日の終わりに行っていたが、もう、それでは間に合わないのではないか、と言う話になり、昼の九つ刻に一度、宵五つ刻頃に一度、落ち合える限り何処かで、と相成って、その日は、何時もの蕎麦屋が落ち合い先だった。
蕎麦屋に面した往来は、例の容保公が始めた浪人狩りで騒がしく、天戒などは、幕府のやることは……、と少々顔顰めていたけれど、彼のそんなぼやきも直ぐに消え、話題は柳生達のことへと移り、が、武蔵までを黄泉還らせて私達にけしかけた者達だから、更なる手を打ってくると考えた方がいいだろう、と言う以上の話にはならなかった。
相変わらず、あの男達が何処でどうしているのか、私達には掴めていなかったから。
とは言え、何一つも手掛かりが掴めずとも何とかしなくてはならなかったから、一応の話し合いを続けようとしたのだけれども。蕎麦屋の亭主に、蕎麦湯一杯で延々粘られては商売上がったりだ、と苦情を言われてしまったので、仕方無し、落ち着く先を変えようと、私達は店を出た。
────店を出て、幾許も行かぬ内だった。
浪人狩りを行っていた番衆らしき男の、悲鳴が聞こえた。
何事だろうと、声のした方へと行ってみれば、投げ飛ばされたのだろう、地に伏している番衆と、その直ぐ傍に立っている百姓らしき出で立ちの老人がいた。
どう考えても、番衆の彼に無体を働いたのはその老人としか思えなかったから、私達は彼を問い詰めてみたけれど、老人は、こんな年寄りにそんなことが出来る訳もない、の一点張りで、勝手にさっさと話を切り上げ、逆に、少々腰を痛めてしまっている自分の代わりに、畑を耕すのを手伝ってくれないかと、私達に頼み込んできた。
………………人を喰ったような振る舞いをし、人を喰ったような物言いをするその老人は、亡者や魍魎を引き連れている、と私には判った。
これまでのことが無ければ、私とて、老人がそうであると知っても、質の悪いモノに取り憑かれてしまっているのだろうな、と受け取っただろうけれど、やはり、これまでがこれまでだったので、この老人も又、宮本武蔵の魂を宿されていた、あの女人の亡骸と同じなのかも……、との疑いを私は抱いた。
他の者達も、私とは違う訳でだったろうけれど、彼に某かの疑いを持ったようで、あからさまな『誘い』に乗るべきか否か思案している風に、どうする? と私に問うてきた。
そんな仲間達の問いに、私は、僅かだけ悩んでから、『誘い』を受けると答えた。
十中八九、柳生崇高に遣わされた者なのだろうけれど、彼は何処か、何かが違うように思えたから。
だから皆、私がそう言うなら、罠に飛び込むつもりで付き合ってみるか、と。
畑は内藤新宿の外れにある、と言いながら歩き出した彼の後に付き従った。
老人と共に向かったそこは、確かに内藤新宿の外れではあったけれど、田畑がある辺りではなく、流れ者達が屯しているような、そういう意で荒れた一帯だった。
こんな所に畑があるのかと問えば、老人は肩を竦める風にして、一先ず茶でも飲まないかと、目の前のあばら屋に顎を杓った。
私は、その誘いにも乗っても良いかと思っていたのだが、皆は、そこまでの『戯れ言』に付き合う気はなかったようで、彼が、武道──恐らくは柳生新影流の剣術を嗜んでいると尚雲が暴いたのを切っ掛けに、京梧達も天戒達も、それぞれ構えを取ったが。彼は、私達を斃せと柳生崇高に遣わされたと、あっさり認めた上で、呆れた風に私達を鼻で笑った。
お前達のそれは、殺す為に抜き、殺す為に構え、殺す為に振る、殺人剣だと。
それでは、私達が敵と看做す柳生崇高の剣と、何も変わらぬと。
…………そう言われて、私達は皆、押し黙った。
老人の言うことに、否と返せるだけの言葉を、誰も持ち合わせてはいなかったから。
故に私達は、再度、茶でも、と言って退けた老人に促されるまま、彼の話を聞くべく、あばら屋の中に入った。
「儂の名は、柳生────。柳生十兵衛三厳と言う」
本当に茶を振る舞うつもりだったらしい老人は、あばら屋に入るや否や、家中のあちらこちらを引っ繰り返し茶筒を探し出そうとしたが、早く、と私達に急かされ探し物の手を止め、ぶつぶつ文句を零しながら、囲炉裏を囲んで腰下ろした私達の面を一人一人眺めつつ、名乗りから『話』を始めた。
────柳生十兵衛三厳と言えば、三代将軍様の頃にその名を馳せた剣豪の一人だ。
宮本武蔵同様、剣の道に身を置く者でなくとも、数多伝わる逸話を知っているような、伝説の剣士の一人。
……老人は、己を、その柳生十兵衛だと言った。
柳生崇高によって、魂を黄泉から呼び戻されたのだ、と。
けれど、驚きだけを覚えるしかなかった彼の話は、その先も未だ未だ続き。彼は、私達の敵である柳生崇高は、己が実の弟だ、と語り出した。
柳生崇高は、本名を柳生双示郎崇高と言い、彼等の実父である柳生但馬守宗矩様が死去した際、江戸柳生家にて起こった跡目争いに巻き込まれて一族より抹殺された、十兵衛達兄弟の末弟なのだ、と。
「徳川家光公の御代だった正保三年、親父殿が亡くなってより、慶応二年の今日までの二百と有余年、どうしてか、それだけの年月を生き続けられる術を得て、己を抹殺した者達への復讐をしているかのように、我が弟は……」
……とも。
────そのような話を、何処か淡々とした口調で十兵衛は語って、だと言うなら、実の兄である貴方になら、柳生崇高の企みを止めることが出来るのでは、と藍が彼へと迫ったけれど。
十兵衛の答えは、止めはするが、それは、お前達を斃し、その上で崇高を斃す、と言うそれだった。
宿星に導かれ、かつては敵同士だった龍閃組と鬼道衆が仲間同士となって、辿る道を同じくしたこと、それはそれで良かろう、と言いつつも、彼は、自分と私達の間には、崇高を斃す為にも、戦う以外に道はない、と言い切った。
崇高と戦ってきた私達を斃すこと出来なければ、己が崇高を倒すことなど出来ぬだろうし、柳生新影流を操る自分を斃せなければ、私達に崇高を斃すことなど出来ぬのだから、何としてでも崇高を討ち果たしたいと望むならば、何方かが何方かの屍を踏み越えて行くしかない、と。
「でも、柳生崇高を斃すと言う目的が同じなら、その為に力を合わせればいいのでは────」
彼のその言い分に、藍が又も訴えたが。
「『年毎に 咲くや吉野の山桜 樹を割りて見よ 花の在処を』……って言ってなぁ」
懐かしそうに笑みつつ十兵衛が言い出したのは、高名な禅僧、一休宗純が詠んだ、道歌だった。
その道歌は、但馬守様が、柳生新影流の家伝書に載せ、息子である彼等に口うるさく聞かせた詩だ、とのことだった。
私は、この道歌を知ってはいたけれど、一休宗純が詠んだ物と言う以上は判らなく、何故、彼が道歌の話など始めたのか、何故、彼の父が家伝書にまで道歌などを載せたのか、皆と共に訝しんでしまったのだけれども。
恐らく、狐に摘まれたような顔をしていたのだろう私達を他所に、十兵衛は続き、『神氣』と言うモノのことを口にした。