──京梧──

師走に入って、数日が経った頃だった。

その日の丁度昼九つ刻、俺達は、何時もの蕎麦屋で雁首揃えて唸ってた。

────大した足掻きも出来ねぇ内に、気が付きゃ暦は師走になっちまって、でも事態は何も変わらず、だから、毎日毎日、柳生の野郎の手掛かり探して当てもなく江戸の町を彷徨うのは、そろそろ限界だろうってことになって、何か起こったら直ぐにでも動けるように、今までよりも繋ぎを密にしよう、って話にもなって、その日の午前の探索を終えた俺達は、落ち合い場所に定めた蕎麦屋の暖簾を、三々五々潜ったんだが。

その日のその時も、誰にも何も掴めてなくて、気分の所為で重たい頭付き合わせながら、俺達は溜息ばかりを付いてた。

俺達の前に柳生の奴が姿見せた、水無月の終わりだったあの頃から数えて、約半年も経ったってのに、本当に言うのもうんざりするくらい、手掛かりは一つもなくて。溜息でも零さなけりゃ、やってられなかった。

でも、溜息を吐きながらだろうと、柳生の野郎達を何とかする為の話は続けなくちゃならず、いい加減誰もが出涸らしになってきた知恵を再度絞ろうとしたら、蕎麦湯だけでどれだけ粘る気だ、と蕎麦屋の親父に追い出されちまって、仕方ねぇから河岸でも変えるかと、往来に出、僅か進んだ時。

霜月が終わり始めた頃から容保の親父の号令で始まった、例の浪人狩りをやってた番衆らしい野郎の悲鳴が聞こえてきた。

だから、一体何の騒ぎだと、悲鳴が聞こえた方へと行ってみたら、投げ技で地面に叩き付けられた風な番衆と、平然とした顔で番衆を見下ろしてる、頑固ジジイっぽい老人がいた。

まさかな、とは思ったが、どう鑑みても、ジジイが番衆に何かやらかしたとしか受け取れなかったから、俺達はジジイを問い詰めてみたが、「この年寄りに、大の男を投げ飛ばせると思うのか?」と言われてしまえば、ご尤も、としか返すことは出来ず。

だがなあ……と、誰とと言う訳でもなく顔見合わせてた俺達に、ジジイは、腰を痛めてるから畑を耕すのを手伝え、と言ってきた。

親類縁者だってなら兎も角、縁もゆかりも無い、何処の馬の骨とも判らねぇジジイの、しかも畑仕事をってな頼みを、どうして俺達が聞かなきゃならない? と俺はジジイに文句を言って……、が、一頻り言ってから、「そうだ、確かにおかしな話だ」と、胸の中でだけ呟いた。

たまたま道端で行き会った見ず知らずの俺達に畑仕事を頼むってのも、能く能く考えてみりゃおかしな話だし、よっぽどのお人好しでもねぇ限り、俺でなくとも断るだろう頼み事を申し出て、なのに有無を言わせねぇような態度を取るのもおかしな話だ、もしかしたらこのジジイは、何か心積もりがあって俺達に近付いたんじゃねぇか、と。

何処となく喰えねぇジジイのおかしな話から、俺はそう思って。だとするならジジイのこれは、あからさまな『誘い』だ、さて、どうするよ? と、俺同様、ジジイに疑いを持ったらしい他の連中と共に、ひーちゃんに目線でお伺いを立ててみた。

と、ひーちゃんは、ほんの少しだけ考え込んでから、ジジイの『誘い』に乗ると言った。

又、随分あっさりと……、とは思ったが、ひーちゃんにはひーちゃんの心積もりがあったようだったから、だってなら、火中の栗拾いと洒落込むか、と。

俺達は、畑があるのは内藤新宿の外れだから、そこまで一緒に来い、と言うジジイの後に付いて行った。

ジジイの後に付き従い向かった内藤新宿の外れのその辺りは、田畑がある方じゃなくて、流れ者共が好き勝手に塒を見繕ってるような、物騒な一角だった。

だもんだから、ああ、やっぱり罠だったんだなと、俺は何処かのんびり構えつつ、ジジイの出方を待った。

大方、邪魔の入らねぇ所に俺達を引き摺り込みたかったんだろう、って考えが、俺の『のんびり』の訳だったんだが、そこまであからさまにしときながら、ジジイは、一先ず茶でも、と直ぐそこのあばら屋に顎を杓ってみせたから、何を言っていやがる、このジジイ……、と俺は少しだけむかっ腹を立てた。

これ以上、ジジイのおふざけなんぞに付き合ってられねぇ、と。

ひーちゃん以外の誰も、俺と同じ考えだったようで、付き合うのはここまでだ、とばかりに、九恫の奴が、ジジイは、恐らく柳生新影流の剣術を嗜んでる筈だと暴いたのを切っ掛けに、俺達はそれぞれの得物を手に、戦う構えを整えたが。

ジジイは、確かに自分は、緋勇龍斗を斃せと柳生崇高に遣わされた、と白状しながらも、俺達を小馬鹿にしてる風に笑った。

お前達のそれは、殺す為に抜き、殺す為に構え、殺す為に振る、殺人剣だと。

それでは、俺達の敵である柳生崇高の剣と、何も変わらない、と。

────俺達が、俺が、振るう剣を、殺人剣、と言われて。

思わず俺は押し黙った。他の連中も。

…………誰かを殺す為だけに、剣や剣技や剣の道が在る訳じゃない、そんなことは、その頃の俺にだって悟れてた。

けれど、突き詰めちまえば、剣も剣技も剣の道も、人を斬る──人を殺すことと隣り合わせで、刀とて、人斬り包丁って言葉と隣り合わせでしかないから。

殺人剣、なんて言葉も、ジジイが説いたことも、初耳に等しかったから。

俺は押し黙って、茶に付き合え、そして話を聞け、と再び言ったジジイに従い、あばら屋に入った。

「儂の名は、柳生────。柳生十兵衛三厳と言う」

ジジイが口にした、茶がどうたら、と言うのは、はったりでも何でもなかったらしく、日本橋で買った茶が云々と、どかり、音立てて囲炉裏端を陣取ったジジイは茶っ葉探しを始めたが、んな風に悠長にしてる暇があるんなら、とっとと話したいことを話せと、俺達はジジイを急かした。

そうしたらジジイは、近頃の若い連中は、とか何とか、ぶつぶつ文句を零しつつも、真っ向勝負と洒落込んで、てめぇの名を明かした。

────柳生十兵衛三厳。

その名を聞かされて、俺は、正直頭を抱えそうになった。

又一人、餓鬼の頃に憧れた、世に名立たる剣豪だったとの逸話持つ男が、目の前に現れやがった、と思ったから。

徳川将軍家の御家流の座を見事射止めてみせた、柳生但馬守宗矩──やはり、剣豪だ、剣聖だ、と謳われた奴の親父よりも尚、剣の腕前は秀でていたと伝えられる、謎に包まれた生涯を送った剣士、それが、柳生十兵衛。

例え、餓鬼の頃の一時だけだったとしても、俺みたいな奴が憧れなかったら嘘になる相手で、そんな奴が、武蔵の時同様、魂だけだったとしても目の前に現れたとなりゃ…………。

だが、そんな俺の秘かな動揺を他所に、ジジイ──十兵衛は、飄々と話を続けた。

柳生崇高の奴に、あの世で寝ている処を叩き起こされ、この世に連れ戻されたこと。

ひーちゃんを斃せと、あの野郎に命じられたこと。

柳生崇高の正体は、柳生双示郎崇高──自分達兄弟の末弟であること。

奴等の親父が死んだ二百有余年前、江戸柳生家で起こったお家騒動に巻き込まれ、崇高は一族より抹殺されたこと。

奴の企みは、兄である十兵衛の目には、自分を抹殺しようとした者達への復讐のように見えること。

…………それ等を、酷く飄々と、十兵衛は。

そんな話を聞かされて、まさか本当に、柳生崇高は不老不死なのだろうかと、俺達は唖然となったが。誰よりも早く自分を取り戻した美里が、だと言うなら、実の兄である十兵衛になら、崇高の企みを阻止出来るんじゃないか、と言い出した。

……けれど、美里の問い掛けに十兵衛が返した答えは、否、だった。

弟を止めはするが、それは、俺達を斃し、その上で成す、と。

自分の宿星は、俺達と道を同じくしろとは言っていない、崇高と戦ってきた俺達を斃して自分が道を開くか、崇高と同じ柳生新影流を操る自分を斃して俺達が道を開くか、二つに一つしか術はない、要するに、自分達は戦う以外に道はない、と。

「でも、柳生崇高を斃すと言う目的が同じなら、その為に力を合わせればいいのでは────

が、それでも美里は食い下がった。

目的を同じくする者同士、力を合わせると言う道は残されている筈だ、と。

「『年毎に 咲くや吉野の山桜 樹を割りて見よ 花の在処を』……って言ってなぁ」

……と、あいつは、遠い昔を見遣ってるような目をしながら笑みを浮かべて、和歌らしき物を口にした。

奴の親父が、新影流の家伝書に載せて、奴等に口うるさく聞かせた、ってことも俺達に教えた。

目的を同じくする者同士なら、道を合わせられるのでは、ってな話をしていた筈なのに、唐突に、んな物の話をされて、は? と俺達が目を瞬かせれば。

奴は、その和歌──後から、あれは和歌じゃなく、道歌と言うんだって、ひーちゃんが教えてくれた──が語る、『神氣』と言うモノのことを俺達に伝え始めた。