──京梧──
俺は聞いたこともなかった歌を口にしながらの十兵衛の話は、暫くの間続いた。
『神氣』とやらの話。
雄慶──だったと思う。俺の憶えが確かなら、だが──の奴が、『神氣』とは何だ、と尋ねた辺りから、あいつは唯々、滔々と語り続けた。
「『神氣』? それは……?」
「そのものが、そのものたろうとする意思。あっさり片付ければ、そういうことよ。吉野の山桜は、毎年、頼まれて咲く訳ではなかろうよ? そこには確かに、桜が桜たろうとする意思
さも、講釈に耳貸してみたって、お前達には判りゃしねぇだろう? と言わんばかりに、『神氣』とは何か、それを十兵衛は語って、
「『神氣』が目には見えぬように、今のままでは、お前達に『活人剣』は見えて来ぬ。お前達には見えぬ『活人剣』は、やはりお前達にとっては無きに等しい。……だが。目には見えぬモノと、初めから無いモノとでは、能く似ているようで違う。──我が身は既に朽ちた。弟の邪法にて黄泉より引き摺り戻された魂のみが、この老体に宿っている。だが、十兵衛が十兵衛で在ろうとする限り、柳生の──活人の剣は朽ちぬ。果てぬ。儂が儂で在る限り。────儂を斃し、生死をも超越
話の途中で、一転、煮ても焼いても喰えねぇ狸みてぇな言い方も、面の色も一瞬で塗り替え、何かを突き付けるように、あいつは言い放った。
………………俺達が、『力』を振るう理由
剣を、技を振るう理由
それを、今一度思い出せ、と言わんばかりに。
だからそこで、あいつと俺達の問答は終わって、死合うとするか、と軽く言って退けたあいつに釣られるように、俺達は立ち上がった。
宮本武蔵と言う剣士に、剣豪と言う呼び名が相応しいように、柳生十兵衛と言う剣士にも、剣豪と言う呼び名は相応しくて。
でも。
同じ剣豪でも、武蔵と十兵衛では、明らかに違ってた。
その違いを言葉にするのは酷く難しいが、敢えて例えるなら、武蔵の剣は『剣の為の剣』で、十兵衛の剣は『剣以外のモノの為の剣』だった、って処か。
……どっちがいいとか悪いとか、優れてるとか劣ってるとか、そういう話じゃない。
それぞれの『剣』の違いは、それぞれが辿って来た道や生き方の違いってだけだ。
…………そして、だからこそ。
武蔵も十兵衛も、剣豪、と言う等しい名で呼ばれるに相応しい、同じ生き物だったとも言えるんだろう。
等しく剣豪と呼ばれながら、その剣は、まるで陰陽のように違ってて、けれど、連中は『同じ』だった。
多分、十兵衛の奴が言ってた、『神氣』──人の世の言葉で言い表そうとすれば、そう例えるしかねぇモノに、あいつ等は、殉じ切ってその生涯を終えたのだろうから。
宮本武蔵は、宮本武蔵以外の何者でもないモノとして。
柳生十兵衛は、柳生十兵衛以外の何者でもないモノとして。
……だから、あの二人は、生き物として『同じ』だったんだろう。
剣豪としても。
それ故に。
十兵衛との死合いが終わった時、俺は、その身とその剣を以て、『神氣』ってモノを俺達に叩き込んでくれたあの剣豪を、心の中で拝むようにして見送ってた。
柳生崇高の野郎に無理矢理、とは言え、再び得た命を賭して、俺達に様々なことを教え、伝えようとしてくれたんだろう、あの男に。
俺達が護るべきもの、護りたいと思うもの、それと、正しく向き合う術を教えて、そして。
『神氣』ってモノのことをも伝えてくれた、あの剣豪に。
『神氣』。
そのものが、そのものたろうとする意思
……吉野の山桜が、武蔵が、十兵衛がそうであるように、何を悩もうが、何に後ろ髪を引かれようが、俺は、俺でしかない。
ひーちゃんが──龍斗が、例えナニモノで在ろうとも、龍斗でしか有り得ないのと同じで、俺も、俺でしかなくて。
幼い頃から焦がれ続けた、天下無双の剣を手にすること。
それを手に、剣の道の果ての頂に立つこと。
それが、『俺』だと言うなら。
俺が、蓬莱寺京梧と言う名の『俺』になるより先に、剣は俺の全てだったと言うなら。
例え、『誰』を嘆かせても。『誰』を悲しませても。
俺にはこの道しかないと、遠い昔に思い定めた通り、その道をひたすらに辿るのが、『俺』なのだろう。
だから。
龍斗が、愛おしいと思ってくれてるんだろう『俺』は、そういう『俺』でしかないなら。
『俺』は、そう在るしかないのだろう。
例え、ナニモノで在ろうとも、龍斗が龍斗でしか有り得ないのと同じで。
例え、龍斗を、どれ程に愛おしく想おうとも。
何時の日か、俺は、愛おしく想う龍斗を振り切ってでも……────。
────あの剣豪に、『神氣』と言うモノを伝えられて、そして戦って、祈るように見送って。
その時、俺は、そんな風に考えながら、十兵衛が消え去ったそこを、何時までも見詰め続けていた。