──龍斗──

柳生十兵衛との死合いに、皆、思う処があったのだと思う。

彼に連れられ訪れたあばら屋を後にし、龍泉寺へと戻るまで、私達は皆、言葉少なだった。

それでも、住み慣れた古寺が見え始めた頃には、私や京梧達だけでなく、天戒達もほっとしたようで、揃って口先が軽くなり、隙間風が多く通り抜ける寒い境内で一休みをするのしないの、との掛け合いをしながら中に入れば、杏香に付き添われて寺を訪れていた円空様が私達を待っておられた。

円空様は、柳生崇高達の企みに関して色々と考えを巡らせておられたばかりか、どうしてかは判らぬけれど、何らかの兆しをも感じられていたようで、あの男が、宮本武蔵に続き、柳生十兵衛までをも黄泉還らせたことと、十兵衛が、柳生崇高は富士に潜んでいると言い残したことを伝えると、やっと求めていた答えの全てを掴めた、と言わんばかりに、私達に、龍穴に関する話をして下さった。

大地の力──日の本を流れる龍脈が目指す先は、この国の崑崙山とも言える富士であり、その龍脈を流す龍穴は、全て、富士へと繋がっていること。

そして、『龍』が大地の力を蓄える『あぎと』に当たる龍穴は、ここ、龍泉寺の真下にあるのだ、とも。

龍泉寺の地下に、そのようなモノが隠されていると突き止めたのは、時諏佐先生だと言うのも。

…………時諏佐先生は、『如来眼』と言う『眼』──正しくは『力』と言うべきなのだろう──を持っていて、それは、大地の奥底を流れる龍脈や龍穴の在処や、人の中に流れる『正しき力』を見定められるモノなのだそうだ。

恐らく、柳生崇高は、時諏佐先生が『如来眼』の持ち主であると知っていたから、先生をあのような目に遭わせたのだろう、とも円空様は語って下さって。

円空様の話が終わって直ぐ、私達は富士へ向かうと決め、その為の支度を始めることにした。

────その日までの成り行きと、円空様の話より、一刻も早く富士へと向かわなくてはならぬと私達は悟ったけれど、東海道を行っても甲州街道を行っても、富士の登り口に着くには、どんなに急いても十日の上は掛かるから、一体どうすれば……と、ひと度頭を悩ませ、けれど。

途方も無く長い間、変わることなく龍脈を流し続けて来た、龍泉寺の地下をも貫いている『穴』は、既にこの世の理から切り離されており、例えば、今の私達にはどうしても必要な、日と月の流れを常よりも遥かに縮める、と言うようなことを叶えてくれる『路』でもある、と円空様が教えて下さったので、龍穴にまつわる、『この世の理より外れてしまっている』との言い伝えに賭けてみよう、賭けるしか術はないし、分が悪い賭けとも思えぬから、と私達は仲間達皆の志を確かめ合って。

富士までも続いていると言う龍穴の中を通って、柳生崇高に追い縋る為の支度をすっかり整えるまでには、数日の時を要した。

日と月の流れを縮める、と言う、龍穴にまつわる言い伝えが本当だったとしても、出立から幾日で富士まで辿り着けるかは誰にも判らなかったので、どうしても、食料その他の整えは必要だったし、例えばお花や武流達は、奉公先に暇を頂かなくてはならなかったし、奈涸や涼浬や万斎達には暫く店を閉じる為の支度があったし、他の者達も皆それぞれ、成すべきことがあったから。

故に、出来得る限り急ぎはしたが、明日には出立出来る、と相成ったのは、暦が師走の半ばになろうとしていた頃だった。

その間、仲間の誰もがそうだったように、私も京梧も酷く忙しくしていて、けれど、秘めた想いを互いに打ち明け終えた、水無月から文月に掛けてのあの頃の如く、旅の支度の為に奔走していた間、私達二人は、僅かな暇を見付けては、仲睦まじく寄り添っていた。

私は、神無月の頃から抱えていた憂いを半ば程度振り切れていたし、京梧も京梧で、何やらを思い切ったようで、互い、気負うことなくいられた。

……とは言っても、未だ半分程私の中に残っていた憂いは、時折私の胸を締め付けてきたし、京梧も稀に、何処となく私に対して某かを申し訳なく思っている風な気配を滲ませることがあったから、私が京梧を、京梧が私を見詰める眼差しは、度々暗く揺れもしたけれど、それでも私達は、想いを打ち明け合ったあの頃のように寄り添って、鬼哭村で始まった正月を迎える為の支度を手伝ったり、龍泉寺の早めの煤払いに精を出したりもした。

全ての支度を整え終えて、富士へと旅立ってのち、私達や仲間達を何が待ち受けているか、一つも判らなかったけれど。

年が明けた頃、私や京梧や、私達の仲や行く末が、果たしてどうなっているのかも、少しも判らなかったけれど。

少なくとも、柳生崇高一党の企みを防ぎ、無事に江戸に帰ってみせる、と私は誓っていたから。

富士より戻る頃には迎えていてもおかしくない新年を恙無く祝えるように、『変わること無い明日』──否、変わって欲しくない明日の為に、京梧と二人、私は。

そんな数日も過ぎ。やって来た、師走の十二日。

朝の内に、龍泉寺の空き部屋に積んだ、旅路に要る品が揃っているかをもう一度改め、直ぐにでも出立出来る支度を本当に整え終えたと確かめた私達は、一旦分かれて一刻後に龍泉寺の裏庭で落ち合おうと決め、それぞれ、名残りを惜しみたい相手に、暫しのいとまを告げに行くことにした。

でも、私には、これ、と言って名残りを惜しみたい相手はいなかった。

鬼哭村の皆にはその二日前に、時諏佐先生や円空様や杏花や、無事に富士より戻って来たら、私達に手習いを教えると決まった──要するに、寺子屋の先生の真似事をする気になったらしい犬神先生──私達に手習いを、との話を聞かされた頃から、私は彼をそう呼ぶようにしていた──には前日の内に、それぞれ挨拶を済ませていたので、「俺は、別れを惜しむような相手なんかいない」と言い切った京梧と二人、何時もの蕎麦屋に、蕎麦を手繰りに行った。

そうしていても、私達が交わす言葉は、常通り他愛無く、

「真に、誰の処にも顔を出さずに良かったのか?」

と、蕎麦を食べ終えた頃、何の気なしに私は京梧に尋ねた。

「旅に出るのも、あの野郎の横っ面を張り倒すのも、無事に江戸へと戻って来るのも。何も彼も、お前と一緒だってのに、誰に名残りを惜しむんだ?」

すれば、江戸の薄い酒も暫くはお預けだ、と笑いながら傾けていた猪口を掴み直し、何を当たり前のことを、と言わんばかりに、京梧は首を傾げた。

「お前も一緒だし。連中だって一緒なんだ、辛気臭いことなんざ、する必要はねぇだろう?」

「………………そうだな。それも、そうだ」

────何処までも、当然だ、との口調で京梧がそう言うから。私は、少しばかり嬉しくなってしまって。

……遠い行く末は判らずとも。行く末、私達は、こうしていられぬやも知れぬとも。

少なくとも、富士へ行き、あの者共と相対し、そして、江戸へ戻るまでは。

新年を迎えるだろう頃までは。

私達は、仲間の皆と一緒にこうしていられると、京梧も又、思ってくれているのだと、胸の中が暖かくなって。

心からの笑みを、私は京梧へ返せた。

それより半刻後。

広い龍泉寺境内の裏庭の、その又片隅にある、一見は、古びた枯れ井戸としか思えぬそこから。

円空様に見送られつつ、私達は、富士へと──柳生崇高の潜む所へと向かう旅路に立った。