──京梧──

俺がそうだったように、他の連中も、ひーちゃんも、柳生十兵衛との死合いに関して、何やら思わされたようだった。

誰もが、軽く空を見上げたり、地を見詰めたりとしながら、何処となく心ここに在らずな感じで、一言も言わずに往来を歩き続けてた。

でも、連中は兎も角、何時も通りの、ぼんやり……、とした風情で俺に手を引かれつつ足を進めるひーちゃんのツラは、少しだけ、何かを吹っ切ったような気配を滲ませてた。

だから、やっぱり俺がそうだったみたいに、ひーちゃんにとっても、十兵衛と出会い、そして死合ったことは、辛くはあれども悪い出来事じゃなかったんだろう、と思いながら、俺は竜泉寺の門を潜った。

────漸く辿り着いた俺達の塒には、円空のジジイが待ち構えてた。

勘がいいのか、それとも目端が利くのか、あの喰えない狸ジジイは、俺達を取り巻いてる事柄に変わりがあったんじゃねぇか、ってな当たりを付けてたらしく、訊きたいことがあるんじゃないか、とか何とか言い出したから、俺達は、寺の奥座敷で、火鉢に火を入れるよりも先に、その日の出来事をジジイに語って聞かせた。

すると、ジジイは徐に、龍脈や龍穴の話を始めた。

この国の龍脈は全て、日の本に於ける崑崙山とも言うべき富士に繋がってて、龍脈を流す龍穴も又、全てが富士に繋がってる、とか。

そんな龍穴の一つであり、『龍』が大地の力を蓄える『あぎと』に当たる『穴ぼこ』が、このボロ寺の真下にある、とか。

そういうモノの全てを見通せる、『如来眼』って『眼』を、百合ちゃんが持ってるんだ、とか言う話を。

……他にも、ああだこうだ、小難しい話をされた憶えはあるが、俺の耳を素通りしがちな持って回った話の仔細なんざ疾っくに忘れちまったから、それはどうでもいい。

兎に角、柳生の野郎の企みを阻む為に、今直ぐにでも富士に行かなきゃならねぇ、ってことと、でも、今から富士に向かったんじゃ、どうしたって間に合わない、ってのが話の要で、もう打つ手はないのかと、俺達は悩み、悲嘆に暮れ掛けたが。

べらぼう、と言えるくらい長い長い間、絶えること無く龍脈を流し続けて来た龍穴は、疾っくの昔に『この世の理』から外れてるから、今の俺達に絶対必要な、日と月の流れを縮める、みたいなことをも叶えてくれる、穴ぼこは穴ぼこでも、只の穴ぼこではない、とジジイが言い切ったから。

その言い伝えに賭けてみるだけの価値はあるし、賭けるしかない、と俺達は決めて。

柳生崇高や黒繩翁達を追い詰める為に富士へと向かう支度の手配には、数日掛かった。

円空のジジイが言った伝承通り、龍穴が、日と月の流れを縮められても、どれくらい縮められるかはジジイにも判らなかったから、それなりの旅支度ってのは整えなきゃならなかったし、奉公先に暇を貰ったり、長く店を閉めたりする支度をしたりしなきゃならねぇ連中もいたんで、どうしても、手間や日にちが掛かった。

そんな訳で、急げるだけ急ぎはしたが、明日には出立が、となったのは、師走の半ばがやって来る頃だった。

富士へ向かう支度を整えてた間、誰も彼も──ひーちゃんも俺も、かなり忙しくて、あちらこちらと駆けずり回ったが、そんな最中さなかでも、俺達は、望める限り共にいた。

想いを交わし合った仲だから、ってんじゃなくて……、何と言えばいいか、そうするのが当然、と言うか、当たり前以前に当たり前、と言うか、そんな風に、すんなりと思えたから。

ひーちゃんはひーちゃんで、抱えてた何かに対する踏ん切りを付け始めたみたいだったし、俺は俺で、『俺である為の俺』と、『俺が俺である為に本当に取るべき道』ってのが、十兵衛との一件以来、朧げではあったけれど見え始めていたから、大分、肩から力が抜けてて。二人共に、気負わずに向き合っていられた。

だが、そうは言っても、ひーちゃんは時折、俺のツラと腰の刀を見比べては、胸が締め付けられてるんだろう顔をするのを堪え切れないようだったし、俺も、結局はひーちゃんを『剣以外の全て』と見遣ってしまうのを申し訳なく感じること止められなかったから、例え難い沈黙が下りることもあったが、それでも俺達は、肩を寄せ合って、時には抱き合って、旅支度の為に費やされた日々を過ごし、鬼哭村の正月支度を手伝ったり、龍泉寺の煤払いに駆り出されたりってしてた。

向かう富士で、何が俺達を待ち構えているか、判りはしなかったけれど。

旅を終え、全てのことを終えた時、仲間連中や俺達の行く末がどう転んでいやがるか、それも判らなかったけれど。

少なくとも、旅を終え、全てのことを終え、江戸へと戻るまでは。

皆、揃って無事に、もう間もなくやって来る新年を迎えるまでは。

『変わること無い明日』──変わる筈無い明日の為に、俺達は二人、出来得ることを。

…………そんなこんなの内に、数日は過ぎ。やって来た、師走の十二日。

日々着々と龍泉寺の空き部屋に積まれてった、旅の為の支度が全て整ったのを再度確かめ終えた俺達は、直ぐにでも出立出来るな、と頷き合ってから、一旦、寺を後にした。

その数日前、鬼哭村に顔を出した時、俺と天戒の間で、それぞれ名残りを惜しみたい相手がいるだろうから、出立前に機会を作ってやった方がいいんじゃねぇか、ってな話になったから。

寺を出た俺達は、各々、いとまを乞いたい相手の許へと向かった。

……つっても、俺にゃそんな相手はいなかったから、「お前は?」と水を向けてやっても、別れの挨拶はもう済ませたと言って聞かなかったひーちゃんと二人、何時もの蕎麦屋に向かった。

────蕎麦屋に向かう道中も、俺達は何時も通りだった。

迷子にならねぇように、俺は、あいつの左の手首を引っ掴みつつ歩いて、あいつは、俺にそうされるに任せて歩いて。辿り着いた、見飽きたツラを晒す親父の店で、ちょいと小腹を満たすかのように蕎麦を手繰った。

冷や酒も頼んだ。

…………そんな俺達が交わす言葉も何時も通りで、

「真に、誰の所にも顔を出さずに良かったのか?」

だってのに、蕎麦を食い終わった頃、ひーちゃんが窺うように尋ねてきた。

「旅に出るのも、あの野郎の横っ面を張り倒すのも、無事に江戸へと戻って来るのも。何も彼も、お前と一緒だってのに、誰に名残りを惜しむんだ?」

だから俺は、何を言ってやがるんだと、冷や酒を注いだ猪口を掴み直しながら、逆に問い掛けてやった。

「お前も一緒だし。連中だって一緒なんだ、辛気臭いことなんざ、する必要はねぇだろう?」

「………………そうだな。それも、そうだ」

……ひーちゃん──龍斗以外に、名残りを惜しみたい相手なんて、俺にはいなかった。

そんなこと、言わずとも判ると思ってた。

その時の俺の物言いには、そんな気持ちが滲んでた。

その所為だろう、必要無い、ってな俺の言い種を受けて、あいつは嬉しそうに笑んだ。

────例え、本当の意での『行く末』は判らずとも。

旅を終えるまでは。『全て』を終えるまでは。

『変わる筈無い明日』があるんだ、って顔して。

あいつは、心からの笑みを俺に見せた。

それから半刻後。

ボロ寺の、だだっ広い境内の裏庭の片隅にある、枯れ井戸にしか見えねぇ『穴』の口から。

円空のジジイだけに見送られ、俺達は、富士へと──あの野郎共の所へと向かう旅路に立った。