──龍斗──

一見は枯れ井戸にしか見えない『口』から『穴』の中に下りたのは、初めてのことではなかった。

井戸のような口から下へと潜れば、洞穴のような、鍾乳洞のような、摩訶不思議としか言えぬ『穴』の中を延々と辿れる、と言うのは私達の誰もに周知で、龍穴の入り口だと円空様に教えて頂くまで何故なのかは判らなかったけれど、そんな『穴』は、呆れを通り越し感心するしかない程、後から後から異形が湧いて出る所だ、と言うのも私達は知っていた。

因みに、何故、枯れ井戸と見紛う『口』の下に、そのようなモノが広がっているのを私達が知っていたかと言えば、以前、境内に迷い込んだ野良猫が、そこに被せられていた蓋代わりの板がずれた隙間より中に落ちたことがあって、たまたま、野良猫が落ちる処を見ていた私と京梧と雄慶の三人で、助けに下りたことがあったからだ。

故に、その出来事を切っ掛けに、異形が湧き出るそこを、私達は時折の修行場として使っていた。

けれど、不可思議ではあるが修行場には向いている、としか思っていなかったそこが、富士までも続く龍穴を、奥底に包み隠しているとは知らず。

そのような所とは露程も思わなかった、鬼哭村にある似たような『穴』も、もしかしたら龍穴や龍脈に何か関わりがあるのだろうか、と私達は口々に言い合いながら、相変わらず湧き出る異形と戦いつつ『底』を目指した。

……三百程も、階層を下りた頃だったろうか。

漸く、私達は『底』に辿り着いた。

それまでに通り過ぎて来た所と然して変わりはしないのに、何故か『底』には異形はおらず、掠れてしまって、何と刻まれているか誰にも読めぬ文字らしきモノが彫られた石碑のみがあり、「これは一体何だろう?」と僅かばかり気に留めながら、私達は辺りを探し歩き。薄暗く、けれど薄明るいそこの片隅に、奥へと続く岩の裂け目を見付けた。

その裂け目のような『口』は、能く能く目を凝らしてやっと見付けられるかどうか、と言った感の、本当に小さな物で、裂け目の向こうから漂ってくるモノは、これまで通って来た所とは明らかに違った。

『地の底』──『黄泉の縁』へと続いているのではないか、と思わざるを得ない気配が、そこにはあった。

しかし私達は、何一つ躊躇うこと無く『口』を潜り。踏み込んだ刹那、既に、何処とも知れぬ迷い路に足踏み込んでいたのではないか、と悩まされた程、どれだけ進んでも景色の変わらぬ『其処』を、唯々、行った。

……………………龍泉寺の下に広がる『穴』を、そこまで深く潜ったのは初めてで。

黄泉へも続くのではないか、と感じざるを得ない鍾乳洞のような『其処』を行ったのも初めてで。

誰もが皆、一様に、何処となく顔を強張らせていた。

……私も。

だが、『其処』を行き始めた私が顔強張らせたのは、何が出て来るか判らない、何処まで行っても景色の変わらぬ、迷い路のような所を辿っていたからではなく。言葉にするなら、『悲しかった』からだった。

────途方も無く永い間、変わることなく龍脈を流し続けていた、この世の理よりも切り離されたと言う『其処』より、私は、感じるモノがあった。

私の中に流れるナニカと同じモノが、ここには在る、と。

この場所は、私にとても近しい、と。

……だから、私は。

未だ本当に幼くて、本当に何も知らなかったあの頃、どうしても、これだけは、とでも言う風に『皆』が私に教えてくれた、私の中には黄龍や龍脈に繋がるモノが流れている、との話は。

江戸城の松の間で円空様が仰った、私は黄龍の氣を持っている、との言葉は。

何処にも、一つも、嘘偽りなどなく。

私は、ヒト、と言うよりは、黄龍や龍脈に近いナニカなのだろう、と。

私は、ヒトに非ざるナニカなのだろう、と。

真の意で、悟って。……否、悟らざるを得なくて。

………………悲しかった。

例え、ナニモノであろうとも、私は私。私が私で在ろうとする限り、私は私。

柳生十兵衛が私達に教えてくれた通り、それが、絶対の理であるとしても。

悲しかった。

辿り続けた、私に悲しみを与えて来た地の底の路は、進めども進めども景色が変わらず、私達は、それと知らずに同じ所を堂々巡りしているだけなのではないか、との不安に駆られ続けたが。

どれ程の刻が過ぎた時だったか、柳生崇高の手下の一人の、百鬼妖堂と言う呪禁道の使い手が、私達に罠を仕掛けて来た。

それをやり過ごした後には、例の、鬼哭村に姿見せた蜉蝣と言う蟲使いの女が襲って来た。

双方共に、何とかではあったけれど討ち果たすのは敵って、彼等が待ち構えていたと言うことは、私達の進んでいる路に誤りはないのだろう、と知ることも出来たが……、蜉蝣に襲われた時、彼女の放った蟲毒を受けてしまった藍の解毒が出来ず、私達は途方に暮れた。

私達に問い詰められるまま、藍に与えた蟲毒の正体を蜉蝣は白状したが、それを解毒する物は、少なくともこの国には無い、と蟲使いの女は言い切った。

それを受け、どう足掻こうと、残された術は祈りでしかない、と私達は悟って、取り分け、藍の親友である小鈴や、兄である天戒は深く嘆き──────その時。

何処いずこより、「こちらへ……」と私達を呼ぶ声が聞こえた。

私達以外に人の在る筈無いのに、何者かの声がする、果たして何処から……? と思った時には、遠いような、近いような、そんな所から聞こえる声にいざなわれるように、いきなり、私達の体は、見えない何かに引き摺られた如くに揺らいだ。

すれば今度は、急に、辺りに蛍が飛び始めた。

薄い青磁色にも、薄い菜の花色にも見える淡い光を灯しつつ、零しつつ、飛び交う蛍はあっと言う間にその数を増やして、私達を取り巻き。唐突に、私達の目の前に、一人の男が姿を現した。

長い黒髪をだらりと垂らした、左瞼の上に傷痕を持つ、陰を背負っているような男。

己の住処に勝手に足踏み入れるな、騒ぐな、と言う彼に、小鈴や京梧が事情を語れば、

「毒────は、抜いておいた。珍しい毒だったのでな、興味を持って」

彼は、事も無げにそう言った。

男の言う通り、高い熱を出したまま横たわっていた藍は、何時の間か回復し、自ら立ち上がりもして、喜びの声で小鈴が思わず叫んだ通り、私達は、地獄で仏に巡り会った風に男に礼を述べようとしたが。

「成程。こんな所に隠れていたとはな」

共に『其処』へ潜った仲間の一人──劉が、皆を掻き分けるように進み出て、男の前に立ち塞がった。

「遂に見付けたぞ、崑崙!! この仙道士の面汚しめ!!」

──崑崙と言う名らしい彼に、劉が怒鳴り声を張り上げ、

「そうか、お前は『勾玉』を取り返しに来たと言う訳か」

「当たり前だ! 命が惜しくば、お前が崑崙山から盗み出した我等が秘宝──、大人しく返して貰おうっ!」

「…………。お前達は、『勾玉』を持つに相応しくない」

暫し、劉と崑崙との言い合いは続いて。

「何か能く判らねぇけど、それ、劉に返せねぇのか? 早くしないと、富士に行けなくなっちまう」

事情の判らぬ争いが始まったのに焦れたのだろう澳継が、説得する風に崑崙へと問えば、

「お前達、富士に行くのか? ……そうか、何故、今頃『此処』に、お前達が現れたのか不思議だったが……、ふふふ……、物事にはすべからく、理由があるものよ……。────我が名は崑崙。探求せし者。お前達にもっと近き知り合いを持つ者でもあるよ。……その男の名は────柳生崇高」

「何だと!! それは、どういう──

──柳生崇高に野望を植え付けたのが、俺よ」

澳継の問いに答えつつ、改めて名乗った彼は、柳生崇高を知っていると、あの男を『今のあの男』たらしめる切っ掛けを作ったのは己だと、打ち明けてきた。