──龍斗──
辿り着いたと言うよりも、唐突に『出た』と言った方が正しいのだろうそこは、富士の山腹のようだった。
恐らく……五合目辺り。
龍泉寺裏庭のような『口』から外へ出たと言う訳でもなかったから、何故……? とは思ったものの、これも、龍脈や龍穴の不思議かも知れないと、深くは考えず、私達は山頂を目指し始めた。
一向に止む気配を見せぬ雪の中、険しい山道を行くのは至難で、又、凍える程寒く、仲間達は気を紛らわせるように、口々に下らぬことを言い合っていた。
「この程度で寒いとか何とか言ってるようじゃ、修行が足りねぇな? お坊ちゃん?」
「誰がお坊ちゃん……──。──はっくしゅっっ……」
「ははははは。寒いの何のと言っていられるのも、今の内────。……この揺れは!?」
────先頭の一団の片隅にいた澳継が、幾度も幾度もくしゃみをしながら寒い寒いとぼやくのを、京梧はからかい、天戒は笑いながら嗜め、としていたその時だった。
酷く強い揺れが、私達の足下を震わせた。
……雪崩だった。
だが、雪崩と気付いても、どうすることも出来ず、私達は、唯、雪の波に飲まれた。
雪崩に遭って、目の前が真っ白に染まって、息が苦しい、と思って……、そこで、私の憶えは一旦途切れた。
それより暫く、私は、気を失っていたらしかった。
けれど運良く、生き埋めになるのは免れたようで、気付いた時、私の身は崩れた雪塊の上に横たわっていた。
気を失っていたのは僅かの間だった筈なのだけれど、冷たい雪に身を投げ出していた所為か、私は指先まで凍えてしまっていて、いけないと、その場を離れた。
風雪を凌げる洞穴でもないかと辺りを探しながら、散り散りになってしまった仲間達も捜したけれど、誰とも行き会えず……、京梧はどうしたろう、無事だろうか……、と案じつつ、私は山道を辿り、
「肉……。肉だ…………。血だ…………」
このまま彷徨い続けたら、流石に……、と若干の焦りを覚え始めた頃、歩だけは進めていた私の耳に、怨嗟の声が届いた。
怨霊の声だ、と悟った途端、目の前に、死霊や鬼火が現れた。
────異形、と一口に言っても、類は様々ある。
余り人が足踏み入れぬ山野に出る異形は、山の氣や、草木の氣と言ったモノが形を取っているのが大抵で、そういうモノは、私には説き伏せることが出来る。
山鬼は山鬼でも、例えば、『二度目』の慶応二年の春、天戒や桔梗と初めて会った時、彼等が私にけしかけてきたような術法で人に操られているモノは、私の言うことも聞いてはくれないけれど。
だから、私の『秘密』を知られたくない者達が誰も傍にはおらぬ今なら、説き伏せるだけで済むやも、と私は刹那思ったのに、姿現した異形は、富士詣での途中で力尽きた者達らしき死霊だったから、私の言葉にも耳は貸さぬだろうと、身は凍え切ったままだったが彼等を退け、
「おーーーーーーーーい! おーーい、ひーちゃんっ!」
これ以上、この雪の中で戦ったり彷徨い続けたりすれば、本当に命が危ない、と戦い終えたその場に暫し佇み悩んでいたら、今度は、私を呼ぶ、生きた者の声が聞こえた。
しかも、京梧の声が。
「京梧!」
声のする方へと慌てて振り返れば、もう、彼の姿は目の前にあり、
「無事だったか!? って、おい、何だ、この冷たさは……」
息切らせて駆け寄って来た彼は、伸ばした両腕で、ふわり、私を包み込んでくれた。
「冷えてしまっているけれど、私は大丈夫だ。お前も大事なかったか?」
凍え切っていた私に温もりを分けるようにしてくれる彼に、私も縋った。
「あの程度の雪崩で、俺がどうこうなったりする訳ねぇってことくらい、お前は承知だろ? 俺だって、お前がどうこうなったりする訳ねぇって、判ってたしな」
「その割には、声が切羽詰まっていたが」
「……お前がちょっとやそっとじゃ……、ってのが解ってるのと、お前のことが心配で、ってのは、話が違うんだよ」
「…………そうだな。私も、お前が無事でない訳がないと、解ってはいたが。案じてはいた。無事で良かった…………」
焦りの滲んだ高い声で呼んだのに、私を手にするや否や、京梧は不敵な口調になったから、少々意地の悪いことを言ってやれば、彼は、ふい、と少しばかり照れ臭そうにそっぽを向いたので、素直に返し、一層、私は彼に縋ってみた。
「それにしても、凄ぇ空だな。雪も酷いし……」
「多分、このままでは吹雪になる」
「だろうな。……吹雪になっちまう前に、落ち着けそうな所でも探すか。俺達が無事だったんだ、連中も無事だろうし。連中のことだ、てめぇのことはてめぇで何とか出来るだろ」
「ああ。皆がどうしたか気に掛かるが……、このままでは、私達が危ない」
「未だ、柳生の野郎も張り倒してねぇってのに、こんな所でお陀仏は御免だぜ」
縋り、私同様に冷え切ってしまっていた彼の胸に頬を押し付ければ、京梧はそれまでよりも深く私を抱いてくれて、でも直ぐに、空を見上げ渋い顔をし、私の手を引き歩き出した。
──雪が酷くなって行く一方の山腹を暫し彷徨った私達は、上手い具合に、洞穴を見付けることが出来た。
入り口は小さかったけれど、奥はそれなりに深く、雪も吹き込んで来なかったので、風雪に邪魔されつつも何とか辺りから枯れ枝を集めてきて、火を熾した。
雪の所為で湿気ってしまっていた枝を焚いたから、少し煙が酷かったけれど、ないよりは遥かにましで、雪を含み、すっかり重くなってしまった京梧の襟巻きや私の羽織り物を岩肌に引っ掻け乾かしながら、洞穴の一番奥で、言葉を交わすより先に、私達は寄り添った。
「まさか、こんなことになるとはなあ……」
「私もだ。こんなことになるとは思わなかった」
やっと、少しずつ少しずつ暖まってきた指先を擦り合わせながら、やれやれ、と京梧は溜息を付いて、私も溜息を付いて、
「間に合う……のだろうか……」
「……間に合うさ。きっと間に合う。それに、こっちには『勾玉』の片割れがあるじゃねぇか。崑崙は、陰陽二つの『勾玉』が揃ってなきゃ龍脈を操れねぇって言ってたんだ、何とかはなるさ」
「…………そうだな。京梧、お前の言う通りかも知れない。これがあれば、何とかは」
気を紛らわすように私達が始めた話は、私が崑崙から受け取った『陽之勾玉』のことになった。
「………………なあ、ひーちゃん。訊いてもいいか?」
「何を?」
「お前、やけにあっさり、そいつ、受け取ったよな。……何でだ?」
「躊躇っている場合ではなさそうだったからだ。柳生崇高の企みも思惑も、全て知っていた崑崙が、あの男から守り通そうとした物なのだから、柳生達に渡す訳にはいかないと思ったし、これが、私達の手にあれば────」
「────それだけか?」
「え?」
「本当に、それだけか?」
「ああ、そうだが? と言うか……、私は本当に、それだけのつもりだったが?」
「だったら何で、そいつを崑崙から受け取る時、お前、何かを諦めたみてぇなツラしたんだ?」
「私は……、私は、そんな顔をしていたか…………?」
「してた。我知らず、って奴だったんだろうけどな。……ひーちゃん? 何か、思うことでもあるのか?」
「それ、は…………。………………別に、思うことなど……」
自分でも気付かぬ内に、懐の奥に仕舞い込んだ『勾玉』に着物の上から触れつつ、話を続ければ、京梧は、あの刹那、私がしていたらしい顔付きの話を始め、思うことあるのか、と問うてきて。
私がしていたと言う、『何かを諦めたような顔』に心当たりが無い訳でもなかった私は、言葉を濁し、思わず俯いた。