──京梧──

『穴』から放り出された先は、何も彼もが真っ白な所だった。

正しいことを言やぁ、放り出されたってよりも、出たっつーか、踏み込んだっつーか、そんな感じなんだが……、ま、そんなことは兎も角。

崑崙の奴が逝って直ぐ、俺達は、気が付いたら富士の山腹にいた。

大体にしか判らなかったが、多分、五合目辺りだったんだと思う。

向かうんだと、ずっと念じてた富士に辿り着けたのは良かったが、どうしてそんなことになったのか謎で、でも、細けぇことを気にするのは止そうや、と誰からともなく言いつつ、俺達は山登りを始めた。

着いた時には既に降ってた雪は、これっぽっちも止む気配を見せなかった処か、酷くなる一方で、寒さも尋常じゃなくて、そんな中、険しい山道を行くのは難儀だったから、歩き続ける俺達の口からは、気を紛らわす為の下らねぇ与太ばかりが洩れた。

「この程度で寒いとか何とか言ってるようじゃ、修行が足りねぇな? お坊ちゃん?」

「誰がお坊ちゃん……────はっくしゅっっ……」

「ははははは。寒いの何のと言っていられるのも、今の内────。……この揺れは!?」

────そんな風に、俺が、寒いと騒ぐ風祭をからかって、からかえば直ぐに突っ掛かってくる『お子様』なあいつを、天戒が笑いながら嗜めて、ってしてた時だった。

いきなり、足下が揺れた。

そりゃもう酷い揺れで、直ぐに俺達は、それが雪崩だと気付いた。

けれど、雪崩だ、と悟った時には既に遅く、叫ぶ間もなく、俺達は雪崩に飲まれた。

ふるり、と体が強く震えて目が覚めた。

どうやら俺は、雪崩に巻き込まれた時に、気を失ったらしかった。

気を飛ばしてたのは、そう長いことなかったと思うんだが、丁度、尻から下が雪に埋もれちまってて、抜け出すのに手間が要った。

頭まで飲まれずに済んだのは恩の字だったが、その所為で体は偉く冷えちまって、でも、てめぇで言うのも情けねぇが、頭の血の巡りは兎も角、生まれ付き体の血の巡りはいい方だから、離れ離れになっちまったひーちゃんや他の連中を探しながら、寒さを凌げる場所も見繕いつつ辺りをうろうろし始めたら、直ぐに、冷えた体もそれなりには温まってきて。この分なら大事ねぇだろうと、それまで以上に俺は、俺以外の気配は一つもない富士の山腹の奥の、その又奥へと分け入った。

…………行けども行けども、ひーちゃんも、他の誰も見付からなかった。

寒さや雪を凌げそうな場所も。

一度は温まった体も、又候またぞろ冷えてきちまって、流石に俺も焦りを感じ始めた。

と、そんな俺の前に、いきなり、ヌッ……と死霊共が現れた。

富士詣での途中で行き倒れちまった連中が、この世へ遺した未練の塊なんだろうそれは、肉があるだの血があるだのと、ぎゃあすか騒ぎ始めやがって、うるせぇな、と苛々しながら刀を振るった。

凍えた指で得物の柄を握るのはちょいと厄介だったが、とっととひーちゃんを探さねぇと、と俺は思って、死霊共を蹴散らした。

俺が死霊共に襲われてんだから、ひーちゃん達も同じ目に遭ってたっておかしくねぇ、だったら、駆け付けてやらねぇと。……って、そんな一念で。

だが、酷い雪の中、死霊連中とやり合った所為で一層体は冷えちまって、このままじゃ、ひーちゃんを探し出す前にこっちがお陀仏だと、どうするべきか、一寸の、悩んだけれど。

「……ん…………?」

さて……、と足を留めた時、俺は、ひーちゃんの氣を感じた。

多分、思った通り、俺みたいに死霊か何かに襲われたんだろう、そう遠くない所で、ひーちゃんが氣を迸らせた風だった。

だから、その氣を頼りに駆け出して、息が切れ始めた頃、やっと俺は、ひーちゃんの後ろ姿を目に出来た。

「おーーーーーーーーい! おーーい、ひーちゃんっ!」

雪の中、ひーちゃんは思い倦ねてるように立ち尽くしてて、この寒さの中……! と俺は声を張り上げ、あいつを呼んだ。

「京梧!」

雪だけじゃなく風も酷かったが、俺の声は届いたようで、ひーちゃんは、結構な勢いで振り返った。

「無事だったか!? って、おい、何だ、この冷たさは……」

「冷えてしまっているけれど、私は大丈夫だ。お前も大事なかったか?」

呼ぶ声に、ほっとしたような声で応えたひーちゃんの傍らに勢い付けたまま寄って、元々から白い、が、その時は一層白くなってた、血が冷たくなり始めてるみてぇだった体に腕を回せば、ひーちゃんは素直に縋って来た。

「あの程度の雪崩で、俺がどうこうなったりする訳ねぇってことくらい、お前は承知だろ? 俺だって、お前がどうこうなったりする訳ねぇって、判ってたしな」

「その割には、声が切羽詰まっていたが」

「……お前がちょっとやそっとじゃ……、ってのが解ってるのと、お前のことが心配で、ってのは、話が違うんだよ」

「…………そうだな。私も、お前が無事でない訳がないと、解ってはいたが。案じてはいた。無事で良かった…………」

「それにしても、凄ぇ空だな。雪も酷いし……」

「多分、このままでは吹雪になる」

「だろうな。……吹雪になっちまう前に、落ち着けそうな所でも探すか。俺達が無事だったんだ、連中も無事だろうし。連中のことだ、てめぇのことはてめぇで何とか出来るだろ」

「ああ。皆がどうしたか気に掛かるが……、このままでは、私達が危ない」

「未だ、柳生の野郎も張り倒してねぇってのに、こんな所でお陀仏は御免だぜ」

ひーちゃんが無事だったことと、常以上に素直だったことに、安堵の思いを露にしちまった自分が、一寸ばかり照れ臭く、見栄っ張りなことを言えば、ひーちゃんは、くすりと笑いながら俺をからかってきて、だから俺は更に照れ臭くなって、そっぽを向きつつ、より縋って来たひーちゃんを抱き締める腕の力を強くしながら、一度だけ空を見上げ、あいつの手を引いた。

────益々、雪も風も酷くなる一方だったが、暫く辺りを探したら、いい具合の洞穴が見付けられた。

一晩くらいなら凌げそうだったから、手分けして枝を集めて、湿気っちまってて煙ばかりを吐くそれで火を熾して、洞穴の一番奥で、俺達は、寄り添いながら暖を取った。

「まさか、こんなことになるとはなあ……」

「私もだ。こんなことになるとは思わなかった」

体のあちこちを擦りながら、ぽつぽつ、俺達は話を始め、

「間に合う……のだろうか……」

「……間に合うさ。きっと間に合う。それに、こっちには『勾玉』の片割れがあるじゃねぇか。崑崙は、陰陽二つの『勾玉』が揃ってなきゃ龍脈を操れねぇって言ってたんだ、何とかはなるさ」

「…………そうだな。京梧、お前の言う通りかも知れない。これがあれば、何とかは」

火の暖かさに、互い深い息を吐きつつの話は、崑崙がひーちゃんに渡した『陽之勾玉』のことになった。

「………………なあ、ひーちゃん。訊いてもいいか?」

「何を?」

「お前、やけにあっさり、そいつ、受け取ったよな。……何でだ?」

「躊躇っている場合ではなさそうだったからだ。柳生崇高の企みも思惑も、全て知っていた崑崙が、あの男から守り通そうとした物なのだから、柳生達に渡す訳にはいかないと思ったし、これが、私達の手にあれば────

────それだけか?」

「え?」

「本当に、それだけか?」

「ああ、そうだが? と言うか……、私は本当に、それだけのつもりだったが?」

「だったら何で、そいつを崑崙から受け取る時、お前、何かを諦めたみてぇなツラしたんだ?」

「私は……、私は、そんな顔をしていたのか…………?」

「してた。我知らず、って奴だったんだろうけどな。……ひーちゃん? 何か、思うことでもあるのか?」

「それ、は…………。………………別に、思うことなど……」

────計らずとも、話がそんな風に流れたから、俺は思い切って、『勾玉』を仕舞った懐辺りを押さえるひーちゃんに、あの刹那より気に掛かってたことを尋ねてみたが。

ひーちゃんは言葉を濁し、そして俯いた。