──京梧──

……あの刹那、どうして、『何かを諦めたような顔』をしたんだ? と。

気に掛かっていたことを尋ねたら、俯き、言葉を濁しただけじゃなく、ひーちゃんは、はっきりと身を震わせた。

その姿は、俺が問うた『何かを諦めたような顔』に、ひーちゃん自身心当たりがあると答えているに等しかった。

あいつ自身、そんな手前の態度が答えになってることくらい十二分に解ってたんだろうが、どうしても、そうするのを止められない風で、『あんな顔』をした心当たり──今までも薄々は察してた、けれど気付かぬ振りを貫き通してきた、抱えてるんだろう『隠し事』を、どうしたって、ひーちゃんは俺にも打ち明けられないんだな、と俺に悟らせるにも充分過ぎた。

────俺がそんなことを考えてた間も、ひーちゃんの体は震え続けた。何かを恐れてる感じに。

身を震わせながらも、地面に落とされた眼差しは時々持ち上げられて、俺を盗み見るように流されて、けれど、眼差しは直ぐに地面へと落ちて。言いたいけれど言えない。怖くて言えない。……と、ひーちゃんが考えてるんだろうってのも、判り過ぎる程に判った。

………………ひーちゃんを、追い詰めるつもりはなかった。

唯、どうしても気になったことを問うてみただけだった。

ひーちゃんには『隠し事』があるらしいと気付いた頃からずっと、気付かぬ振りを貫き通しはしたが、知らぬ存ぜぬを決め込み続けはしたが、俺の頭の片隅に、それは延々と引っ掛かり続けてて、何とかしてやれるなら、ってな思い上がりも抱え続けてて、だから、『何かを諦めたような』あの顔が、その『隠し事』──黄龍の氣だとか、龍脈だとかに絡んでるなら。

龍脈を操れると触れ込みの『陽之勾玉』まで持たされて、そんな勾玉や、龍脈の持つ力の何も彼もを欲してる柳生の奴との戦いを目前に控えた今、少しでも、ひーちゃんが何を隠してるのか、そして何を恐れてるのか、知れれば……、と思っただけだった。

でも、少なくとも『その時の俺達』には、そこは、踏み込んじゃならねぇ処のようだった。

本当は踏み込んじまった方が良かったんだろうが、その時の俺にも、その時のひーちゃんにも、後一歩、奥へと踏み込むだけの何かが足りなかった。

「……ひーちゃん。震えてるぜ? 寒いんじゃねぇのか?」

────だから。

幾度となく肌を重ね合って、想いを確かめ合って、としてきたのに、どうしたって打ち明けて貰えねぇことがあるってのを、悔しくも、寂しくも思いながら、俺は、その時『も』、何も気付かぬ振りをした。

踏み込んで欲しくない、踏み込みたくないと、あいつがそう望むなら。……と思うことにして、ひーちゃんが、俯き言葉を濁し、身を震わせるのは、全て、寒さの所為だと掏り替えることにした。

「いや、そんなことは……。……もう、大分暖かくなった」

「本当にか?」

「嘘ではない。信濃で育った私が、寒さに弱い訳がなかろうに」

「お前の在が信濃だってのは、前に一遍聞いたから、ちゃんと憶えてるけどよ。未だ、足先は冷てぇじゃねぇか。……ほら」

「え? きょ、京梧っ?」

……寒いから震えてるんだろう? と、あいつの肩を抱いてみたら、焚き火を前にしてるってのにその身は未だ冷たくて、これで、全部が全部、嘘や誤摩化しじゃなくなると、何処となく安堵しながら俺は、肩を抱くだけじゃ駄目だと、仰天して声を引っ繰り返したひーちゃんを無視して、抱き上げたあいつを膝上に乗せ、足袋も草鞋も脱がれた、氷のようだった素足に自分の足を絡めた。

そうしてやれば、あいつも少しは暖まるんじゃねぇかと思えたから。

尤も、その為だけにそうした訳じゃねぇが。

『色々』と誤摩化し流せるんじゃねぇかって、下心があったのは確かだが。

「こうしてた方が、二人揃ってぼんやりしてるより、あったけぇだろ?」

「けれど、それではお前が──

──気にすんなって。俺よりも、お前の方が冷てぇんだから」

でも、ひーちゃんは困ったように、往生際悪く身動みじろいで、俺は、暴れるな、と腕の力を強くして、

「………………ひーちゃん?」

「……ん?」

「随分と……、本当に随分と、遠い所まで来ちまったな」

そんな攻防を暫く続けたら、やっとひーちゃんは黙って、だから俺も黙りこくって、沈黙ってのが続いたが……、何となく、そんな気になったから。

しみじみとした声で、あいつに話し掛けた。

「…………そうだな。私達は、随分と遠い所まで来た」

「桜が盛りだった頃、甲州街道のあの茶屋でお前と出逢った時は、まさか、富士に登らされる羽目になるとは、思わなかったよ、俺は」

「それは、私とて同じだ。あの時は、まさか、富士の頂を目指すことになるなど、思いもしなかった」

「だよな。……碌でもない野郎の所為で、こんな所まで来る羽目になっちまったが……、ま、それでも俺は、悪かねぇと思ってるよ。お前と一緒なんだ、悪くない。俺は、運命さだめなんてモンは信じちゃいねぇが、これも運命なのかもな、と思えるしな」

「そうなのか?」

「ああ。………………こんな話、お前は、俺の柄じゃねぇって笑うかも知れないが。あの茶屋でお前と出逢った時、俺は、運命に巡り逢った、そう思ったんだ。唯、てめぇの剣の腕を試してみたくて、俺よりも強い相手が欲しくて、それだけのつもりで江戸に向かおうって心積もりだっが……、あそこでお前と出逢って、背中合わせて戦って、そうしたら、俺は巡り逢いを果たす為に江戸に導かれたのかも知れねぇ、ってな、そんな兆しを覚えた」

──本当に、何となくのつもりで話を始めたのに、何時しか俺の言葉は、過ぎたあの頃に感じた想いの吐露になり、

「……私もだ」

応えるように、ひーちゃんも呟いた。

「あの時、私も、似たようなことを考えた。江戸に来たことは、そして、お前と出逢ったことは、私の運命かも知れない、と。私はお前に出逢う為に、あの茶屋にいたのかも知れない、お前が、真に私の運命だったら良いのに、と。私も思った…………」

あの時に俺が感じたそれと、等しいそれを返してくれたひーちゃんは、照れちまったのか、そっぽだけを向いたけれど、だからって、話を止める気にはなれず、

「……そうか」

「…………ああ」

「俺がそうだったように、お前もそう思ってくれてたなら、これ以上に喜ばしいことはねぇな。────ひーちゃん。あの頃の俺は。唯、誰よりも強くなること、天下無双の剣を手にすること、それだけが全てだった。それだけの為に強くなりたかった。……でもな、近頃、思うんだ。真の強さってのは、多分、そういうんじゃねぇんだろうな、ってな。そりゃ勿論、今だって、天下無双の剣は欲しいと思ってる。剣の道の頂に辿り着きたいと思ってる。でも、それだけじゃ、真には強くなれねぇんだろうと、思うようになった。…………そんなことに気付けるようになったのも、あの時、お前に巡り逢えたからなんだろうと、今では思う。──ひーちゃん。……龍斗。もしかしたら俺は、お前に『生涯』ってのを教えられたのかも知れない。……有り難うな。俺のことを運命と思い定めてくれて、俺の傍にいてくれて、『二度目』の時も、俺を忘れずにいてくれて。そうして、俺を好いて、想ってくれて。お前がいてくれたから、俺は…………」

恥ずかしそうに目線を漂わせるひーちゃんの耳許に唇を近付けて、想いの吐露を俺は続けた。

「何を言い出すかと思えば……。……私は、何もしていない。私は唯、私がそうしたかったから、お前の傍に添っていただけだ。散々お前に世話を焼かせて、迷子になる度探し当てて貰った。迷惑だったろうに……。……それに。私の方こそが、お前に『生涯』と言うものを教えられたのだと思う。お前は、江戸に来るまで私が一つも知らなかったことを、数多教えてくれた。運命とまで感じたお前に出逢えたから、私は、人を想うことも知った。強さのことにしてもそうだ。お前自身も、お前の持つ強さも、何時も真っ直ぐだ。強くなる、と言うことに対しても。私には、そこまでのモノはない。私は、細やかなモノが護れればそれで満足で。細やかなモノを護る為だけに、戦ってきたようなもので。きっと、お前が共にいてくれたから、私は今、ここにいるのだと思う」

そうしたら、ひーちゃんは少しばかり呆れた風になりながらも、等しく想いの吐露を返し続けてくれて。