──京梧──

枕代わりにと、ひーちゃんに膝を貸してやって、俺は岩壁に凭れて、暖を取り続けていたら、二人共に何時しか眠っちまった。

目が覚めた時には、もう焚き火は種火に近くなってたが、雪は止んでたからそれ程寒くはなくて、夜明けも過ぎてたみたいだった。

夕べの話も、夕べのことも、なかったように起き出した俺達は、出られる支度を終えて直ぐ、連中を探しに行こうと洞穴を出た。

そうしたら、図った如く俺とひーちゃんを呼ぶ連中の声が聞こえて、拍子抜けする程簡単に落ち合えた俺達は、軽くだけ全員の無事を喜んでから、富士の頂に向き直った。

半刻程経った頃だったろうか。

一旦は止んだ雪が又降り始めた時、けったくそ悪い、何時聞いても腸煮え繰り返る嗤い声と共に、黒繩翁の奴が現れた。

俺達の前に立ちはだかるや否や、あの野郎は、この世を統べる『力』がどうとか、そんなのを持った王がこうとか、だから何なんだ、と言いたくなるようなことばかりを捲し立てたが、そんな御託に貸してやる耳なんざ俺は持っちゃいねぇから、今度こそ絶対に逃がさねぇと、あいつ等お得意の幻術の景色の中に引き摺り込まれるに任せて、やり合いに挑んだ。

てめぇの影や、どうやったんだか、再び黄泉から引き立てて来たらしい宮本武蔵や柳生十兵衛の魂を宿してたあの二人も奴は従えてたが、少なくとも俺は、もう、どうとも思わなかった。

初めてまみえた時の、「ああ、姿は違えど、本当に宮本武蔵なんだ、柳生十兵衛なんだ」と思えた奴等じゃなかったから。

例えるなら、魂の中の肝みたいなモンを抜かれちまってたような連中に、何かを思わされる筈も無い。

だから、そういう訳もあって、連中を斃すのに、思ってたよりも手間は掛からなかった。

どっちかって言やぁ呆気無かったくらいで、大将首は柳生の野郎だからと、消える間際までああだこうだ能書き垂れてやがった悪霊野郎はとっとと捨て置いて、見えてきた山頂へと俺達は急いだ。

進む内、昨日のように雪が酷くなり始めて、目指してる場所は直ぐそこだってのに、辿り着けるかどうかも怪しくなってきちまった、と渋い顔をせざるを得なくなった頃、とうとう、目の前が開けた。

────やっと着いた、富士の天辺には。

横っ面張り倒してやるだけじゃ到底腹の虫は収まらねぇ、柳生の野郎が一人きりで立ってた。

俺達の知ってるあいつは、あいつの言う通り疾っくの昔に人じゃなくなったんだろうが、あいつだって、かつては人だった筈なのに、自分は人じゃないんだとか、そんなものと比べるなとか、散々っぱら、寝惚けるのも大概にしやがれと言いたくなったことばかりほざき続けたから、本当に、下らねぇことばっかりベラベラ喋りたがる野郎だな、と俺は苛々し始めて、とっととしやがれと、腰の刀を抜いた。

────直ぐさま戦いは始まり、持って回った言い方ばっかりしやがるあの野郎の高い声と共に、毎度の如く辺りの景色が歪んで、と思ったら霞んで、俺達は次の刹那には、ここは何処なんだ? と問いたくなるような所に引き摺り込まれてた。

だだっ広くて、何処も彼処も岩だらけで、空は、日が射さないからってのとは又違う嫌な暗さをしてて、物凄い数の稲光が見えた。

そんな所の直中に、あの野郎は、悪神としか思えない雷神を八体も従えながら在って。俺達は、行くぜ、と目と目で話し合い、一度だけ頷き合って、音立てて地を蹴った。

悪神ってよりは、悪鬼と言ってやった方が正しいのかも知れない雷神共は、人の手には余るモノだった。

あれから幾年いくとせも経った今でも正直認めたくはないが、自分は不死身なんだと言って憚らないあの野郎は、手強い…………いいや、強かった。

………………俺達──人である俺達は、悪鬼や柳生の野郎に比べれば、今尚、儚い生き物なんだろう。

俺達とは比べ物にならない刻を過ごして来た連中が生み出した技に、短い刻の中でしか生きられない俺達が生み出す技は、高が知れたものだったんだろう。

でも。

生き物として儚かろうと、短い刻の中でしか己の『力』も技も昇華出来なかろうと、そんなこと、想いって奴には関わりない。

真の強さってことにも。関わりない。

だから俺達は、悪鬼やあの野郎を前にしても、一歩も引かなかったし。引けを取ることもなかった。

あの野郎が後生大事に掲げるそれ──人ではないと言うこと、長い刻を生きると言うこと、そんなこととは全く関わりない『こと』、それを以て。

俺達は、あの野郎──柳生崇高を斃した。

俺達全員が見詰める中で、あの野郎は地に膝付き斃れて、悪鬼は掻き消え、風景は、何処だかも判らなかった岩だらけのそこから、富士の頂に戻った。

やっと、念願叶えたと、その時、俺達の誰もが思った。

だってのに、それは誤りで。斃れた筈のあいつは蹌踉よろめきながらも立ち上がり、蟲がどうたら、と叫んだ。

……そうしたら、傷付いたあいつの体が見る間に治ってった。

その光景に、ああ、又、最初からやり直しなのか……、と俺達の気持ちは怯み掛け、でも、だってなら、真にあいつが倒れるまで何度でもやってやろうじゃねぇかと、怯みそうになった手前を叱咤してたら、俺達の気持ちの隙を縫って、奴はひーちゃんに近付き、刀を振るった。

………………それに気付いた時、俺は心底、ぞっとした。

『一度目』の慶応二年の水無月の終わりのあの日の、あれをもう一度、やられちまうのか、と。

俺の目の前で、何も出来ない内に、もう一度…………、と。

だが、紙一重ではあったようだか、ひーちゃんはそれを躱して……、その代わり、崑崙から託された『陽之勾玉』を野郎に奪われちまった。

てめぇの持つ『陰之勾玉』と、ひーちゃんの『陽之勾玉』が呼び合い始めたってことに奴は気付いたらしくて、黙れ! と怒鳴りたくなる強い嗤い声を立てながら、これ見よがしに二つの勾玉を合わせた。

組み合わさったそれは、途端、眩しく光り始めて、それに合わせ、辺りには異変が起こり始めた。

あちらこちら──それこそ、空も地面も強く揺れて、その内には鳴り出し、瞬き始めた稲光が下から上へと遡って、山頂の口からは『熱』が溢れ始めた。

渦巻く『力』としか言えないようなそれ等は、あいつが握り続ける『陰陽之勾玉』に集まって。吹き荒れた、体毎持ってかれそうな強い風が止まった時、俺達は、「ここは、あの世なんじゃねぇのか……」と呟きたくなった場所に放り出されてた。

……本気で、ここは何処なんだ? と見回すしか俺達には出来なくて、そんな俺達の目の前には、酷く大きくて、そして濁ってる、真っ赤な目をギラギラさせてる巨大な黒い龍がいた。

──────黄龍。

天の四方を護り司る、四神の長であり、大地を流れるその『力』を得た者は、森羅万象を司るとの言い伝えさえある龍脈の化身でもあり、神の如き伝説の聖獣。

……あの野郎が求めたモノは、求めた『力』は、そんなモノだった筈なのに。

奴の言葉通りなら、あいつに宿ったんだろう『それ』は。

邪なだけの龍だった。