──龍斗──

………………その後。

柳生崇高の姿が私達の前より消え、彼の者がこの世に掛けた呪いも消え、昼が戻り、拾い上げた『陰陽之勾玉』を劉へ手渡した後。

私は、駆け寄って来た京梧に、耳許で怒鳴られた。

怒鳴られただけでは済まず、ガンっ、と頭に拳を落とされた。

それなりには手加減されていたのだろうけれど、それなりには痛く、どうして私が殴られなくてはならぬのかと、ぶつぶつ口の中で文句を言えば、京梧は、咄嗟のこととは言え、こっちの心の臓が止まりそうな真似をしたからだと再び怒鳴り、でも、無事で良かった、何も彼も終えられて良かったと、仲間の目も全て頭から飛ばしてしまった風に、私を抱き締めてくれた。

私も私で、良かった……、と呟きながら京梧にそうされたのを嬉しく感じてしまっていた為、大人しく、されるがままになった。

……とは言え、私達がそうしていたのは、それ程長い間ではなかったし、仲間達は、私達のそんな様を見ても、毎度の如く兄弟のように仲が良い故と受け止めていたので、さらりとその刹那は流れ、私達は揃って、晴れ晴れとした顔付きで、肩を並べて富士を下りた。

柳生崇高が立ち尽くしていたそこには、まるで彼の身代わりのように、あの大刀が積もった雪の上に深く突き刺さっていたが、私達がそれに触れることはなかった。

あの者に掛ける情けは、私の中にもないけれど……、墓標の代わりくらいにはなるかも知れない、とは思ったから。

不死身だと、必ず甦ると、その時にお前達はもうこの世にいないと、真の勝者は己であるかの如く、高らかに言い切ったあの男に、代わりと言えど、『墓標』など……、とも思いもしたけれど。

私達は、富士の頂が、そこを染め上げた一面の雪が、覆い隠す全てに背を向けた。

恐らく、人によっては、どうしようもなく間の抜けた話だな、と笑うだろうが。

どうしてかの真の理由わけは判らぬけれど、地の底の路で行き会った崑崙が逝くと同時に私達は路を抜けてしまったので、富士の何処かにある筈の龍穴へ続く入り口が判らず、帰り道は、江戸まで街道を辿らなくてはならなくなった。

龍泉寺から柳生崇高と対峙するまで、僅か二日足らずしか要さなかった──と後に判った──道程を、今度は、富士を下り、吉原宿を目指して裏街道を行って、箱根までは東海道を使い、誰も手形など持ち合わせていなかったから、箱根の関の手前で再び裏街道へと潜って、と少しばかり遠回りをさせられつつ往った私達が、内藤新宿の木戸を潜れたのは、柳生崇高との戦いを終えた日から数えて、十日の上も経っていて。

師走も残す処二日になった江戸の町は、昼が戻った為の喧噪と、間近に迫った大晦日の喧噪が入り交じって、大騒ぎになっていた。

仲間達の誰もが無事のまま戻ること出来た江戸の町では、季節外れの桜が咲き乱れていた。

東海道を辿っていた時は、常の年通り、桜木の枝には蕾みすらなかったのに、江戸に足踏み入れた途端、桜は満開だった。

そんな木々の姿に仲間達は一様に驚いた様子だったし、私も目を瞠りはしたが、江戸への道中、『皆』が延々と、『江戸の桜が狂い咲くよ、今年の花を咲かせてしまうよ』と、けたたましく感じる程に訴え掛けてきたので、少なくとも私は仰天しなかった。

────仰天はしなかったけれど、厳しく冷え込み、雪もがちらつく景色の中に、桜の花びらが舞い散るのを見遣る度、とても不思議な心地がした。

仲間達も、町の者達も、変な心地にさせられる、と口々に言いはしたが、雪と桜とを一度に楽しめると言うのも乙かも知れないと、取り戻した平穏と共に、有り得ぬ風景を楽しんですらいる様子だった。

……しかし、皆の言うことに話を合わせながらも、確かに風情はあるその光景を、私は到底楽しむ気にはなれなかった。

年の瀬の頃に桜が咲くなど、決して、有り得て良いことではないから。

それは、理に反するから。

稀に、狂い咲く桜がない訳ではないけれども、それは世の理とは違う所以があってのことで、江戸中の桜が示し合わせたように狂い咲くなど、起こって良い筈が無い。

けれど現に、その、あってはならぬことは起こっていて、それは、江戸と言う町が『如何に危うい所に在るか』を物語っているに他ならなかった。

『皆』も、『良くないことだ、何とかしなくてはいけないことだ、このままでは江戸の町がおかしくなってしまう』と、私の耳許で騒ぎ立てるのを止めなかった。

そんな『皆』の声や想いは、暗に、私に何とかしろ、と求めているかのようで、でも、そのようなことを求められても、どうしたらいいのか私に判ろう筈も無く。

故に、私は途方に暮れるしかなかったし…………、それに。

……それに、京梧が。

雪を舞い上がらせる風を受けて散る、薄紅の花びらを見上げる度、何かを思い切ったような……、何かの覚悟を決めたような……、私に嫌な兆しを覚えさせて止まない面ばかりを覗かせたから、有り得ぬ景色より、冬の桜も思いの外風流だの何だのと感じ取れるような心のゆとりなど、持てる訳もなかった。

季節外れの桜は、思いの外咲き続け、雪と共、江戸の町に降り注ぎ続け。

そして、私は。

『皆』の、良くないことだ、このままでは江戸がおかしくなってしまう、との声に翻弄され続け、京梧が垣間見せる面の様子に心乱され続け。

そのまま、大晦日を迎えた。

残り僅かだった師走──慶応二年は、そうして終わった。