──龍斗──

円空様から頂いた一対の念珠を握り締めつつ、私は京梧の許へ駆けた。

京梧自身が言っていた通り、そして私の思った通り、彼は境内の片隅にある桜の古木──大分以前、私に、私は京梧に恋をしている、と教えてくれた桜木の根元に立っていた。

……私もその古木を愛でていたけれど、京梧は私以上に愛でている風で、そこは彼の気に入りの場所の一つだったから、彼がそこに立ち尽くす姿は至極自然で、又、大層絵になっていた。

惚れた欲目、と他人は言うかも知れないが、その時の彼の姿は真に一幅の絵のようで、少なくとも私にとっては、何時までも眺めていたくなる心地にさせられる景色でもあり。曰く付きの念珠を頂いた直後だった所為もあって、私は、念珠の持つ逸話を京梧にも伝え、そして二人、黒白こくびゃく一対を分け合ったら、何時までも、春がやって来る度、このような姿の京梧を見ること出来るかも知れない、と思わず期待し、期待は期待でしかないと言うのに、甚く嬉しくもなってしまい、私は。

「……ああ、京梧」

期待や願いを無理矢理抑え込むと、円空様の用事を終え、たまたま裏庭を通り掛かったら京梧を見掛けた、と言う風な素振りを取って、立ち尽くす彼の傍らに寄った。

「お? ……何だ、ひーちゃん。ジジイの用事、もう終わったのか?」

「ああ。もう済んだ。…………処で、京梧?」

「ん? 何だ?」

名を呼びながら傍らに立てば、京梧は、何やらを深く考え込んでいたらしき渋い顔付きを塗り替え、笑みを向けてくれ、

「円空様に頂いたのだ」

握り締めたままだった黒白の念珠を、彼の前で披露した。

「念珠? ……何で、あのジジイ、こんな物寄越したんだ?」

「年始の祝いだそうだ。曰くがある品とのことで。何でも、この黒白一対の念珠は、互いに引き合い、共鳴りする力を持っていて、分け合い持てば、手にする者同士、何が遭っても、例え離れ離れになることがあったとしても、必ず互いを引き合わせてくれると言う逸話があるらしい」

「へーーーぇ……。こんな古臭い念珠に、そんな力があんのか?」

「円空様は、そう仰っていた。お守りのような物だ、とも仰っていたけれど……、でも、京梧? 私はこれを、お前に持っていて欲しい。お前と分け合いたいのだ」

佇む彼に声掛けた時には、何でもない素振りを取れたけれど、念珠を京梧に見せ、そして、円空様が教えて下さった念珠にまつわる逸話を語る内、私の声は次第に弾んだ。

……嬉しかったから。

「………………そうか。なら、有り難く貰っとくぜ。──ありがとよ、ひーちゃん」

白珠はくぎょくのそれよりも京梧には似合うだろうと思って、黒珠こくぎょくの念珠を差し出せば、彼は、僅かの間、私の手の中のそれを見詰めてから受け取り、懐に仕舞った。

「……なあ、ひーちゃん」

…………………………なのに。

私に期待を抱かせた一対の念珠の片割れを、私がそうだったように、嬉しそうに受け取ってくれたのに。

何を思ったか京梧は、次の刹那、酷く真剣な眼差しになった。

「何だ?」

どうしてそんな目をするのだ? 今、お前は何を考えたのだ? と、京梧が見せる瞳の色に、私は怯えに似たものを感じたが、彼の眼差しを真っ直ぐに受けた。

「お前……、江戸が好きか?」

「……? ……ああ、好きだ。京梧、お前も好きだろう?」

「そりゃ勿論。……俺だって、江戸が好きだ。この街を護り通せて良かったと思ってる。この街で、色んな奴に出逢ったし、色んなことを教えられた。…………でもな、ひーちゃん。もう、江戸の街で、俺のすることはない気がするんだ」

すれば京梧は、真剣な眼差しのまま私を見詰めつつ、一息に言い切り、

「京梧……?」

思わず私は、零さんばかりに瞳を見開いた。

「……ひーちゃん。何も言わずに、俺と約束してくれるか。お前は、この江戸を護れ。俺は何処にいても、お前のことを信じてるから」

いきなり、お前は何を言い出すのだ……、と訴えたかったけれど、私のそんな気持ちは言葉になってはくれなくて、瞳見開いたまま立ち尽くすしか出来なくなった私に構わず、京梧は、暗に別れを告げてきた。

「…………嫌、だ……」

誰あろう、京梧に別離を突き付けられても、私に叶ったのは、むずかる子供のように首を振って、弱々しく呟くことのみで。

「ひーちゃん」

京梧は、そんな私を諭すように、ゆっくり、静かに私を呼んだ。

「……………………ああ……」

────だから。

私が何を言っても、例え泣いて縋ってみせても、私の胸の中に居座り続けた兆し通り、京梧は、私を置いて、私には到底見遣ること出来ない剣の道の果ての頂だけを見詰めながら、私には往くことなど出来ない道を、一人きりで辿るのだ、と悟り、諦めを覚えた私は、返事代わりに頷き、暫し俯いてから、

「……代わりに……、その代わりに、京梧、一つ約束して欲しい」

ようよう顔を持ち上げ、京梧の懐に右手を差し入れ、分け合ったばかりの念珠を取り出すと、無理矢理、彼の左手に嵌めた。

「どんな?」

私のその所作は酷く荒っぽくて強引なそれだったのに、京梧は何も言わず、己の左手首に嵌った黒玉の念珠へ眼差しを落とした。

「…………待っている。例え何が遭ろうとも、お前の帰りを待っている。たった今、お前と交わした約束通り、私は江戸の街を護る。お前の、信じているとの言葉を裏切るような真似はしない。だからお前も、何が遭っても、何時の日か必ず私を迎えに来ると、約束して欲しい。その念珠を外さずに、旅の道連れとして欲しい。ずっとずっと、私はこの場所でお前を待っているから……」

彼が見詰める念珠へ目をやりつつ、己の左手には白玉の念珠を嵌めながら、私は願った。

約束をして欲しい、と。

ずっとずっと、この場所で待ち続けるから、何時の日か必ず、私の許へ帰って来て欲しい、と。

「……ああ。────ひーちゃん。……龍斗。必ず、もう一度、ここで逢おう。この────新宿で」

言い募る私の声は何時しか涙声になって、京梧は、しっかりとした頷きを返してから、今にも泣き出しそうな私を慰める風に緩く抱き締めながら、確かな声で、再びの巡り逢いを誓ってくれた。

……別れを突き付けたくせに、一も二もなく、我が儘な誓いを受け入れた挙げ句、優しく抱き締めさえするこの男は、何と酷い男だろう…………、と思いながら。

桜の古木の下で、舞い散る薄紅の花びらを浴びながら、私は、唯、彼の腕に甘んじていた。

何時までも、何時までも、そうやって抱き締めていて欲しかった。

「……龍斗。この桜が全て散る頃、俺は…………──

「………………そうか……」

けれど。

『何時までも』、そんなねがいは、呆気無く破れて。