──京梧──

…………どういう訳か。

俺が龍斗に別れを告げた数刻後──正月二日の夕方。

いきなり、内藤新宿の桜は散り始めた。

何本か、散るもんか、と踏ん張ってる木もあるにゃあったが、龍泉寺裏のあの古木は、瞬く間に花を落としてった。

夜が空ける頃には、古木の桜も散り切るだろうと踏んで、俺と龍斗は、日が暮れて直ぐの頃から境内裏手の縁側に並び座って、散る桜を眺めてた。

……何の話もしなかった。

言葉に出来ることなんざ、ある訳がなかった。

互い何も言えなくて、黙り決め込んで、遠慮がちに凭れてくる龍斗の肩を抱きながら、俺はあいつと二人、花と古木だけを。

────叶うなら。

もしも、赦されるなら。

龍斗を連れて往きたいと、俺だって考えた。

だが、未だに乱れた龍脈に諸々を左右されたまんまの江戸から、龍斗を取り上げる訳にはいかなかったし。

二人共に好いてる江戸で過ごした日々、得た仲間、やっと取り戻した安らぎと太平、それ等を龍斗から取り上げたくもなかった。

あいつでなけりゃ護れない江戸の町を放り出させて、得た全てに背を向けさせて、明日処か、一寸先のことすら見えぬ、当てもない、食っていけるかどうも判らない浪々の旅に、龍斗を引き摺り出せる筈も無かった。

………………だが。

そんなのは、所詮言い訳だったんだろうと思う。

紛うことなき俺の本心ではあったけれど、言い訳でもあったんだろう。

今にして思えば……、なんて言ったらお決まり過ぎるかも知れないが、俺は本当は、怖かったんだと思う。

強くなること、己の剣のみを信ずること、天下無双の頂きに焦がれること。

それが、俺の全てだったから。

龍斗は、『それ以外の全て』だったから。

俺は何時の日か、龍斗を泣かせちまうかも知れない。……それが怖かった。

剣の道の果ての頂の幻を追い求める余り、剣の道のみを辿る余り、何時の日か、龍斗すら、俺は、瞳に映せなくなるんじゃねぇか、って怯えた。

……泣かせたくなかった。

そんな想い、あいつにはさせたくなかった。

攫うように江戸から連れ出して、その挙げ句に泣かせちまうくらいなら、今、泣かせた方が未だましなんじゃないだろうか、と。

俺みたいな碌でなしとは遠く離れた方が……、と。

そう思った。

俺達は、もう二度と逢わない方がいいと判っていながら、叶えてはいけない約束を、龍斗と交わしちまったけれど。

寒々しい縁側で、二人、一晩寄り添った。

けれど、肌を合わせることも、唇を合わせることもしなかった。

そんなことをしちまったら、それこそ、『今生の別れ』になっちまいそうで嫌だった。

何時の日か、もう一度……、って儚いねがいくらいは残しておきたかった。

だから俺達は、寄り添うだけでその夜を終え。

……思った通り。

夜明けの少し前、古木の桜は全て落ちた。

それを見届け、陽が昇り切らぬ内にと俺は腰を上げた。

端っから、旅支度なんざするつもりはなかったから、何時も蕎麦屋に行くとしか思えないような姿のまま。

「……行って来る」

愛刀だけを連れ立ち上がった俺は、一度だけ龍斗を振り返り、言った。

「……行ってらっしゃい」

夕涼みがてらの散歩にでも行くような物言いをした俺に、龍斗は、「もう直ぐ夕餉だから」ってな感じで返してきた。

互い、別れの言葉は告げなかった。