──明治五年 初春──
──龍斗──
慶応三年の正月二日、京梧が私の許より旅立って、五年が過ぎた。
年は、明治五年になっていた。
朝靄の中に京梧が消えてしまったあの日から一年と経たぬ内に、徳川の世は終わった。
慶応三年神無月の十四日、十五代将軍徳川慶喜様が、明治天皇へ大政の返上を上奏なされ、師走の九日、朝廷が発した王政復古の大号令によって、新政府──明治政府が起こった。
時代は確かに移り変わり、龍泉寺は取り壊され、慶応四年──今では明治元年と呼び方が改められた年の卯月には、時諏佐先生が、寺の跡地に、真神學舎と言う名の学び舎を開いた。
身分や貧富や男女の隔たりなく、これからの世を生きる為に必要なことを教えてくれる真神學舎は、以前の龍泉寺のように、時諏佐先生や犬神先生が手習いを教えてくれる所で、私は時諏佐先生に勧められるまま、真神學舎の生徒になった。
真神學舎には、戦で親や家を失った者や、裕福でない家の者、行く当てのない者の為の、大きな長屋のような建物があって、私もそこに住まわせて貰うことになったから、江戸を離れる訳にはいかない、京梧を待つ身の私には都合が良かった。
……時代も、内藤新宿も、龍泉寺も、私の日々も姿を変え、仲間達も、又。
────生家の道場の師範になった小鈴や、如月骨董品店の暖簾を守ることにした涼浬、奉公先の弁天堂に婿入りするらしい武流、飛脚を続けている十郎太、新政府の剣術指南を任された美冬、織部神社の巫女として退魔に忙しい葛乃などは、それまでの暮らしを大きくは変えなかった。
お花は、日本橋に自分の店を持ち、真那は、秋月の家に妹の真由と共に引き取られ、それぞれ新宿は出てしまったけれど、江戸にいることに変わりなく、梅月も、秋月家の跡目を継ぎはしたが会おうと思えば会えて、が、ほのかは、神の教えを広めるのだと、故郷に帰ると決めたクリスと同じ船でめりけんに渡り、慶応二年の正月が明けて直ぐ、雄慶は円空様と共に高野山へ、劉も、故郷の清国へとそれぞれ戻ったし、藍は、一年程真神學舎で学んだ後、旧幕府軍と新政府軍の戦いが激しかった地へ、診療の手助けをする為に旅立った。
慶喜様が大政の返上を上奏されるを待って、鬼道衆を畳み、鬼哭村の村長となった天戒や、雹、泰山、比良坂とは、以前通り村を訪ねれば何時でも顔を合わせられたし、支奴洒門として生きることを決めた嵐王とも、少しばかり山を登れば対面出来たが。
桔梗は、陰陽道の技を伝える為に京の那智家へ養女に行き、尚雲は、鬼道書を封印すべく何処へと旅立ち、澳継も、己が技の跡継ぎを探すのだと村を離れ。
御神槌は横浜に出来た礼拝堂へ行き、万斎は放浪の旅に出、奈涸は宝とやらを探しに海を越え、們天丸は京に戻り、霜葉は戦火の激しかった蝦夷で消息を絶ってしまい、火邑も戦場に赴いて行った。
杏花は何年経っても変わりなかったが、御厨や与助達は、警察、と言う処で勤めをするようになった。
…………そんな風に、変わった者、変わらなかった者、会える者、会えなくなってしまった者と、皆それぞれ道は違えたが、各々、望む道を行ったのだろうことは確かで、相応の望みや想いを胸に抱き、新しい世を過ごし始めたのだろうけれど。
明治になったばかりの頃、私の胸の内は酷く寒かった。
江戸から、東京、と、街が名を変えても。
京梧が江戸を発って幾月が流れても、彼の行方は杳として知れなかった。
風の便り一つなかった。
慶応四年──あ、いや、明治元年、京の鳥羽・伏見にて、旧幕府軍と新政府軍の戦が始まって、それより一年と少しが経った明治二年の躑躅の季節の頃に、蝦夷の函館で起こった戦が終わるまで、国中のあちこちを戦火が覆ったから、私は彼が案じられて気が気でなくて、その内に、それ等の戦いの何れかに、京梧は巻き込まれてしまったのではないだろうかと、気の遠くなるようなことさえ考え始めてしまっていた。
このようなことになるなら、旅立たせるのではなかったと、日毎に悔いた。
それでも私は、己の心の内を誰にも悟られぬように振る舞ったつもりでいたが、私が京梧だけを想い、彼の帰りを待ち侘び、彼の行方が知れぬのに心寒々しくしているのを、時諏佐先生や天戒は薄々ながら悟ったようで、二人の目には、京梧が傍らに在った頃とは全く様子が違うと映ったらしい私を気遣う風に、二人共、三日と空けずに私の塩梅を窺いに来てくれたけれど、私の心は寒いままだった。
……けれど、丁度その頃。
函館の戦が終わったらしいと、そんな噂を人々が始めた頃。
京梧が私の前から消えて、二年と少しが経った頃。
杏花が、『と或る噂』を持ち込んできた。
彼女が持ち込んできた『と或る噂』と言うのは、京梧が江戸より姿消した頃、両国辺りに出ると噂だった鬼の話にまつわることだった。
あの頃、両国界隈では噂に高かったらしい鬼と、外法を操る密教僧に絡む何やらがあり、何故、そんなことになったのかの仔細は杏花にも掴めなかったらしいのだけれども、『刻の道』とか言う、面妖なモノに巻き込まれた侍らしき者がいたらしい、と言うのが、彼女が教えてくれた『と或る噂』の大筋で、どう聞いても、その噂の何処をどう辿っても、面妖な道に巻き込まれたらしい侍と言うのは、京梧としか思えない、と杏花は語った。
京梧の行方が杳として知れぬのは、その『刻の道』とやらに巻き込まれたからではないか、『刻の道』と言うのは、遠い昔に行ったり、逆に、遠い先の世に行ったり出来る代物らしいから、噂の全てが真なら、行方が知れぬのも道理だ、とも彼女は。
……………………その話を聞かされ、私は本当に、気が遠くなった。
もしも、遠い昔や、遠い先の世に続く道に京梧が飲まれてしまっていたなら、私達はもう二度と、生きて再びの巡り逢いを果たすことは叶わない、と思ったから。
故に私は、独り京梧を待ち侘びつつ過ごした二年と少しの間以上に、悲嘆に暮れてしまったが。
それより更に数日が経った時、再び、杏花が私を訪ねて来て、言った。
あの噂を、もう一度、能く確かめてきた。残念だけれど、京梧が『刻の道』に飲まれてしまったのは本当の話らしい。しかも『良くないこと』に、伝え聞いた密教僧達の企みから察すると、彼は、遠い先の世に行ってしまったようだ…………、と。
────それを聞かされて、以降。
私はきっぱりと、悲嘆などに暮れるのを止めた。
それを表に出したつもりはなかったけれど、どうにも聡い時諏佐先生と天戒は、突然、慶応二年だった頃のような私に戻ったことを察し、私は、杏花に聞かされた『噂』を受け入れ、京梧を潔く諦めてしまったと受け取ったようだったが、そのようなこと、有り得る筈も無かった。
『噂』を持ち込んできた杏花自身も、時諏佐先生や犬神先生や天戒達も、揃って、京梧が己の意に反し、遠い先の世に行かされてしまったのは『良くないこと』と思ったらしいが。
どのように移ろったのか、私達には思い描くことも出来なかった遠い先の世に行かされてしまった、と言うのを、『良くないこと』と感ずる気持ちは私にも察せられたが。
『良くないこと』などと、私は微塵も思わなかった。
……寧ろ。
それのみが、私にとっては『幸い』だった。