遥か遠い先の世に、京梧は無理矢理に行かされてしまったらしいと知り、私は決意した。
どのようなことをしても生き続けて、約束した通り、ひたすらに『約束の地』で京梧を待ち続けようと。
何が遭ろうとも、京梧との約束を果たすと。
京梧が、二人交わした約束を忘れぬ限り。
────その約束を果たす為、私は先ず、一つ目の約束をきちんと果たし終えることにした。
本心を言えば、直ぐにでも、京梧と再び逢う為に、と心に誓ったことを行いたかったけれど、江戸を護れ、何処にいてもお前を信じているから、との彼の言葉を蔑ろには出来なかった。
故に、私は待った。
私の中に流れる龍脈や黄龍に近しいナニカが、江戸──東京と名を変えた街を護り通せたと、感じ取るまで。
……街が、江戸から東京へと名を変えても、徳川の世から新政府の世に変わっても、明治二年のその頃は未だ、街も世も揺らいでいた。
自由だとか、平等だとか言う言葉を声高に新政府は謳い、明るく輝いた世の中がやって来ると皆は信じたけれど、そう上手くはいかなかった。
最後まで徳川に味方した藩の武士だった者達は、あからさまな差別を受けたし、薩摩や長州の者達──勿論、一部の者達だけではあったけれど──が、目に余る程、居丈高に振る舞う姿を幾度も見掛けた。
例えば吉原のような場所には、時代が変わった故の恩恵は少しも齎されず。神道のみが重んじられた所為で、仏像は壊され、寺々は焼き討ちに遭い、僧侶が石以て追われることすらあった。
如何なる神を敬おうと自由とされた筈の新しい世だったのに、切支丹達も虐げられた。
遠い昔、島原で乱が起こった頃のように、江戸の終わりのあの頃よりも、切支丹達の虐げは酷かった。
…………その全てが全てに尽くすことは到底敵わなかったけれど、世の移り変わりが齎した歪みが穏やかになるまで、出来る限りの足掻きをしながら、過ぎる日々を私は費やした。
そうこうする内、私も、生徒としては真神學舎を巣立つことになって、けれどそのまま、學舎の片隅に住まいながら、細々とした仕事を手伝い、として。
ふと気が付いたら、年は、明治五年になろうとしていた。
富士の頂にて柳生崇高を討ち倒してより、五年の歳月が流れた明治四年の年の瀬には、龍脈の乱れも鎮まっていた。
私の中に流れる龍脈や黄龍に近しいナニカも、江戸を護り遂せたと感じていたし、五年前のあの頃、『このままでは江戸の街がおかしくなってしまう』と、頻りに私に訴えていた『皆』も、何も言わなくなった。
世の中は、良きに付け悪きに付け、相変わらず賑やかだったけれど、時代の流れと言うモノが望むこと、自ら流れようとする先、それはもう、なるようになることであって、私が顧みることなど出来ぬものだったから、良きように流れること、それのみを祈ることにして。
────年が明けた、明治五年の一月二日。
狂い咲いた桜の古木の下で、京梧が私に別離を告げたあの日より数えて、丁度五年目のその日。
私は、京梧と交わした、『ここ』で何時までもお前を待ち続けるから、との約束を果たす為の『一歩目』を踏み出すことに決めた。
その前日。
明治五年、元日。
時諏佐先生達や天戒達と、例年通り新年の挨拶を交わして、花園での初詣も済ませ、呼ばれた新年の酒宴の席を辞してより、暫しが過ぎた真夜中。
人目を忍びながら、私は、犬神先生の住まう長屋を訪れた。
行灯の灯りが洩れているのを確かめてから戸を叩き、
「龍斗? ……こんな遅くに、一体、何の用だ?」
「犬神先生に、言伝
扉を開け様、不思議そうな顔をして私を見下ろしてきた犬神先生に、早口で、捲し立てるように私は言った。
「言伝? 誰に?」
「京梧にです。何時の日か、京梧が新宿
「…………蓬莱寺に? ……龍斗、だが、蓬莱──」
「──京梧が帰って来たら、伝えて欲しいんです。あの日交わした約束──この江戸を護るとの約束は、きちんと果たしたと。その約束は果たし遂せたと感じられるから、今度は、例え何が遭ろうと、京梧の帰りを待つとの約束を果たすと。約束の場所で──龍泉寺で待っているから、約束通り、私を迎えに来て欲しいと。…………宜しくお願いします、犬神先生」
「龍斗。お前、何を言っている? ──おい、龍斗! 何処に行く気だ!?」
────私が、そのような言伝を犬神先生に託したのには、ちゃんとした理由
初めて会った時、私には、犬神先生はヒトではないと悟れていた。
その正体までは判らなかったけれど、兎に角、ヒトに非ざるモノ、と言うのだけは判って、やがて真神學舎が出来て、彼が先生として『在る』ようになった時、薄々、私は犬神先生の正体を察した。
彼は、真神の別名を持つ、人狼
犬神先生と時諏佐先生の間にどのような事情があるのかは判らぬが、恐らく二人は何かを『分け合って』いて、『真神』の名が喪くならぬ限り、生きる刻が違う時諏佐先生がこの世を去っても、彼女の夢を形にした真神學舎を、犬神先生は護り続けるだろう、とも。
……要するに。犬神先生は、『遠い先の世』でも真神に在り続ける筈だ、と。
──故に私は、犬神先生に白羽の矢を立て、早口のまま、京梧への言伝を託し。先生が止めるのも聞かず、振り返ることもせず、訪ねた長屋を後にした。
その後。
私が向かった先は、真神學舎──龍泉寺の境内裏手の、桜の古木の許だった。
あの、桜の。
──桜の古木の根元に立って、私は、『別れ』を告げた。
桜の古木だけでなく、『皆』に。
全ては私の身勝手だから、すまない、などと言えよう筈も無いけれど、物心付く前から私の傍らに常に在ってくれた『皆』に、『別れ』だけは告げた。
至極、簡素なそれだったけれど。
そうしてから私は、以前は枯れ井戸の如くだった、が、真神學舎が出来た時、學舎一階片隅に造られた開かずの間のような小さな部屋に隠された、龍穴へ続く『口』の所へ行った。
灰色に塗り固められた、人が立ち入れぬ所為で埃だらけの、何も無い部屋の奥の隅に嵌る四角い鉄の扉に、身を屈めて触れると。
………………躊躇うことなく、あの日、円空様に促されるまま自ら施した封印を解いた。
あの時同様、そこは、ぽ……、と金に光り、何一つ抗わず、再び、私の前に『口』を開いた。
ぽかりと、暗く深い『口』を開けたそこに、私はするりと身を沈めた。