──1980年 4月──

──京梧──

〜真神学園旧校舎の、『地の底の路』に眠る龍斗の前で〜

…………なあ、龍斗。

何時でもどんな時でも春風みたいで、年がら年中、ぼーーー……っとしてやがるお前でも、眺めたら腰を抜かすんじゃねぇかってくらい、不思議な所に俺は流されちまったよ。

そりゃ俺だって、ついさっき『ここ』に放り出されて、何とか彼んとか、昔は龍泉寺だったって所に辿り着いたばかりだから、詳しいことなんざ、これっぽっちも判らねぇんだがな。

そんな僅かの間でも、不思議としか言えねぇってのが判る所に、俺は流れ着いた。

……どうして、こんなことになったんだろうな。

餓鬼の頃から焦がれてた天下無双の剣を求めて、剣の道の果ての頂を目指してただけなのに。

剣の道の果ての頂の幻を、ひたすら追ってただけなのに。

それが、俺の……俺だけの道だと、俺はそう信じてて。

多分、何が何だか判らねぇ今でも、俺はそう信じてて。

それ故に、旅立っただけなのに。

…………お前は、俺にとって『剣以外の全て』だった。

誰よりも惚れてちゃいたが。

後にも先にも、これ程までに惚れたのは、お前唯一人だと、胸を張って言えるが。

少なくとも、お前に別れを告げたあの時は、お前は『剣以外の全て』で、だから俺は、お前を置き去りにしたのに。

独り、あの町に残したのに。

朝靄の中、一年近く草鞋を脱いだあのボロ寺を発って幾許も往かぬ内に、幾許も経たぬ内に、俺は、不可思議な世に。

…………どうして、こんなことになっちまったんだろうな。

この世には、因果、なんてモンが、本当にあるんだろうか。

明治……つったっけか?

明治の五年の正月に、お前が犬神に預けたって言伝、確かに聞いた。

お前が思った通り、人狼なんてふざけたモノだったあいつが、ちゃんと俺に伝えてくれたぜ。

……一応、それは有り難く思ってる。くどいようだが、一応、な。

あいつがいけ好かない奴だってのに、変わりはねぇからな。

──だから、もう一度、俺は、この地の底に下りて来た。

お前が、不可思議に変わっちまった世でも尚、俺を待ち続けてくれてるって知らされて。

……ああ、確かに、お前は。

あの日の約束通り、約束を交わした『ここ』で、俺を待っててくれたんだな。

…………なあ、龍斗。

お前は、どうしてそんなに馬鹿なんだ?

ここまでの馬鹿じゃなかっただろう、お前は。俺じゃあるまいし。

二人交わした約束を守る為だけに、てめぇの刻まで止めるような真似までしちまって、どうすんだ、お前。

底抜けの馬鹿みてぇなこと仕出かしやがって……。

賭け事だって好きじゃなかっただろうが、お前は。

だってのに、こんな、大博打みたいなこと…………────

あの時、お前を置き去りにしなければ。

攫うように、お前を江戸から連れ出せば。

剣の道の果ての頂の幻を捨て去れば。

こんなことにはならなかったんだろうか。

…………間違ってた、とは思えない。

俺は、俺の為の道を辿りたかった。だからそうした。

それが俺の道だ。

でも、お前を置き去りにしたことは。お前を独り残したことは。

誤りだったんだろう。

こうなっちまうなんて誰も思わなかった、誰も判らなかった、なんてな、言い訳に過ぎない。

お前を江戸に置き去りにした、あの頃のお前に添い遂げてやれなかった、俺って碌でなしの弱さが、俺をこんな所に辿り着かせて、お前の刻を止めさせたんだろう。

……俺は、そう思う。

……龍斗。

こんな碌でなしの俺の為に、お前は手前の刻を止めるに等しい真似までして、確かに生きたまま、俺を待っててくれた。

あれから、百年の上、世の中の刻は流れたって犬神は言ってたが……、ちゃんと、帰っては来たぜ、龍斗。

…………ひーちゃん。

────なのにどうして、お前は目覚めない? お前の目は開かない?

どうして。

目の前にいるのに、どうして、俺の手はお前の身に届かない?

何で、俺達の間を阻むように、見えない何かが立ちはだかってる?

……………………龍斗。

どうして、お前は起きない……?

……帰って来たと、お前に言いたい。

俺は、お前の許に帰って来たと。

だから……、何時までも、何時もの調子で、居眠りなんざしてんじゃねぇよ、馬鹿野郎。

帰りが遅いって、拗ねてる訳じゃねぇんだろう……?

────龍斗。

今のままじゃ、どうしたってお前が目覚めてくれねぇってなら。俺は、そのすべを探してくる。

何としてでも、こんな地の底からお前を引き上げる術を見付けてくるから、すまねぇが、もう暫く待っててくれるか。

案じるんじゃねぇぞ?

ちゃんと俺が、お前を叩き起こしてやるから。

寝坊助のお前を叩き起こして、その時に。

お前に、ただいま、と告げるから。