内ポケットに仕舞った『H.A.N.T』を、上衣の上からしっかりと押さえつつ通りを抜けながら。
「失敗、失敗。……まさか、『H.A.N.T』落とすなんてなー……」
あーあ、と九龍は、ペロリ舌を出した。
────行きずりに知り合った京一と龍麻は、彼のことを、観光客か? と思ったが、そうではない。
彼、葉佩九龍は、エジプトを訪れた日本人観光客などではなく、宝探し屋を生業とする者だ。
尤も、正しくは、宝探し屋になったばかりの、これから初仕事に赴く、駆け出しも駆け出しのぺーぺーだが。
それでも彼は、世界的規模の、ロゼッタ協会、というギルドに属する、れっきとした宝探し屋である。
ロゼッタ協会は、九龍のようなハンターを有象無象に抱えるギルドで、簡単に、判り易く説明するなら、人材派遣会社の宝探し屋版、のような組織だ。
世界中のあちらこちらの遺跡に眠る『宝』を欲しがる収集家や好事家の依頼を窓口として受けて、お抱えハンター達に『お宝奪取』の仕事を振り、依頼者からハンターへと支払われる依頼料や成功報酬から、仲介料をピンハネする、と言った感じの。
表立った看板は、遺跡保護を主だった活動内容とする非営利団体であるし、ギルド本来の看板も、『古代より齎される未だ見ぬ秘宝を、人類の発展と平和の為に』だが、それは所詮、大義名分。
ロゼッタ協会とて真の姿は営利団体、大義名分は、あくまでも大義名分、という奴である。
だがまあ、『それなりに非道』で、『それなりに世知辛く』はあるが、ロゼッタ協会とて決して、『極悪非道な悪の団体』ではないし、トレジャー・ハンター、という生業に、ロマンを抱えている者、それに生き甲斐や意義を見出す者、純粋に人類の発展と平和の為に、と身を粉にする者、考古学者の見地からロゼッタに手を貸す者、とハンター達も協会職員達も、皆、それぞれの倫理や想いに従って働いている。
……九龍も、そんな者達の一人だ。
己だけが抱える『想いと目的』に従って、その道を選んだ、一人の宝探し屋。
「さーってと。気を取り直して、行きますかぁっ。いざ、ヘラクレイオンの遺跡へ!」
────だから、未だ駆け出しではあるけれど。
立派な宝探し屋ではある──例え、当人の意気込みの上だけの話だとしても──九龍は、初仕事を果たす為、協会より探索要請のあった、ヘラクレイオン遺跡へ赴くべく、協会に属する者達の間では『バディ』と呼ばれている探索協力者との待ち合わせ場所へ急いだ。
…………探索協力者、即ちバディのことを、単なる、その場限りの協力者、と割り切って見るハンターもいるし、無二の相棒として、専属のバディを伴い遺跡を転々とするハンターもいる。
が、ヘラクレイオン遺跡探索が初仕事の九龍が、バディと行動を共にしたことなどある訳もなく。
バディが、己にとって如何なる存在となり得て行くのか、未だ未だ未知数である九龍は、未知数であるが故に、未だ見ぬ今回のバディとの出逢いに目一杯心躍らせ、足取り軽く、路地の角を曲がった。
待ち合わせ場所に立っていたのは、アラブの、典型的な民族衣装に身を包んだ老商人──サラーという名の、少々人の話をスルーする質のある、まあ……良く言えばお茶目な老人で、少しばかり彼は、拍子抜けしたけれど。
カイロ市郊外にひっそりと眠っていた、伝説のヘラクレイオン遺跡に、九龍が、今回のバディのサラーに付き添われて潜ったのは、未だ午前の内だった。
だが、今、ぼんやりと機内の窓より見遣った空は茜色で。
一日と経ってないんだなあ……、と、何処か感慨深く、九龍は目を閉じた。
──ヘラクレイオンは、伝説の都市として名高い。
ギリシャの歴史家ヘロドトスの記した書物や、古文書の中にその名を残す、『女神イシスの都市』とも、『罪に因って沈んだ都市』とも呼ばれている、近年まで実在の有無さえあやふやだった、伝説の都。
エジプト北部のアレキサンドリア沖に沈んだと言い伝えられていて、数多の考古学者達の注目の的でもあって。
何故、そんな『有名な伝説』に関わる遺跡の探索を、協会は、駆け出しの新米の初仕事に選んだのだろう、と彼は思っていた。
海底に沈んだとされているヘラクレイオンに繋がる遺跡が、内陸部のカイロ郊外より潜れる、というのも不思議だった。
だが、潜ってみれば、地中深くに埋まっていた遺跡の、長い長い回廊は、アレキサンドリア沖ではなく、ペルシャ湾の地中へと繋がっているようだったし、多少、得体の知れない昆虫や爬虫類に襲われはしたものの、最深部に辿り着くまでこれと言った困難には見舞われずに済んだし、遺跡の最深部近辺は未踏の様子だったから、「ここが、伝説の都・ヘラクレイオンの遺跡って言うのが、眉唾? ここまで踏み込んだ奴がいないのは、踏み込む価値がなかったから?」と、九龍は一寸だけ、がっかりした。
協会が何を考えているのか知らないが、ヘラクレイオン遺跡探索は、明らかに新米には荷が勝ち過ぎる仕事で、でも、任されたからには相応の実績を残したい、と意気込んでいたのに、と。
………………しかし、『未だ慣れない職場』を右往左往し、十時間近くを掛け、漸く辿り着いた遺跡最深部で、協会の、遺跡統括情報局の職員に、「本当にあったらいいねー」と、誠に軽いノリで、資料と共にその存在を教えられた『玉座
何とか彼んとか、正体不明なソレを倒して、ソレとの戦闘の煽りを被って壊れた壁の向こうにあった、空気の流れのある隠し回廊を辿って地上に出れば、どうやって自分達のことを知ったのか、『秘宝の夜明け
探索したと言うか、存分に荒したと言うかな遺跡は、正真正銘怨霊の巣だったのか、辿った隠し回廊を追って来た山程の亡霊達にも襲われ、結果、レリック・ドーンからはサラー共々逃げ果せたものの、這々の体で、碌な装備もないのが判っていながら、午後の日差し照りつける砂漠を渡れば、物の見事に行き倒れ。
そんじょそこらのパソコンよりも遥かに高性能な『H.A.N.T』が協会の遺跡統括部に無線で送り続けている、九龍の『生命維持波形
…………でも。それだけのことが、一日にも満たない間に起こったことなんだ、と、閉じた瞼の裏側で、目紛しく過ぎた、この十数時間を九龍は思い返した。
「だけど……良かった……」
医務スペースの簡易寝台に横たわり直し、同じく、簡易寝台にて眠っているサラーの横顔を、薄くだけ開いた横目で眺め。
バタバタと過ぎた、慌ただしくて危険な一日だったけど……と、ホッと彼は胸を撫で下ろす。
第一印象では、頼りになるのかならないのか判らない、一寸お茶目な老人、と九龍は思ったサラーだったけれど、人当たりは良く博識で、数多のハンターと共にバディとして遺跡探索をした経験も豊富で、助言も的確で、或る意味では命の恩人でもあり、何よりも、初めてのバディになってくれたサラーが無事で良かった、と。
「次は、日本かあ…………」
──サラーは無事だった。自分も無事だった。辛うじて、玉座の碑文をレリック・ドーンに奪われずに済んだ。
本当に良かった、と胸の中で噛み締め、九龍はひょいっと気分を変え、医師達の診察を受けていた最中、メールで『H.A.N.T』に届いた、協会よりの探索要請に意識を傾けた。
──日本にて、超古代文明にまつわる遺跡の存在を確認。
場所は、東京都新宿区に所在する全寮制『天香
本メールを受信した担当ハンターは準備が整い次第、現地へ急行せよ……──。
……そんな文面で綴られた探索要請にあった、未だ見ぬ、東京都新宿区所在、天香學園高等学校へ、と。