如月骨董品店の座敷にて、『密談』が続いていた頃。

王子駅へと向かう道の途中にある、小さな公園の片隅のベンチに、京一と龍麻はいた。

「……ひーちゃん? 大丈夫か?」

「うん、平気。御免…………」

如月の家で仲間達と語らっていた時よりも、遥かに酷い顔色の龍麻を京一は抱き抱え、もう限界、と龍麻は、京一の服の胸許を握り締めつつ縋った。

「気持ち悪い……」

「吐いちまった方が楽なら──

──無理。多分何も出ない……」

勘の良い仲間達が気付いた通り、龍麻の『時差ボケ』は単なる言い訳でしかない。

仲間達と一緒の間は、出来る限り普段通り振る舞ったが、夕べから感じていた、乱れた龍脈の波動の所為で、彼の『体調不良』は酷くなっていて。

「お前……そんななのに、本当に天香に潜り込む気か? 昨日も言ったけどよ。考え直せよ」

縋って来る彼を抱き留める腕に、京一は、常以上に己の氣を乗せつつ、説得を始めた。

「……大丈夫。ずっとこんな状態が続く訳じゃないから。……こう……ね。感じる龍脈の乱れに、波があるんだ。上手く言えないけど、人間の心臓の音に似た感じの波。何時も感じる訳じゃないし、随分と弱い波だから、一寸大人しくしてれば平気だよ。京一もいてくれるし……」

だが、己には『薬代わり』にもなる、京一の、真夏の太陽の如き氣に己を浸しながらも、龍麻は彼の説得を蹴った。

「でもよ……」

「本当に、大丈夫。今はその波が強いだけ。暫くすれば消えるの判ってるし、それが消えさえすれば元に戻るし。『京一結界』、信頼してるしね」

「お前な…………。……っとに、ほんっとーーー……に頑固だよな、ひーちゃんも。……なあ。何でそんなに、あの葉佩って奴にこだわるんだ?」

「……判らない。自分でも判らない。でも、行かなきゃいけない気がするんだよ。何が何でも、あの彼を追わなきゃいけない気がして、どうしようもないんだ。何でこんなこと思うのか、俺自身不思議なんだけどさ……。…………京一に、迷惑掛けてるって、判ってる。一寸、あの彼のことを調べる為に、仲間内のコネ使わせて貰おうかって日本に戻って来ただけなのに、我が儘言うことになっちゃって、御免、とも思ってるんだけど……、そうしろって俺のこと突き動かして来る、俺の中の何かに従いたいと思うし、従った方がいいとも思えてならないから……」

何とかして、龍麻の意思を曲げられるなら、と『隙』を窺う京一に、龍麻は、『葉佩九龍』という彼そのものにこだわるというよりは、何かに突き動かされる風にしているだけだ、と、自身でもどうしようもない衝動を告げ。

「迷惑とも、我が儘とも思っちゃいねえよ。あいつから龍脈の『残り香』がするって、ひーちゃんが最初に言い出した時、俺も気にしたしな。……だろ? 今回の帰国だって、俺は結局、止めなかったじゃねえか。だから、お前が何言い出したとしても、驚きゃしないって思ってた。……但、お前の体が心配なだけだって」

そうまで言うなら仕方無い、そろそろ腹を括るかと、京一は、龍麻を抱く腕を、恋人を抱く腕に変えた。

「京一……。何か……何時も、ホントに御免……」

「謝るなっての。そうしたいと、お前自身が思うんだ。だったら、そうすればいい。俺は、俺がそうしたいと思うから、お前に付き合うんだし。……それにな。ひーちゃん。…………龍麻。俺等、お互い惚れ合ってる同士なんだからさ。今更、遠慮なんかすんなよ」

「う、ん…………」

だから龍麻は、京一の胸に伏せた面を、酷く歪めた。

────龍麻を抱く京一の腕は、恋人を抱くそれそのもので。

京一に抱き込まれている龍麻の風情は、恋人に寄り添う者そのもので。

京一の言葉通り、確かに彼等は惚れ合っているけれど、彼等の『本当』は、恋人同士などではない。

龍麻は京一のことが好きで、京一は龍麻のことが『好き』で、広州にて初めて身を重ねて以来、一年半が過ぎた今でも、躰の関係とて続いているけれど。

京一は未だに、龍麻へ、『愛してる』の一言を告げてはいない。

……否、告げられない。

彼にとって、徹底的に、『緋勇龍麻』以外の何者でもない龍麻のことを、何よりも大事な相手である龍麻だから、愛していなくとも抱けると捉えているのか、何よりも大事な相手である龍麻を、愛してもいるから抱きたいと捉えているのか、京一には今尚、判別が付けられずにいるから。

そして、彼の心がそんな風に揺れているのを知りながら、龍麻は、京一へ、今まで通りの友愛と、友愛よりも大きい恋愛を求めることを、止められずにいる。

『愛してる』の一言が返されるのを、秘かに願うのも。

…………だから。

彼等二人にとっては、文字通り『魔都』だった広州での一件以来、一年半の日々が流れても。

二人は、恋人同士、では有り得ず。

なのに、愛してる、との言葉のやり取りもないまま、離れられなくなってしまった躰の関係は、思い出したように繰り返されている。

……そう。京一と龍麻の関係は、今尚、『歪』なのだ。

京一は、龍麻へ注ぐ、『好き』の意味を見定められぬまま。

龍麻は、京一へ注ぐ、『好き』の意味を無理矢理押し込んだまま。

『歪』な繋がりを、二人は続けている。

二人共に、『歪』だと判っていながら、抱き合うことは止められずに。

………………京一は、龍麻のことが『好き』で。龍麻は、京一のことを愛していて。

なのに彼等はどうしても、自分達の関係に、それ相応の、『けじめ』を付けることが出来ずにいる。

互いが互いにとって、唯一の、絶対の存在、という部分に於いては、微塵のズレもなく、想いを重ね合わせていられるのに。

互いが互いに注ぐ、『好き』の部分だけを、どうしても重ね合わせられなくて。

……でも。

様々な意味の上で、二人は生涯離れられない。又、少なくとも京一には、龍麻と離れる気などないから。

「……落ち着いたか?」

「…………うん。もう平気、かな……」

「おっしゃ。じゃあ、ホテル戻ろうぜ」

──この刹那、再び自分達の上に降って来た、『歪』を思い知るだけの雰囲気に耐え、強引にそれを流し、龍麻の様子を確かめて、京一は、彼の肩を抱きつつ立ち上がった。

「うん。戻って、少し休みたい」

龍麻も、何時ものように自分達の『歪』を噛み締めつつも、どうしても、京一の手が離せない、と胸の中で思いながら、彼の促しに従った。

「タクシー拾うか?」

「大丈夫だってば。本当に、波さえ収まっちゃえば、どうってことない。気にし過ぎだよ、京一。今まで一年半、ずっと平気だったろう?」

「そりゃ、そうだけどよ……」

「この程度で、電車も乗れなくなるくらいなら、天香に潜り込むー、なんて、幾ら俺でも言わない。……そうだろう? 違う? ──という訳で。何処かで夜食でも調達しながら、帰ろう」

「…………判った。お前がそう言うなら。──あー、ならよ。王華にラーメン食い行かねえ?」

「又、ラーメンか……。……ま、いいや。俺も久し振りに、王華のラーメン食べたいし」

「じゃ、決まりな」

そうして彼等は、一番の親友同士、無二の相棒同士、の仮面を被って、寄り添うように、王子駅へと続く通りを再び辿った。