己が語ったことにも、九龍にも、明日香にも興味を失ったように、すたすたと行ってしまった幽花を、明日香はじっと見送っていた。

「この学園は呪われている……、か。確かに、天香学園ここには何かあるのかも知れないなあ……。人も消えるし、不吉な噂も多いし……」

余程、幽花の『助言』を気にしたのか、らしくなく、低い小さな声で呟いた彼女は、先程九龍を案内した音楽室前で語った、この学園に伝わる九つの怪談のことを、もう一度、ぽつっと語って。

「うーんっ、止め止めっ! 呪いなんて考えても仕方無いしねっ。屋上で新鮮な空気でも吸って、暗い気分を吹き飛ばそー!」

暗くなってもしょうがない! と九龍を促し、屋上を目指し始めた。

「そうだよねー。暗くなってもねっ!」

ちょっぴりだけ力み過ぎている足取りの彼女に付いて、九龍も明るい声を出し。

「ここが屋上っ! 風が気持ち良いでしょ?」

「うわー、ホントだ、気持ちいいーー!」

厚い鉄の扉の向こう側に開けた屋上スペースに、二人はポン、と飛び込んだ。

左右の隅にそれぞれ、一つずつ給水塔を有する以外何も無い、コンクリートが打ちっ放しの屋上は、とてもよく風の通る場所のようで、残暑の名残りが窺える、湿気過多な東京のど真ん中とは思えぬ場所だ、と九龍は喜色の声を上げた。

「ここから下を見るとね、天香学園が全部見渡せるんだよ。ほら、あそこ! あのドーム型の建物が温室。あっちが皆の住んでる寮で、その隣に広がってるのが先生や職員の人達の家。それで、こっちの陰気そうな森の奥に少しだけ見えるのが、さっき話した墓地」

だが、屋上の柵に縋って、ここがああで、あっちがこうで、ときゃあきゃあ語っていた明日香の声は、墓地を指差した途端、又、低くなった。

「……結構、墓石の数が多いでしょ? 行方不明者の持ち物が埋められてるって言うけど、何が埋まってるかは誰も知らないんだ。校則で、墓地には入っちゃ駄目って言われてるから。それに、あそこには墓守の人がいてね。お墓を掘り返そうとしたり、悪戯をしようとしたりする生徒がいないか見張ってるんだ。確か、最近になって、前の墓守の人から新しい人に代わったって聞いたけど……。……死体が埋まってるんじゃないって判ってはいても、学園の敷地内の中にお墓があるなんて…………一寸、怖いと思っちゃうな。九龍クンも、そう思わない?」

「怖い……。そうだなあ、確かに、怖いと言えば怖いけど……」

禁断の噂を語る風なトーンに潜められた明日香の声は、それでも、この学園の墓地にまつわる話を紡いで、一応九龍は、そんなのは怖い、という彼女の弁に同意した。

…………が。

──学園に墓地があるなんて、一寸有り得ない。行方不明者の所持品を埋めてあるっていうのは、きっと建前だ。第一、そんなに行方不明者が出るってことが、先ず異常だし。墓守まで雇って、生徒が一切近付かぬようにしてるのもおかしい。

…………きっと、あそこだ。俺が目指す場所は、あそこなんだ。

──と、内心で考えていた九龍の口許は、ほんの少しだけ緩んだ。

目指す遺跡、それはきっと……、と。

「……………………九龍クン、何か嬉しそうだね……。もしかして、ホラー好き? 肝試しがやりたいとか?」

彼の頬の緩みに気付いて、明日香は、うわー……、と目を瞠り。

「でも、面白そうだな、肝試しも。九龍クンが肝試しに行くんなら、あたしも混ざ──

そういう『遊び』もありかな、と思ったのだろう彼女は、パッと顔を輝かせた。

──ふぁーあ。うるせぇな……」

「……ん?」

「転校生如きで盛り上がって、おめでたい女だ」

「あっ。皆守クンっ!!」

すれば突然、彼女のはしゃぐ声を、気怠い声が遮った。

声に釣られ振り返ればそこには、片隅の給水塔に寄り掛かって身を投げ出している、一人の男子生徒の姿があり。

おや……、と九龍は、『先客』を見詰めた。

「授業をフケて昼寝してりゃ、屋上で大声出しやがって。うるさくて寝られやしない」

「道理で、授業中に姿が見えないと思ったら。朝からずっとここにいたの?」

「まぁな。非生産的で無意味な授業を体験するぐらいなら、『夢』という安息を生産する時間を過ごした方がマシだからな」

皆守、と明日香が呼んだ、細いパイプのような物を銜えている男子生徒は、何処までも気怠そうに、九龍には屁理屈に聞こえた科白をポンポン明日香へとぶつけ。

「よっ──と」

ひょいっと立ち上がると、じっと九龍の顔を覗き込んで来た。

「お前も、そう思うだろう? 転校生」

「あ? ……うん、まあ…………」

きちんと開かれているのか謎な、眠たそー……な瞳で見遣られ、九龍は曖昧に答えを返した。

「中々、話が判るじゃないか」

「もう……、何言ってんの、皆守クンっ。大体、そんなとこで煙草吸ってたら、先生に見付かって退学処分だよ?」

「やれるもんならやってみろよ。こいつは、煙草じゃなくてアロマだからな。所謂、精神安定剤って奴だ」

お義理、とも取れる受け答えをした九龍に、少しばかり嫌味ったらしく彼は言って、素行を咎めて来た明日香と、又やり合い始める。

でも、九龍は『呆然』と、皆守という彼の瞳を見詰め続けた。

────校内案内を買って出てくれた明日香にも、行き会った人々にも、過剰な親愛や、過ぎる情熱をぶつけまくった、暑苦しい『友達ゲット大作戦!』を展開中の、熱血少年な九龍である。

眼前で、彼と明日香がこんなやり取りをしていれば、本来なら率先して、嘴を突っ込まずにはいられないのだが。

今の彼は、別のことに捕われていた。

別のこと──皆守、という彼の瞳に。

くせ毛なのだろう、ウェーブの掛かった、長めの、暗い茶色をした前髪の中から覗く、何方かと言えば黒よりも焦げ茶に近い色した瞳は、寝不足な風に細められていて、でも、少しばかり垂れ目気味なそこから見詰めて来る瞳の奥の光はやけに鋭く、何一つ見逃しはしない、と物語っているようにも感じられて。

その瞳で見遣った全てを、刻み込める風でもあって。

……それだけの根拠、だけれど。

それだけ、だけれど。

己が勝手に受けた印象で、勝手な思い込みかも知れないけれど……、と九龍は。

…………………………彼だ、と思った。

彼だ。きっと彼なんだ。

この、皆守という名の彼こそが、心底の願いを叶える人になってくれるかも知れない、と。

巡り逢ったばかりの彼の瞳に捕われながら、歓喜とも言える想いを胸の中に湧き上がらせていた。

「アロマ? ……そう言えば、ラベンダーの香りが」

──彼が一人、『彼』の瞳と想いに捕われている間にも、明日香と『彼』の会話は続けられていた。

「どうだ? お前等も試してみるか?」

『彼』が銜えているのは煙草ではなく、アロマだ、との納得を明日香が見せて、だからなのか、からかうように、『彼』は、唇の端からパイプのような物を指先へと移し、ふいっと九龍の眼前に差し出して来た。

「……えっ? い……いいの? 試してみてもいいのっ?」

いまだ呆然とはしていたが、明日香に向けられていた『彼』の瞳が己へ向いた、それを嬉しいと感じ、九龍はやっと、調子を取り戻し……否、取り戻し過ぎ。

パッと顔を輝かせると、『頂戴』のポーズを取って、差し出されたそれを受け取った。