好都合なことに、九龍の部屋は、墓地のある森側に面している角部屋だった。
「これは、抜け出せって言ってるようなものでしょー」
備え付けのベッドや勉強机や半間のクローゼットがある室内をくるりと眺め、大して多くもない私物を適当に整理し、やはり備え付けのデスクトップパソコンの電源を入れてみたりしながら、『H.A.N.T』に届いてた、協会よりのメール二本──天香学園サーバーを経由するメールを、『H.A.N.T』に転送する手続き完了と、武器一式の『密輸送』の手配完了を知らせるメール──と、早速転送された、明日香よりの、墓地に『遊び』に行くなら必ず誘って、とのメールを読み、如何なる物でも最大級迅速にお届け致します、が看板の『亀急便』で送られて来た装備一式が収められている、でかでかと亀のイラストが描かれた段ボール箱は開かぬままクローゼットの最奥に押し込んで、ふらり、九龍は散歩という名の視察に出掛けた。
物珍しそうに忙しなく辺りに視線を送り、部活帰りの明日香と日曜日になったらテニスをする約束をしたり、校庭を清掃していた校務員の境と女性のバストサイズに関する熱い討論を交わしてみたり、ミッションスクールでもないのに存在している礼拝堂で担任の亜柚子と立ち話をしたり、夕食を摂る為寄ったマミーズで奈々子とお喋りをしたり、女子寮の自室の窓辺で外を眺めていた幽花に声を掛けてみたり、と様々に人と行き会い、少しずつ少しずつ、戻った寮の廊下が静かになって行くのを確かめながら、やっと、クローゼットから引き摺り出した段ボールを開いて、装備の確認をし、完全に寮生達が寝静まったと思しき夜半近く。
万が一、誰かに見咎められてもいいように、九龍は、個人的に『魔法ポケット』と渾名しているアサルトベストを身に着けた上から制服を着込んで、ベルトにコンバットナイフを、右肩にはSMGを、左肩には混鋼のロープを、首には暗視ゴーグルを下げ、手には革手袋を嵌め、そろそろと、部屋の窓を開けた。
ベランダなどある筈も無い、出窓風ですらない窓の外は、古い総合病院の入院病棟のように庇も何もなく。
このままロープや縄梯子を垂らしたら、発見される可能性があると、きょろっと周囲を見回した彼は、五メートル程先に植えられている木に目を付けた。
所々の部屋から未だに洩れる灯りを頼りに目を凝らせば、その枝振りは申し分ないと確信出来。
微かに鼻歌を歌いながら、ゴソゴソと懐を探って彼は、小さな鉄の杭を先に結び付けたロープを、ワイヤーガンで打ち出す。
鈍い音と共に、狙い違わず杭は木の幹に深く突き刺さり、ロープの反対側をベッドの脚に固く結び付けると、するする、お猿宜しく、ロープを伝って木へと移った。
伝って来たロープを太い枝に巻き付け、地面へと垂らし、又、するすると下りて。
「ま、バレないっしょ。塗装してあるしー」
うきうきー、わくわくー、どきどきー、と変な節の歌を歌いながら、真っ直ぐ墓地を目指した。
もう間もなく、午前零時になろうとしているその時間、墓地は、必要以上に静まり返っており、雰囲気抜群で、邪魔だなと脱いだ制服の上衣を適当な茂みに隠してより、意気揚々、彼は探索を開始する。
専用の小屋も持つ墓守がいるという墓地だから、要らぬ音を立てぬようにして。
やはりここは定石からと、そうっとそうっと、一つずつ、墓石を改めて行った。
と、仕事に没頭し始めた彼の背後で、ダダっ! と足音が響き。
「九龍クンっ」
この場の雰囲気に似つかわしくない、元気溌剌な少女の声がした。
「げっっっ。明日香ちゃんっっ」
慌てて振り返ったそこに立っていたのは、声が示した通り明日香で、まさか、こんな時間に本当に墓地まで来るなんて、と九龍は、思わず高く叫んだ。
「へへー。こんな夜に墓地に来て何してんの? まさか、一人で肝試ししてる訳じゃないよねえ? 幽霊は、一人きりで対面する主義? んもー、誘ってってメールまでしたのにぃ」
そんな彼に、明日香は声高に文句を垂れ始め。
「や、その。主義って言うか何て言うか……。ほ、ほら! 女の子をこんな時間に連れ出すのは紳士じゃないし!」
「何言ってるの。肝試しってのは夜中にやるもんじゃない。……って、それは兎も角……随分と分厚そうなベスト着て、手袋にゴーグルまでして、何してるの? 九龍クン、何でそんな格好? …………ねえねえ。背中のそれ……」
「だから、えーと、えーと……。そ、そうっ。俺は本当は肝試しをしたくてここに来たんじゃなくって、サバイバルゲームが秘かな趣味だからでっ。背中のこれはエアガン! 玩具っ! 今日は、夜間戦闘に繰り出すぜー! な設定で一人遊ぼうかとっっ」
「……どっかで、そういう格好の人、見たことあるんだよねー」
「…………もしもしー? 明日香ちゃーん? 俺の話聞いてますかー? サバイバルゲームする格好だもん、明日香ちゃんだって一回や二回、見たことあるって」
「何だったかなー。ト……ト…………、トリ……じゃないし、トロ……?」
九龍の、苦し紛れの言い訳を綺麗さっぱり無視した彼女は、彼の格好に心当たりがあると、頭を捻り始めた。
「………………判った。明日香ちゃん、白状する。天香学園三年C組在籍の葉佩九龍とは仮の姿。俺の本当の正体は、トロ職人なんだ!」
「ああ! 毎朝新鮮なネタを仕入れてっ」
「そうそう! お客さんに美味しいトロを食べて貰うっ」
「……九龍クン。幾らあたしでも騙されないよ?」
「あ、やっぱり?」
「ん、もうっ。あたしは、九龍クンと漫才する為にここまで来たんじゃないのっ。いいよ、後で自分で調べるから。──まあ、でも見付かったのがあたしで良かったじゃない。九龍クンが唯の転校生じゃないって、誰にも言わないから安心して。二人だけのひ・み・つ!」
故に、更にトチ狂った言い訳を九龍は重ねたが、それは、明日香と漫才を繰り広げただけで終わり、明日香は、怒ったり威張ったりと、忙しく気分を変えて。
「…………うん。……絶対に、誰にも言わないでくれるかな、俺の、サバイバルゲームの趣味のこと」
「…………うん。……絶対に、誰にも言わない。九龍クンの正体」
「明日香ちゃーん……」
「大丈夫、大丈夫。同級生じゃない、あたし達。処でさ、何か面白い物でも見付かった? 探してみようよ!」
欠片も、九龍の言い分など信じない、と彼女は、辺りの薮を漁った。
「墓地なんて、何処も怪しいよねー。うーん…………。ん?」
「あれ? 今……」
「何か音がしなかった?」
「したね」
静寂の墓地にガサガサと音が響くのも気にせず、探索! と意気込む彼女を九龍は留めようとして、が、その時、少し離れた所から、何かが動く音がし、次いで、ガタリ、と固い物が倒れる音と、歯車が軋むような音が聞こえた。
「あっちからだね。見に行ってみよっ」
突然の音が湧いた方へと明日香は走り出し、九龍も後を追う。
「確か、この辺りから────」
「穴だ」
そうして、駆け寄った付近を隈無く探してみれば、整然と並ぶ墓石の一つの下に、穴が空いているのに九龍は気付いた。
「何の穴だろ? 人が一人通れるぐらいはありそうだけど……」
「さーて……」
見付けたそれを取り囲むように二人はしゃがみ込み、暗く、底の見えない穴を覗き込む。
「おい」
「きゃっ!!」
と、さっきはこんなのなかったのに……、と首を傾げた九龍の真後ろで、突然気配と声が湧き、明日香が悲鳴を上げた。
「全く……困った連中だぜ」
「皆守クンっ!」
「甲太郎……」
嘘だろうっ? 気配もなしに近付くなんて! と肩に担いだSMGに手を掛けながら、バッと九龍が振り返ればそこには、煙を立ち上らせる似非パイプを銜えた甲太郎が、怠惰な姿勢で立っていた。