こんな時間だから、寮の前まで送ると、九龍は明日香に言ったが。

「平気、平気! 所詮学園の中だもんっ。でも、有り難うね、九龍クン。皆守クンも」

「だけど……誰にも見付からないように戻れる?」

「へっへーん。伊達に、三年も住んでないよっ。抜け道はバッチリ! じゃ、お休み。又明日ね!」

大丈夫だと、元気良く手を振って、明日香は、目前に迫った女子寮へと走って行った。

「……じゃあな」

「あっ、甲太郎! 今夜は、本当に御免。それと、さっきは庇ってくれて有り難う」

彼女の、タタタタタっという軽快な足音が遠くなった頃、欠伸を噛み殺しながら背を向けた甲太郎に、九龍は詫びと礼を告げる。

「そんな風に言われる筋合いはない」

「だけどさ」

「悪いと思うなら、この先卒業まで大人しくしてろ。俺はこれ以上、お前等に振り回されるのは御免だ」

「や、積極的に振り回した訳じゃ」

「あ?」

「いえ、何でもありませーん。反省してます、ホント反省してます」

何を言っても、頭を下げても、機嫌が悪いのか、甲太郎の態度は素っ気ないままで、「振り回されたくなかったら、俺達が墓地にいるの、見なかったことにすればいいのに」と、口の中でブツブツ零して、九龍は愛想笑いと共に、もう一度頭を下げた。

「信じられるか、そんな軽い発言」

「本当だって。本当に反省してるし、本当に有り難うって思ってるんだってば。ホント、助かったよ。甲太郎が、あの墓守の人の知り合いで」

「……? あのジジイは、俺の知り合いでも何でもないぞ?」

「え? だって、あの人が新しい墓守だって知ってたし、俺のこと、転校生だから勘弁してくれって言ってくれてたじゃん。甲太郎とあの人に面識ないんなら、あの人にしてみれば、俺が転校生だろうが何だろうが、俺も明日香ちゃんも甲太郎も、同じ校則違反の生徒にしか見えないだろう?」

「…………考え過ぎだ。本当に、俺とあいつは知り合いじゃない。ああいう風に言ったのだって、道に迷って寮に帰れなくなった転校生と、それを探しに来た同級生って言い訳が通ると思ったからだ」

「でも、間に入って庇ってくれたじゃん」

「お前のその、イカれてる以外の何物でもない格好をまじまじ見られたら、どんな言い訳も通らなくなるからだろうがっっ」

寮はもう直ぐそこなのに、戻ろうとする甲太郎を引き止める風に九龍は立ち話を始め、彼が言い募ることに、苛々と甲太郎は声を荒げた。

「声、でっかいよ」

「お前の所為だ、葉佩九……──。……ああ、もうっ! とっとと部屋に帰れ、とっととっ! そして寝ろっ! このお騒がせ転校生っっ」

その果て、うっかり九龍のフルネームを口にし掛け、慌てた風に途中で飲み込み、銜えていた似非パイプを荒っぽく振って、燃え尽きてしまったフィルターを地面に捨てると、乱暴な仕草で新しいフィルターを差し、火を点けた。

「判ったってば。……って、あ。制服の上衣忘れて来た」

「朝、取りに行け」

「…………うん、そうするよ」

立ち上る煙と共に強く香り出したラベンダーを胸一杯に吸い込んで、「丘紫ねえ……。確か、香料用に栽培される、遅咲きのラベンダーの品種の一つだったっけ」と、何時か読んだ本の記載を思い出しながら、又明日、と九龍は彼に手を振る。

「……又、明日な」

ひらひらーっと右手を揺らし、えへら、と笑う九龍を胡散臭気に一睨みし、甲太郎は寮の裏手へと消えた。

「お休みー。でも、忘れ物は朝じゃなくて今取りに行く。御免ね」

念入りに、甲太郎の気配が消えるのを待って、くるん、と九龍は身を返した。

出来る限り足音を消し、森を抜け、墓地へと舞い戻った彼は、今度あの老人に見付かったら、スコップで脳天ぶん殴られそうだと、匍匐前進で穴の空いていた墓石へと近付き、穴の直径を計ってから、傍に転がっていた大きめの石を一つ、ぽいっと中に放り込む。

ヒュっと暗い口の中に消えた石は、少しして、コーーン……、と何かにぶつかる音を返して来た。

「…………結構、深そうだな」

息を殺し聞き耳を立て、十五メートルくらいはありそうと、いい加減な計算をすると彼は、又、ずりずりと地を這い、置き去りにしてしまった制服を引っ掴んで、今度こそ寮へと戻った。

一時間程前、部屋を抜け出した時と全く逆にロープを辿り、部屋に渡したそれをするするっと伝って…………──

「俺は、とっとと部屋に帰って寝ろって、そう言わなかったか?」

後もう一度腕を伸ばせば、自室の窓辺に手が届く、という時、直ぐそこから、甲太郎の声がした。

「えーーーー……と……」

ギギギギ……、と長い間油の射されていないロボットのように、ぎこちなく首を巡らせればそこには、九龍の隣室が自室の彼が、私服に着替えた姿で、似非パイプを燻らせつつ、窓枠に頬杖を付き、じーっとこちらを見ていた。

「何だ? 申し開くことがあるのか?」

「……一つもございません、お奉行様」

「俺が奉行なら、差し詰めお前は、打ち首獄門が相当の、悪徳商人ってトコか? ……お前なあ……。それに何なんだ、その大仰な脱走方法は」

「あー。お叱りも受けますし、言い訳もさせて頂きますんで。取り敢えず、部屋入っていい? このままぶら下がってるの、結構辛いんだよ」

「そのまま落ちちまえ。お前みたいな奴は、一遍痛い目見た方がいい」

「甲太郎ー…………」

「聞く耳は持たない。いっそ、本当に落ちるまでそうしてろ。俺が最期まで見届けてやる」

「御免っ。御免っっ。御免なさいっっ! つか、ホントに落ちるから! 俺は部屋に入るっ!」

冷たい風でも、呆れている風でもないが、どうにも痛過ぎる視線に晒され、ひたすら九龍は姿勢を低くし、けれど甲太郎の言葉も態度も素っ気なくて、何とかして彼の機嫌を直したいが、何時までもこんな所にぶら下がってる訳には! と、這々の態で九龍は自室に飛び込み、ロープの回収もそこそこに、バッと部屋を飛び出ると隣室へ駆け寄り、ココココ……と、廊下を挟んでずらりと並ぶ各部屋で眠っているだろう同級生や同窓生達の迷惑にならぬ程度、ドアをノックした。

「あのー。甲太郎ー?」

しつこくしつこくノックをしても、反応はなく。

より一層しつこく、九龍はノックを続けた。

「こーたろーさーん……」

「…………寝ろ。と言うか、俺を寝かせろ」

「ううううう。御免…………。お休み……」

すれば、長らくが経ってより、漸く、溜息付き付き甲太郎はドアを開けて、一言だけ告げると、九龍の鼻先でバタリとドアを閉めた。

故に、肩を落としトボトボと、彼は部屋に戻った。