今更、と堂々、室内の灯りを灯し、土で汚れたベストや服を床の上に放り投げて、バフンっ! と九龍はベッドにダイブした。
「うー、散々忠告無視したからなあ。見捨てられたらどーしよー」
東京に着いてから天香を訪れるまでの十日程の間に買い求めた新品のシーツは未だ固かったが、そこに頬を押し付けグリグリと擦ってから、うひゃー! と九龍は枕を抱き締める。
忠告を悉く無視した同級生──即ち己を、甲太郎が見捨てたら、と。
「ま、有り得ないと思うけどね…………」
だが、決してそうはならぬだろうと確信し、彼は重苦しい溜息を吐いた。
自身の生業である、生き馬の目を抜く商売が、今ばかりは憎らしい、と思って。
──寝付けなくて散歩をしていたら、たまたま墓地にいるお前達を見掛けたんだ、との甲太郎の言い分は、嘘だ、としか九龍には考えられなかった。
校則違反を犯している同級生を咎める為だけに墓地に踏み込んだ一般生徒に、あそこまで気配を消す必要などない。
第一、一般的な高校生に、一応は宝探し屋の端くれに、毛筋程の気配すら悟らせないような芸当が出来る筈も無い。
それに。
九龍が慌てて振り返った時、甲太郎の似非パイプには火が点いていた。
ラベンダーの香りも、漂って来た。
……完璧に気配を殺せる者でも、アロマの香りまでは消せない。
なのに、その香りすら、振り向くまで感じなかったということは、甲太郎は九龍と明日香の背後を取ってから、ライターを擦る音さえ立てさせずに、似非パイプに火を点けた、ということになる。
そんなことが、一介の高校生に成し得るとは到底思えないし。
今宵より以前に墓地に踏み込んだことがなければ知る由もないだろう、墓守の老人の顔も知っていたし、寮に引き上げた後も、あんな風にぶら下がっていた九龍を彼は見付けた。
……だから。
これはもうどう考えても、甲太郎が己と接触を持とうとするのは、何らかの明確な意図を持つが故、との答えしか、九龍には見付けられなくて。
甲太郎はやっぱり、『奇妙』な《生徒会》に、何か関わりがあるのかも、とも感じられて来て。
こいつだ! とすら思った相手を、こんな風に疑う自分の生業が、どうしようもなく嫌だ、と彼は、枕を抱えたままベッドの上でのたうち回った。
「で、でも! うん、もしかしたら甲太郎は、物凄い武芸の達人で、俺みたいなぺーぺーの宝探し屋なんかには気配悟らせないくらい朝飯前で、墓守のじいさんの顔知ってたのは、実は奴は物凄い好奇心の塊だ、な辺りが真相で、俺に話し掛けたりしてくれるのは、やっぱり何処までも人情に厚いオカン属性だからかも知れないしっ!」
────彼だ、と想い定めた相手、甲太郎は。
甲太郎は、甲太郎は………………、と胸の中で繰り返しながらも。
九龍は、激しく強引なストーリーを捻り出して、そうやって納得しよう! と無理矢理に思い込んだ。
「良しっ! 朝になったら、甲太郎捕まえて今夜のこと謝って、言い訳も聞いて貰おうっ! で以て、明日の夜には遺跡探索開始っ!」
落ち込んで堪るもんかと、枕を放り出し、ガバリと起き上がった彼は、Tシャツ短パン姿で胡座を掻き、『H.A.N.T』を起動させると、様々な意味で品揃え豊富な、迅速な配達までしてくれる『JADE SHOP』へアクセスして、三十メートル超の棍鋼ロープと、九ミリパラペラム弾を二箱程、注文した。
時間も考えず、言い訳を告げにだろう、己が部屋をしつこくノックした九龍に根負けして、寝ろ、と言い捨てた後、甲太郎はアロマを香らせたまま、転校生の鼻先で閉じてやったドアに凭れ掛かっていた。
──放課後、寮へと戻る道行きを九龍と共にしていた最中、昼寝をすると芝生に踏み込んだのは、本当に眠くなったからだが、寝転がり、墓地には近付くな、と念押ししてから瞼を閉じれば、立ち去る気配も見せず、傍らにしゃがみ込んだ九龍は、ゴソゴソと制服の内ポケットから取り出した、携帯端末のような物を弄り出したので。
気になって、寝た振りをしつつ薄目だけを開き、甲太郎はじっと、彼の様子を窺った。
甲太郎と彼の位置関係と、携帯端末状のそれの角度の所為で、画面はよく見えなかったが、九龍は、その機械が映し出す何やらを熱心に読み耽っているようで。
何をそんなに、と訝しんでいれば、無意識に、なのか彼は、機械と甲太郎の顔を、幾度か見比べる風にもなった。
盗み見る視線になった双眸を据える面が、段々と、沈んで行くのも判った。
とっぷりと日が暮れた頃には、盗み見は、殆ど凝視になった。
その為、やっと昼寝から目覚めた演技をしつつ話し掛ければ、九龍から返って来たのは嘘臭い言い訳で。
寮に戻ってみれば、九龍の自室は己が隣室と知れ。
寝るからと、籠った部屋の中で甲太郎は、苛々と、唯アロマを香らせ続けた。
それ以外彼には、することが見付けられなかった。
………………屋上で出逢った九龍の瞳は、綺麗に澄み、全てを求めている風な光を宿していた。
それに、彼は衝撃を覚えた。
心秘かに求め続けていたモノが、そして、求め続けていた者が、そこにある、と。
だから、九龍が《転校生》でなければいいのに、と願ったのに。
甲太郎のそんな願いは、余りにも儚かった。
一緒に帰ろうと誘った道行きでの九龍の様子は、何処か普通ではなかった。
……それだけなら、気の所為だ、と思い込めることも出来たのに、彼の部屋は隣室だった。
自分達の学年が三年になってよりやって来た、全ての《転校生》が宛てがわれた部屋。
この学園にとっての『招かれざる者』が蠢き易いよう、わざと宛てがう、墓地のある森に一番近い部屋。
でも、それでも、単なる疑いのレベルなら、と一縷の望みを託し、夜が更けるのを待って、甲太郎は窓辺に立った。
長らくそうしていたら、寮生達が寝静まる頃合い、そっと《転校生》専用の部屋の窓は開いて、よくよく目を凝らさなければそれと判らない、黒く塗装されたロープが直ぐそこの立ち木に打ち込まれて、単なる転校生がする筈も無い支度に身を包んだ九龍が、とても身軽にロープを伝って、墓地へと向かって行くのを甲太郎は知ってしまった。
一部始終を見てしまった。
故に彼は、嫌々足を動かし後を追い掛け、どういう訳か九龍と一緒にいた明日香共々墓地から追い払って、自分達を見付けた墓守の老人を言い包めた。
だと言うのに、そうしてやっても九龍は、とことん甲太郎の『忠告』を無視し、墓地へ舞い戻り、制服を肩に担いで戻って来て、行きとは逆のルートで部屋へと戻ろうとしたから、我慢出来なくなった彼は、九龍を待ち構え、文句を垂れた。
その後の、言い訳を聞く気にはなれなかったけれど。
「俺は………………」
凭れていた薄い扉より離れ、今度は窓辺に縋り、甲太郎は、ラベンダーの香りを深く吸い込む。
────願いは破れた。望みは儚かった。
それを、充分思い知らされた。
葉佩九龍が、この学園にとって『招かれざる』、《転校生》であることも。
ならば、今まで通り、今宵を最後に彼へと背を向けてしまえばいいのに。
然もなければ、『あの頃』の自分に戻ればいいのに。
どうして俺にはそれが出来ない……、と甲太郎は、ゆっくり、両の瞼を閉ざした。
……九龍が《生徒会》と対立することになろうが、その果て如何なる運命を辿ろうが、どうしようもない。
それが、《転校生》の運命。
されるに任せればいい。運命に流されればいい。
彼の運命を留める術も、義務も、必要も、己にはない。
もう、心秘かな望みも願いも、断たれてしまったのだから。
………………だのに、どうして、己は。────と。