煙管を持った手が、ふわり、とカーテンを引いた。
「カウンセリングをお望みかい?」
引かれたカーテンの向こうから現れた、凛とした声と、煙管を掴み続ける手の持ち主は、白衣を着込んだ、確かに中国美人の名が相応しい校医だった。
「それなら、又後にしてくれ。いい気分で一服してた処なんだ」
「いるなら返事くらいしろ」
「一々うるさい坊やだな。こいつを吸い終わったら診てやる」
「そんな場合じゃないだろっ」
「甲太郎。怒ってみたって始まらないって」
肝が座っているのか職務に余り忠実ではないのか、煙草を楽しむこと止めない彼女の態度は、音楽室よりこっち、カリカリしっ放しの甲太郎を又苛立たせ、九龍は彼を押し留める。
「安心しろ。私の診察の腕は一流だ。…………処で皆守。君の連れは誰だ?」
だが、目の前で彼等があーだこーだと揉めるのを尻目に、ぷかり、カウンセラーは紫煙を吐き出した。
「うちのクラスの転校生だ。職員会議で聞いてないのかよ」
「ああ、そう言えば、昨日の会議でそんなことを言っていたな。確か、名前は……」
「葉佩九龍です。宜しくお願いしまーす!」
そんな彼女に、チッと甲太郎は舌打ちして投げやりに九龍を紹介し、九龍は又名乗った。
「ああ、そうそう。そうだった。誰かと違って、目上の者に対する口の利き方が出来てるじゃないか。……なあ? 皆守。私は、礼を弁えている生徒が大好きだ」
「さあて。何処の誰なんだろうな、その『誰か』ってのは」
「一応、嫌味は判っているようだな。──葉佩。私の名前は劉瑞麗。広東語の正式な発音はソイライだが、皆は大概、ルイと呼んでいる。中国の福建省から、去年この学園に赴任して来たばかりでな。専属の校医でありカウンセラーだ。怪我がなくても、何か悩み事があれば何時でも来るといい。私が、優しく手解きしてあげようじゃないか」
元気一杯で、礼儀正しかった九龍の態度に、うむ、と彼女は一度頷き、甲太郎にからかいをくれると、己が名と素性を語った。
少しばかり何かを含んだ笑みを湛えて、冗談めかしたことも言いつつ。
「…………………………あはー。じゃあ、機会があったら、是非ー」
そんな彼女に、一瞬だけ九龍は間を置いて、にこっと笑み返した。
「……んなこと話してる場合じゃないだろ。あの女子の手が干涸び──」
「──成程な」
何時でも過ぎた親愛を溢れさせて他人にぶつかる九龍が、何故そこで間を置いたのかと、甲太郎は微かに目を細め、話を元に戻し、今度は素直に瑞麗も腰を上げ、ベッドに横たわる少女の枕辺に立った。
「まるで枯れ木だな。精氣が吸い取られているようだ。何処で見付けた?」
「音楽室に倒れていた」
「音楽室? そうか…………」
「何か知ってるのか?」
「いいや。──君達は授業に戻れ。後は私に任せておくといい」
少女の、ミイラのようになってしまった両手を持ち上げ、顔色一つ変えずに彼女は言い放つ。
だから、九龍と甲太郎は思わず、顔を見合わせたが。
「……そうだな。保健室に運んだだけで充分だろう。これ以上関わって、厄介事に巻き込まれるのは御免だしな。…………後は宜しく頼む」
少々の沈黙の後、ふいっと甲太郎は瑞麗に背を向けて、保健室より出て行った。
「おい、甲太郎。何処行くんだよ」
「そろそろ昼休みだ。今日は保健室でサボろうと思ってたんだが、あれじゃ使えないから、屋上で昼寝でもする」
「昼飯は?」
「売店で何か調達するさ」
さっさと保健室を出、さっさと廊下を進んで行く彼の後を追い、九龍は肩を並べた。
「じゃあ、俺もー」
「…………好きにしろ」
「うん。……さーて、俺は、売店で何買おうっかなー。昨日、明日香ちゃんにお裾分けして貰った焼きそばパン、結構美味しかったから──」
「──カレーパン」
「……え?」
「カレーパンにしとけ。そっちの方が美味い」
「ふーーーん。甲太郎の一押しのパンは、カレーパンなんだ。じゃ、それにしよーっと」
一緒になって歩き出しても、屋上まで付いて行くと言っても、甲太郎は拒絶を見せなかったから、ほてほてと売店に寄って、勧められたカレーパン二つを昼食用に、焼きそばパンとアンパンを夜食用に、それぞれ買い求め、烏龍茶も仕入れ、カレーパンばかりを三つとミネラルウォーターを買った甲太郎を、余程カレーパンが好きなんだな、と眺めながら屋上へ行き、給水塔の一つに寄り掛かった九龍は昼食を始める。
「あの、さ。甲太郎」
「ん?」
カレーパンって初めて食べたけど、思ってたよりも美味しいと、はぐはぐ食べ進めつつ、
「夕べは、そのー、悪かったなあ、と…………」
今日、学校で甲太郎に会ったらしよう、と思っていた謝罪と言い訳を、彼は口にし掛けた。
「もういい」
「でも……」
「お前の正体は、トレジャー・ハンターなんだろう? そうだってんなら、夕べのお前のイカれた格好も納得だし、口が酸っぱくなるまで言ってやった俺の忠告に耳を貸さなかった理由も判る。あんな風な手段で寮から抜け出したのも何も彼も、お前の正体は宝探し屋だった、で全て解決だ。……だから、もういい。それがお前の生業なんだ、仕方の無いことだし、口を挟むつもりもない」
だが、甲太郎は肩を竦め、そっぽを向いた。
「うううう……。御免………。……あのさ」
「何だよ」
「俺、と或るトレジャー・ハンターギルドに所属してる、ハンターなんだ」
「トレジャー・ハンターギルド?」
「うん。何て言えばいいかな……。人材派遣会社の宝探し屋版って言うか。あー……。……お、そうだ。農協! 宝探し屋の、協同組合!」
それでも根気良く九龍は話を続け、ロゼッタ協会関係者がこの場にいたら、大慌てで彼の口を塞ぐだろうことを、さらっと言って退ける。
「農協って、お前……。俺にとっては未知の単語が、益々理解出来なくなるから止めろ」
一寸素っ頓狂な説明に、有らぬ方へと向けた視線を、甲太郎は九龍へ戻した。
「でも、そんなようなもんなんだよ、ホントに。で、さ。そこでは、自分の、宝探し屋だって素性は絶対に明かさないように、ってのがルールとして徹底されてるんだ。素性がバレれば、《秘宝》を狙ってるテロリストみたいな連中に、命を狙われることだってあるかも知れないから、って。……だから、昨日はホントのこと言えなくて……」
「じゃあ、何で今はべらべらと、簡単に自分の素性を明かしてんだよ」
「明日香ちゃんにも甲太郎にも、俺がトレジャー・ハンターだってバレちゃったからに決まってるじゃん。明日香ちゃんに知られたのも、彼女が甲太郎に喋っちゃったのも不可抗力だけど、バレちゃったんだから、今更隠したってね。……ま、そういう訳で、一つ宜しくっ!」
あーあ、何処かで甲太郎のこと疑ってるのに、結局、言わなくてもいいことまで喋っちゃった、と或る意味での覚悟を決めながらも、夕べ、墓地に潜り込んだ辺りから微妙に逸らされていた甲太郎の視線が、やっときちんと自分に向いた、と九龍は、嬉しそうに笑った。
「っとに……。お前と喋ってると、気が抜ける…………」
すれば、甲太郎も又。
何処となく困ったように、少しばかり力無く、笑みを返した。