「あ……明日香、ちゃ、ん………………」

どーして今この場で、それを言うかぁぁぁっ! と九龍は握り拳を固めながら項垂れ。

「……同情には値するな。だが……諦めろ、九龍」

「こーたろーーーー……っ」

流石に憐れみの眼差しを送って寄越した甲太郎の肩口に縋って、泣き真似をした。

「君達、墓地に行くつもりなのかい? 夜の森は暗くて危ないよ。その闇の奥に何が潜んでいるか判らないし……。あそこに足を踏み入れるのは止めた方がいい」

明日香の宣言をしっかり拾った取手は、気遣わし気に言い、聞かれてない筈無いよな、と九龍は、彼を誤摩化そうとしたが。

「ありがと、取手クン。心配してくれるのは嬉しいけど──

──うう……。頭が痛い……」

一足先に明日香が口を挟んだ途端、取手は、頭を抱えてその場に踞った。

「取手クンっ!? ……先生っ!」

「保健室に行くか? 生徒会に鍵を貸して貰えば校内に入れる。ほら、私の肩に掴まれ」

激しく苦しむ彼の容態に、明日香は真っ青になり、瑞麗は取手を抱き抱えようとした。

「いえ……大丈夫です」

だが、差し伸べられた手を、取手は振り払う。

「取手クン、何処か具合でも悪いの? 無理しない方がいいよ? 具合が悪いなら、遠慮なくあたし達に言ってよ。あたし達にも出来ることがあるかも知れないし」

「………………君達では、僕を救うことは出来ないよ」

そして彼は、心配そうに近付いた明日香へ、そんな風に言い切り。

「え……?」

「僕のことは、ルイ先生がよく知ってるから訊いてみるといい。ルイ先生でさえ僕を救えないんだ、君達が救える訳がない」

「取手……」

「ルイ先生、僕のことを皆に話して下さい。僕が、先生にどんなカウンセリングを受けているか知れば、僕に関わろうなんて思わなくなるだろうから……」

「取手クン…………」

瑞麗と明日香の視線から逃れるように、その場から立ち去った。

「ルイ先生……?」

「…………本人が望むなら、話してやるのがいいんだろう。──取手の心の問題は、あの墓地に関係があるんだ。尤も、取手は自分で自分の悩みをよく解っていないがな」

「墓地と?」

「どう関係しているか、それは未だ掴めないが、取手は心の中に大きな闇を抱えていて、その大半があの墓地に由来していることは判っている。あの子の墓地に対する反応は、過敏だ。でも、専門用語では『防衛規制』と言う、精神的破綻を防ぎ心の均衡を保とうとする、無意識下の機構が働いているようでな。防衛規制は、人に、現実にあった出来事をなかったことのように振る舞わせたり、逆に、存在もしていないモノを見たと言わせたりするから、中々……」

足早に去って行く彼を、二人の女性は見送り、沈黙を保ち続ける甲太郎と九龍の前で、取手の容態に関する話を始める。

「そう言えば、お姉さんが病気で亡くなって、取手クン変わった、って聞いたことがある……。それが、取手クンの悩みの種なのかな……?」

「私も、他の先生方や取手の両親から、彼の姉のさゆりのことは聞いた。姉のさゆりは、この学園の生徒だったらしい。コンクールに優勝するくらいのピアノの腕前を持っていて、だが、或る日、音楽室で友人とふざけていた時にたまたまピアノの脚が折れて下敷きになり、その事故の後遺症で以前のようにピアノが弾けなくなった、とされているな」

「そんな…………」

「だが、真実はそうではない。取手の姉はその時既に、ピアノを弾く体力さえ奪う重い病に侵されていたと、彼女の主治医が証言している。姉を崇拝していた弟が、その真実を知った時の衝撃は想像に難くない。…………が、取手の記憶からは、『姉の死』に関する記憶がごっそり抜け落ちている。まるで、何か忌まわしい呪いにでも掛かって、記憶を封印されてしまったようにね」

「ちっ……。又呪いかよ……」

主に明日香に向けて語っていた瑞麗が、取手の記憶の欠落を、呪い、と例えた時、黙り続けていた甲太郎が舌打ちをした。

「言いたくもなる。姉の死の記憶が、取手からは失われている。要するに、彼の中では未だ、姉のさゆりは生きている。にも拘らず、心が救われることはなく。自分が何に苦しんでいるのかすらよく解っていない。一体、何があの子をそうさせているのか……」

「取手クンの心の闇が、墓地に関わってるなら、それを解く鍵は墓地にあるのかな……? 怪し気な穴もあったし……」

苦々しそうに言う甲太郎に、瑞麗は一瞥だけをくれ、明日香は、ふむ……、と頤に手を当てた。

「穴? そう言えば、さっきもそんなようなことを言っていたな」

「昨日の夜、墓地の墓石の下に、人が通れそうな穴が空いてるのを見付けたんです。暗くて、中はよく判らなかったけど……」

「穴か……。私が探した時には、そのような物は見付からなかったが……」

「もう、如何にもって感じの怪しい穴で。あたし、あの穴が怪しい気がするなあ……。あたしの勘、よく当たるし。……あたし達で、取手クンの力になってあげよっ? ねっ?」

考え込む風に、ぶつぶつ言い出した明日香は、うん! と顔を上げると、パッと九龍へ向き直る。

「俺は、お前の勘だけで、振り回されるのは御免だからな」

──彼女に答えたのは、甲太郎だった。

「皆守クン……」

「あいつの問題は、俺達がどうしようと、あいつ以外には解決出来ない。取手の過去に何があろうが、どんな傷を抱えていようが、他人には所詮、関係のない話だ。だから取手も、あんな風に言ったんじゃないのか? 自分のことをカウンセラーに聞けば、誰も関わろうとは思わなくなる、って。……心の傷なんてのは、誰にだってある。別に取手だけの問題じゃない。そんなの、誰の力も借りずに、自分の力で乗り越えて行くべきことだろう?」

ふん、と明日香を鼻で笑うようにしながら語った甲太郎は、口を閉じる直前、九龍へと視線を送った。

「…………そうだね。自分の心の傷は、自分で乗り越えて行くべきこと……って言うか、自分以外には乗り越えられない……んじゃないかな」

「そうさ。それに負けるようなら、そいつはそれまでだってことだ」

「……でも。乗り越える為の手助けくらいは、無関係の他人にだって出来るよ。悩みを聞いたりとか、相談に乗ったりとか、励ましたりとか。誰かの言葉が、切っ掛けになることってあるじゃん」

「じゃあ、聞くが。お前は、取手のような人間を、この先も一々助けて歩くつもりなのかよ。そんなことは出来ないだろ? だったら、余計な首を突っ込まないことだ」

「余計な首かなあ? どの道俺達は、あの穴に潜ろうとしてるんだ。だったら、彼の為になる鍵はあるかなって探すくらい、してもいいんじゃない? 袖触れ合うも他生の縁って言うし」

「そんな生き方してたら何時か、大火傷するぜ? 取手のことは放っておけ。あいつは、誰にも自分は救えない、と言いながら、その実、誰にも救われたくない、と思っているかも知れない」

「甲太郎の耳には、彼の言うこと、そういう風に聞こえるってこと?」

「そうじゃない。俺は一般論を言ってるだけだ」

……甲太郎は、他の誰でもない、自分に向けて問いを放った、と確信し、思うまま九龍は答え、故に、彼等二人が交わす言葉は、口論めいた。

「皆守クンっ。何でそんな薄情なこと言うのっ? クラスは違うけど、同じ学園の生徒じゃないかっ」

「俺は嫌いなんだよ。悲劇の主人公ぶる奴も、偽善者ぶってる奴もな」

「皆守クンが行かなくっても、あたし達は行くよっ!」

刺が立って来た二人のトーンに明日香が割り込み、彼女は、甲太郎を睨み付ける。

「…………私は、全能でもないし、神の癒し手を持っている訳でもない。自分が誰のどんな悩みでも取り除いてあげられるとは、思ってもいない」

九龍と言い合っていた時以上に、甲太郎が、明日香との間に険悪なムードを漂わせたからか、ぽつり、瑞麗が呟いた。

「だから、思うのさ。同じ学園の生徒である君達になら──友人になら、あの子も私には話してくれないことを、話すかも知れない、とね」

「そう思うなら勝手にやれ。但し、俺を巻き込むな」

だが、甲太郎はとうとう、三人に背を向けて、一人その場を離れた。