人の精氣をも吸い取れる、神の両手を授かった、と取手は言っていたから、不用意に近付かなければ、少なくとも手傷を負わせられはしないだろう、と九龍は踏んだ。
だが、一先ずSMGや手榴弾を使う選択を捨てた以上、使える武器はナイフ一本とこの身のみだから、近付かなければお話しにならない、と頭を悩ました。
「安らかに眠るがいい……」
……しかし取手は、距離を置いた九龍にも届く衝撃波を、伸ばした両手より放って。
「何モン? 《生徒会執行委員》って! 何処のびっくり人間ショーっっ!?」
彼は、目に見える程歪みながら迫って来る空気の塊から、転げ回って逃げる羽目になった。
「九龍クン、大丈夫っっ?」
「大丈夫ー! 有り難う、明日香ちゃん!」
「逃げるんでも賑やかだな、お前」
「騒がないでやってられるか、こんなことっ!」
わあわあきゃあきゃあ逃げ惑う彼を心配して叫ぶ明日香には笑み返し、突っ込みだけを入れて来る甲太郎には怒鳴り、としながらも、彼は。
「死にたくはないしなあ…………」
ポツリ、誰にも聞かれぬように呟いて、本当に覚悟を決め始めた。
同窓生を傷付けたくはないし、殺したくもないが、殺らなければ殺られるなら、と。
「明日香ちゃん! 明日香ちゃんの、自慢のスマッシュ見せて! 標的は、取手鎌治君っ!」
「うん、判った! ──いっくよー!」
────殺らなければ殺られるなら、殺るだけ。
……思い定め、その場に低くしゃがんだ九龍は、明日香に、テニスボールを取手へぶつけてくれと叫ぶ。
女子テニス部々長の彼女自慢のスマッシュが、どれだけの威力を誇ろうが、精々が処打撲、最悪でも骨折で済むからと、高く放り投げたボールを明日香のラケットが弾いた瞬間、彼は一気に取手との距離を詰めた。
もしもスピードガンで計ったら、一体、時速何キロを計測するだろう、と思わずにいられなかったくらい、明日香の放ったスマッシュが恐ろしい威力を秘めていたのは計算外だったが、気付かなかったことにして、強力なそれを喰らって取手が怯んだ隙に、九龍は、晒された彼の脇腹にナイフを押し当て、一気に引いた。
人間の扱う凶器が、同じ人間を傷付ける場面を初めて見たのだろう明日香が高い悲鳴を放つ中、くぐもった呻き声を取手は洩らし、脇腹を押さえて腰を折る。
「………………ん?」
再び、取手から距離を取り、甲太郎や明日香のいる所まで後退した九龍は、相手のその姿に首を傾げた。
「九龍、どうした?」
「うん……。苦しんでもいるし、痛がってもいるみたいだし、俺も確かに手応え感じたんだけど……血が出てない。…………ひょっとして彼って、斬っても撃っても平気な体……?」
「妙な《力》とやらを授かったそうだから、体の方も、普通じゃないんだろう。……多分」
「ってことは。遠慮なく、思いっ切りやれるってことかな?」
「そういうことじゃないのか? だが、思いっ切りやれるにしても、斬っても撃っても平気な奴を、どうやって倒すんだよ」
「『倒す』だけなら簡単じゃん。立ち上がれなくなるまで、徹底的に叩きのめせばいいんだよ」
──痛みを感じ、苦しみを感じ、とはすれども、斬ろうが撃とうが、取手の体は傷付かぬらしい、と気付き、光明! と九龍は、甲太郎へにんまり笑ってみせると、SMGを右手で腰撓めに構え、安全ピンを噛み引いたパルスHGをぶん投げた。
明日香にスマッシュを放たせた時同様、そうした一番の目的は目眩ましだったが、破砕時に特殊な振動波を発生させる手榴弾に、取手は両耳を押さえた。
「弱点発見っ!」
成程、音を操れる《力》は、己の音以外にも敏感になる諸刃の剣か、と悟った彼は、両手で構え直したSMGの照準を取手の耳に合わせ、フル充填三十発の弾丸全てを叩き込み、マガジンを手早く入れ替えて、再度、リロードが必要になるまで引き金を引き続けた。
「ううううっ…………」
数分と経たず、その全てが終わって、酷く苦しみながら取手は両膝を床に付く。
「…………Win……かな?」
これでも未だ、戦う気力が彼にあったらと、肩で息をしつつ九龍は様子を窺った。
「かっ……体が……っ。体がぁぁっ!」
「取手クン?」
「なっ────」
「今度は何なんだよっっ!」
固唾を飲み三人が見守る中、取手は益々苦しみ悶え、床を転がる彼の体から、黒い砂のような物が立ち上がり始める。
「何あれっ? 壁に吸い込まれていくよっ!?」
「何だか判んないけど、絶対に良い物じゃないっ!」
凝視していた明日香が叫んだ通り、黒い砂にしか見えないそれは、意思を持っている風に帯状に固まり、壁画が描かれている最奥の壁へと吸い込まれるように消えて、『砂』を吸い込んだ壁は、九龍達が思わず目を瞑った程目映い光を、天井へ向け放射した。
光を受け取った天井は、楕円形に光を広げ、そのままグワっと、楕円形の光の柱を床へと下ろした。
…………大きく床を照らした光が消えた時、そこには、蠢く、巨大な蜥蜴のような姿の化人がいた。
上下に重なる、ヒト以外の何者にも見えない二つの顔を持っていて、下の顔は男性のそれで、上の顔は女性のそれだった。
「墓を侵す者は誰だ……」
女を象る頭部は、男を象る頭部の三倍はあったが、彼等へ敵意を向けて来るのは、男の方の頭部だった。
「ええええええええ………………」
化人に遭遇する度、『敵影を発見』と告げて来る『H.A.N.T』が、今夜だけで何度も聞かされたその警告にプラスし、『高周波のマイクロ波を検出』と、うるさく告げ出すのを尻目に、大型観光バスと同程度の大きさの化人を眺め、九龍は不満を洩らす。
「今度は、これ? 俺はトレジャー・ハンターで、ソルジャーじゃないんですがー……」
「ぐだぐだ言ってる場合かっ! 気を付けろ、俺達を狙って来てるっ!」
ぶちぶちと零す彼の腰を、馬鹿! と甲太郎は蹴り上げた。
「判ってるよ……。って、ああああ! 取手ーーーー!」
革靴の爪先がめり込んだ腰を押さえ、恨みがまし気に甲太郎を見上げ、はた、と九龍は、傍らの彼の腕を掴んで、部屋の中央に倒れたままの取手へと駆け寄り、入口付近まで引き摺る。
「甲太郎っ、明日香ちゃんっ。彼のこと宜しくっっ」
「おい、九龍っ!」
「九龍クン、危ないよっ!」
宿っていたらしい『黒い砂』が抜け出た所為か、気を失ってしまっている取手を二人に任せ、止める声に、聞こえなかった振りをして。
マガジンは後三つ、手榴弾は後二つ、これで勝てる相手かなー? と内心でのみ苦笑しながら、彼は、巨大な化人へと、数歩踏み出た。