化人との距離を慎重に計り、ジリジリと前へ進んで九龍は、タン! と一発だけ、化人の前脚を撃ってみた。
不可思議な出現を果たした、今までの化人とは明らかに違うそれは生物なのかどうか、先ず確かめたかった。
もしもこれが生物でなく、亡霊のような類いならば、物理兵器が効かない可能性だってある、と。
「甲太郎っ! その悪趣味な扉、開くっ!?」
そうしながら彼は、振り返りもせず叫び。
「……駄目だな。開かない。鍵が下りたらしい」
甲太郎の返答に、退路がないことを知ると、ふ……っと息を詰めた。
「倒さなきゃ、鍵は開かないってことかなー……」
眼前の化け物が生物だろうと亡霊だろうと、この遺跡を探索して《秘宝》を手に入れるのが仕事である己は引く訳にはいかないが、三人は別だから、今の内に逃げて貰おうと思ったのに、それも叶わない、と。
弾丸を撃ち込まれ、金切り声を上げる化人を、彼は見詰める。
──物理的な攻撃を受けて、男の頭部も女の頭部も、耳を劈く声を放った。
よくよく見なければ判らないが、他の化人がそうだったように、銃創から、明日香曰くの『気味の悪い、変な色した液』も垂らしている。
………………ということは、この化人も、生物、と言える範疇にいることだけは間違いない。
「……生き物なら、相手が生き物なら、化け物だろうが何だろうが倒せる。絶対倒せる。例えこの世のモノじゃなくても、ああやって傷付くなら倒せる」
それを知り、必死に自身へ言い聞かせ、床を揺らせながら近付いて来る化人を引き付けつつ逃げ回り、九龍は又、頭をフル回転させ始めた。
こいつにも絶対、弱点や急所がある筈。それは一体、何処だ? と。
SMGのセクレターを弄り、セミオートから三点バーストに射出方法を変え、数発ずつ丁寧に、脚、肩、胴体、と次々に狙いを移しながら射撃を繰り返し、とうとう彼は、化人が最も苦しみを訴える場所を探し当てた。
…………それは、女を象っている方の頭部だった。
「見っけた!」
銃弾が撃ち込まれる度、カッ! と両の瞳を見開き、大きく口を開いて悲鳴を放つ女の頭部に、慄きを感じる間もないまま、撒き散らされる化人の体液で滑り始めた床の上を何とか走り、フルオートに戻したSMGの引き金を、彼は強く引く。
「……げっ!」
だが、無理な体勢で走り続け、引き金を引き、としていた為、うっかり体液の溜りを彼は踏んでしまって、もんどうり打って床に転がった。
転んだ拍子に、手から零れたSMGは、カラ……と床を滑り、ヤバい、と焦る間に、ドスドスと強く床を踏み鳴らしながら化人は彼に迫り。
「馬鹿っ! 何してる、立てっ!」
踏み潰されるっ!? と身を固くした瞬間、彼は、罵声と共に襟首を引っ掴まれて、強引に引き摺り立たされた。
「え、甲太郎? だ、駄目だって、こっち来ちゃっ!」
慌てて振り返ったそこにいたのは甲太郎で、彼に引っ張られるまま走りつつ、嘘ー! と九龍は唯々焦る。
「無様にスッ転んだ奴の言うことじゃないだろうがっ! ほらっ。さっきの爆弾一つ寄越せっ!」
「はああああ? 何言ってんの、こーたろーーーっ!!」
「あんな物、安全ピン引き抜いて投げるだけだろ? そんなこと、誰にだって出来るっ。一発分だけ時間稼ぎしてやるから、お前はとっとと銃を拾って来いっ!」
「だけどっ!」
「だけどもへったくれもあるかっ。ハンターとバディは一蓮托生、運命共同体と言ったのはお前だ、お前がヤられたら俺達もヤられるんだよっ!」
ひたすらに驚くだけの九龍のベストから、甲太郎は強引にパルスHGを一つ取り上げると、さっさと安全ピンを抜いた。
「走れっ!」
投擲と同時に叫ばれた彼の声を合図に九龍は走り出し、あ、甲太郎って左利き、と場違いなことを気に留めながら、石床をスライディングし銃を取り上げ、床に寝そべったまま、眼前で炸裂した手榴弾に苦しむ化人へ掃射し己へと注意を引き付け、巨体を揺らして振り返った化人の顔面に、呼吸を止めて、ありったけの弾丸を叩き込み、最後の一発となった手榴弾を渾身の力で放って。
「頼むから、これで倒れろっ!!」
祈るように、ぎゅっと目を瞑った。
────パルスHGの炸裂音が消えるや否や。
室内は、轟音とも言える化人の悲鳴で満たされた。
聞くに堪えない悲痛な声に、思わず彼は耳をも塞ぎ掛けたが、続き聞こえた、ドロリ……と何かが零れる音に、はっと瞳を見開いた。
……それは、化人が直ぐそこで、大量の体液を溢れさせる音だった。
澱んでうねる泥水のように、体液は床に溢れ、部屋の四方目掛けて流れ行き、巨大な体躯は、さらさらと砂のように崩れた。
「終わった…………?」
這うように、化人が崩れて行った場所へ彼は近付く。
「あれ、これ……」
そこにはもう、液体も塵もなく、全てが幻覚でさえあったかのように、床は綺麗に乾いていた。
…………但。
化人が消滅したその場所には、数枚の楽譜が落ちており、それだけが、出来事が夢でも幻でもないと、訴えていた。
「……何だろ」
疲れた体に鞭打って、楽譜を取り上げ立ち上がり、甲太郎や明日香の場所へと彼が戻れば。
「取手クン? 気が付いたんだねっ!」
「…………その、楽譜は…………」
扉に凭れるように座らされていた取手が意識を取り戻し、九龍の持つ楽譜へと、手を伸ばして来た。
「そうだ……。これは、姉さんが僕にくれた楽譜だ……」
「お姉さんの……?」
震える手を懸命に伸ばして来る彼へ、九龍は楽譜を渡してやる。
「忘れていた…………。……僕は、何も彼も忘れていた……。音楽は、神様が人に授けてくれた素晴らしい物で、人の心にも似ているって、姉さんが言ってたことも……。姉さんは、人の想いが何時までも忘れられることがないように、音楽も、大切な人の心に残っていくから、って、そうも言ってた……。自分の心も音楽も、永遠に僕の心に生き続ける。音楽がある限り、自分は僕の心に生き続けるから、忘れないで……って……。そう言ってたのに…………。どうして……どうして、僕は…………」
楽譜を胸に抱き、思い出した姉の言葉を語り。
取手は、声を上げて泣き出した。