九月二十三日 木曜。
秋分の日に当たる為、今日の授業は休みだと、前夜の疲れを落とし寝不足を解消すべく、三年寝太郎な、全身から漂うラベンダーの香りがトレードマークの一つである彼は固より、九龍も、取手も、明日香も、寮の自室に籠って懇々と眠り続けていたその日の正午近く。
南向きの正門脇に建つ、警備員室で。
「学園内の監視が主な仕事……と言うよりは、それ以外にないんだよ、ここの仕事。敷地内を見回ったり、この部屋で、監視カメラのモニター番して、生徒さんや教職員の人達が勝手に敷地外に外出しないよう見張るのと、外部の者が許可無く立ち入らないように見張るだけ。尤も、無断外出しようとする者を発見したり、侵入者を発見したりしたら、相応の対処はしなきゃならないし、例えば痴漢騒ぎとか、生徒さんの喧嘩の仲裁なんかもするけど、簡単なもんだろう? 但、二十四時間体制だから、シフトが一寸きついかな。慣れない内は、生活リズムが狂うかもね。勤務は原則四日サイクルで、初日が午前五時から午後一時までの早出。二日目が午後一時から午後九時までの遅出。三日目が午後九時から午前五時までの夜勤。で、四日目が休日。そんな感じ。後は延々、それの繰り返し」
先日、ここに転勤になったばかりの、御門グループ傘下の超大手警備会社職員は、明日から、ここ──天香学園警備室に、アルバイトとして勤めることになった二人の青年に、軽い調子で、簡単に業務内容を説明していた。
「難しいことじゃないから、大丈夫だろう?」
「はい」
「そうですね」
監視カメラのモニターが数台並ぶ机の、事務椅子に座って見詰めて来る先輩警備員に、アルバイトの青年二人──緋勇龍麻と蓬莱寺京一は、愛想良く応える。
「君達の他にも、俺を含めて十四人も警備員いるから。気楽にやっていいよ。気楽にやらないと、嫌になるしね。……この学園少し変わってて、俺達警備員も、転勤にでもならない限り敷地内から出られないからね。人の出入りも激しくて、アルバイトなんか直ぐ辞めちゃうんだ。娯楽も無いしねえ」
一見は好青年に見える二人の、愛想良い態度を眺め、彼等よりも十歳程年上らしい警備員は、声を立てて笑った。
「確かに……今時は珍しい、厳しい学校ですね」
「俺がこんなトコに通う生徒だったら……逃げ出すな」
変な学校だよ、と笑う彼に、龍麻も京一も、それなりに正直な感想を返した。
「ははは。俺もそう思うよ。────ま、そういう訳だから。ホントに気楽にやって。皆、適当にサボりながらやってるから、君達も見習うといい。これと言って事件が起こった例はないし、脱走考える生徒さんも教職員も滅多にはいないしさ」
「……お言葉に甘えて、そうさせて貰います」
「…………まあ、程々に」
「うんうん。……実はさ、人事部に言われたんだ。──君達、武道習ってるんだって?」
「え? あ、はい。俺は空手を一寸」
「俺は、剣道習ってます」
「だよね? 二人共、有段者なんだろう? うちみたいな警備会社では、武道の心得がある職員ってのは、手放したくない貴重な人材だから。天香に配属されちゃった所為で嫌気差して、さっさと辞められたら困る、って人事部の部長なんかは思ってるらしいんだ。末永く勤めて欲しいみたいでね。……そういう訳だからさ。結構融通利くと思うよ?」
「はあ…………」
「……まあ、有り難い話ですけど……」
朗らかに、『裏事情』をあっけらかんと語った彼に、京一も龍麻も、「御門も随分と用意周到に手を廻したな」と思いつつ、顔を見合わせる。
でも、自分達がここまで乗り込んで来た理由を考えれば、願ったり叶ったりの根回しなので、彼等は、曖昧に応えておいた。
「じゃ、マンションの方案内するから、付いて来て。──住環境はいいよー。破格。うちの職員専用の、完全防音でプライベートばっちり確保された部屋だし、三LDKあるし、その辺の一寸したマンションよりも遥かに設備もいい。この建物の裏だから、売店や食堂なんかは遠いけど、ま、その辺はね。──処で、君達は同室でいいって連絡来たけど、本当にそれでいいのかな? 荷物も同じ部屋に宅急便の人が積んでったけど、別々の方がいいならそうするよ?」
ぼんやりしている、と受け取られても仕方無い二人の態度だったが、『先輩』は気にも留めず、立ち上がり。
「いえ、同室で構いません。有り難うございます」
「俺達、高校の頃からの連れなんです。親友同士って奴で」
「あー、成程ね。だったら、一緒の方が楽しくていいか」
暢気な足取りで進む『先輩』に付き従って、二人も、警備員室を出た。
──彼等が、その部屋を去って数分後。
静かに受話器を取り上げた、別の警備員は。
「緋勇さんと蓬莱寺さんのお二人が、無事に天香学園に到着されたと、社長にお伝え下さい」
御門清明の秘書である芙蓉のデスク直通の番号を廻し、潜めた声で、簡単な報告を入れた。
同僚や先輩となる者達全てが、御門の意を汲んで送り込まれた者達とは知らず、良過ぎる待遇は、御門が上手く手配してくれたのだろうと軽く考え、鍵を貰い、何時までか、は判らないが、今日より暫くの間の『新居』に踏み込んだ京一と龍麻は、全ての部屋の窓を開け払って、荷物整理を始めた。
……とは言っても、帰国して来たばかりの彼等の私物は乏しく、部屋には、家具も食器等々も一通り揃っていたので、布団を干したり、ベッドを整えたり、クローゼットに服を押し込んだり、洗面台やバスルームに細々とした物を並べたり、とするだけで、彼等の引っ越しは終わってしまった。
「この学園の、どっかにいるんだろう? あいつ」
「うん。この学園の何処かに。今日は祝日だから、寮なんじゃないかな。壬生が調べてくれた通り、彼、本当にこの学園に転校したそうだし」
「……何が目的なんだろうな」
「さーて。……それを探るのが、俺達の当面の目的、かな」
警備員室脇の自動販売機より調達して来た缶コーヒーで一服しつつ、ダイニングキッチンのテーブルにそれぞれ頬杖付いて、京一も龍麻も、ここまでやって来た『原因』に思い馳せる。
──九月十二日の日曜、如月の家にて事情を語り、龍麻が御門に『おねだり攻撃』をカマしてより、約十日。
天香に潜り込む手筈が整うまで、少々時を要してしまったが、その分、様々な準備は出来たし、本当に葉佩九龍が天香学園に転校したのか、壬生に調べて貰う時間も取れたので、「結果オーライ、心置き無く気掛かりを探れる!」と二人は気楽に構え、祝日のその日、学園正門を潜ったけれど、いざ、ここに到着したら、彼等の中の気楽な気分は、何処かにすっと消えてしまった。
…………仲間達の手を煩わせてまで彼等がこうしている理由は、酷く漠然とし過ぎている。
偶然、カイロの路地裏で縁を持った、何故か龍脈の残り香がする九龍が、どうしても気になって仕方無い、と龍麻が言い張ったから以外の動機はなく。
どうしてそんなに九龍のことが気になるのか、龍麻自身にも解らないし、彼から龍脈の残り香がする原因に関する手掛かりはさっぱりだし、ロゼッタ協会という国際トレジャー・ハンターギルドに所属するハンターである彼が、天香学園で何をしようとしているのかも掴めない。
……龍麻が九龍を気にする理由は、単なる思い込み、と言われてしまえばそれまで。
龍脈の残り香の理由は、ハンターなのだから、そういう場所にある遺跡にでも行ったのだろう、で片付けられなくはなく。
だとするなら、彼がここで何をしようが、何を探し出そうが、京一にも龍麻にも、無縁となる。
……要するに。
彼等がここに潜り込んだのも全て、無駄に終わる。
それに、一歩正門を潜った時から既に、龍麻は、「この場所は変だ、何か澱んでる」と言い出していて、気分が悪い、と訴える処までは行っていないけれど、ここは『良い場所』ではない、と龍麻自身は兎も角、京一は顔を顰めずにはいられなかった。
そうやって、龍脈の影響を酷く受け易い龍麻がきっぱり言い切るならば、確かに天香学園には『何か』があるのだろうけれど。
「片付け、大した手間じゃなかったから、買い出しでも行こうか。スーパーの場所とか見ときたいしね」
「そうだな。ぶらついてみっか、学内。序でに、あー……マミーズ、だっけか? そこで飯食おうぜ、ひーちゃん」
────気分は少し、沈んでしまったが。
暗い顔をしていても仕方無いと、二人は部屋を出た。
……来てしまった。
何一つ掴めぬまま、何一つ見えぬまま、それでも自分達は自分達の意志で、ここまで来てしまったのだから、と。