遺跡探索から戻って、シャワーも浴びずベッドに潜り込んだのに、九龍は中々寝付けなかった。

疲れているのに、戦闘をした所為で精神が高揚したままなのか、頭が冴えてしまって、何度も何度も寝返りを打ったが、上手く眠りは訪れず。

頭から布団を被って、赤ん坊のように丸まって、九龍は溜息を付いた。

「……化け物と戦うのって、楽だったんだなあ……。人間相手にするよりずっと楽だよ…………。化け物万歳、って言いたくなるくらい楽だ……」

溜息と共に、ぽつり、そんなことを呟いて、彼は又、布団の中でコロコロ転がり。

…………が、ジタバタしている内に、得たかった眠りは何とか訪れてくれて、それより彼は、懇々と眠り続けた。

朝食も昼食も摂らず、ひたすら惰眠を貪り、夕刻頃やっとベッドよりノソノソ這い出て、流石に腹が減ったな、とメールで甲太郎に夕食の誘いを掛け、暫くして漸く、『うるさい。眠い』と返事を寄越した彼と、『いい加減に起きろ』、『起きない』のやり取りを幾度か交わし、やっ……と起きて来た三年寝太郎を引き摺り、九龍はマミーズに向かった。

「いらっしゃいませ、マミーズへようこそ! 何名様ですかー?」

「え? …………ここで、三人とか四人とか答えてみたい誘惑にも駆られるんだけど、そうやって答えて、俺達の肩の向こうとか見詰めながらナチュラルに受け止められても怖いからどうしようかな、と思うと言うか、うーん」

「背後霊の皆さんは、数えて頂かなくても結構ですよー」

「黙れ、九龍。高が人数を聞かれただけのことを、ややこしくするな。──そっちもだ。見れば判るだろ、二人だ」

「えー、でもー。一応、マニュアルなんで」

「…………二人」

店名入りのトレーを抱えながら出迎えてくれた店員の舞草奈々子に一寸したボケをカマし、案内された席で甲太郎と向かい合って座って、九龍はメニューを広げる。

既に注文する品は決まっているのか、甲太郎は、メニューなど開こうともしなかった。

「店員はさておき、学園の中にあるにしちゃ、いい店だろ? この学園で気の利いた場所と言えば、ここと屋上くらいさ」

「え、奈々子ちゃん、いいじゃん。ノリ良くって。店そのものに関しては、甲太郎の意見に賛成。いい感じだね」

「ああ。ここにいると、学園という閉ざされた黄昏の町にいることを、一時でも忘れられるからな」

「………………時々、唐突に詩人ね、こーたろーさん。でも……黄昏の町、かあ。言いたいことは判るなあ。そんな雰囲気あるよ、この学園。来る筈の明日が来ないような気になる感じって言うかさ」

「そうだな……。……処で、お前は何にする? 俺は何時ものだが」

「何時ものって?」

「カレーだよ。カレーライス。因みにこの店での俺のお勧めは、この辺りだ」

ちょっぴりだけ郷愁めいた会話を二人は交わし、真剣な顔付きでメニューを睨み続ける九龍へ甲太郎は手を伸ばして、勝手にページを繰った。

「カレーライス、カツカレー、カレーラーメン、カレー定食……。ふむ……」

彼に開かれたページは、カレー系メニューのオンパレードで、カレー以外の選択肢はないのか? と思いはしたものの、カレーかあ……、と九龍は頬を緩めた。

「じゃあ、カレーライスにしよーっと。──奈々子ちゃん! カレーライス二つで!」

タイミング良くオーダーを取りにやって来た奈々子に、九龍が注文を告げれば。

「やっぱり、デフォルトでカレーライスだよな。さては、お前もカレー通だろ?」

うんうん、と深く激しく、甲太郎は頷いた。

「…………うっ。いや、その……。……ええと、甲太郎はカレー通?」

「俺は、カレーにはうるさい」

「ふーん、そうなんだ…………」

「何だ、浮かない顔だな。カレーは好きじゃないのか? 嬉しそうに注文してたと思ったんだが」

「あ、そうじゃなくって。……実はさー、俺、日本のカレーって食ったことないんだよねー。だから、試してみたかった訳よ。エジプトのカレーと日本のカレーは、きっと味とか作り方とか違うんだろうし、日本のは、『お袋の味』ってのの代表の一つ、って聞いたから」

「………………何だと……? 日本のカレーの味を知らない、だ?」

「う、うん。俺、ずっとカイロだったから」

「……九龍。俺は今、心の底から、本当に、お前の今までの人生に同情した。日本人は一人平均、週一回以上カレーを食ってるんだぞ。カレーは国民食と言っても大袈裟じゃないんだ。今からでも遅くない、これまでの不幸な人生を取り戻すべく、カレーを食え!」

「だから、頼んだんじゃんかーーーっ」

────九龍が、しまった、と思った時にはもう遅く。

カレー通、などという言葉では、到底表現し切れない程カレーを愛しているらしい甲太郎は、知らずに九龍が白状してしまった話に顔色を変え、奈々子がカレーライスを運んで来るまで、延々、カレーに関する演説を打ち。

「さあ食え。直ぐに食え。味わえ。そして堪能しろ」

湯気を立てる皿が、自分達の目の前に置かれるのも待ち切れぬ風に、九龍を急かした。

「そんなに、急かさなくても。──いっただっきまーす!」

この男、何処までカレーを愛すか、と苦笑を浮かべはしたものの、気を取り直してスプーンを取り上げ、九龍はカレーを口に運ぶ。

「うわ! 美味しい!」

「当たり前だ、カレーが不味い訳ないだろう」

「想像してたより、遥かに上品な味だけど、美味しいっ。……夕べ、あの後寝付けなくってさー。朝飯も昼飯もすっ飛ばして寝ちゃったから、物凄く腹減ってたんだよね。だから余計」

「何だ。目でも冴えちまったのか?」

ぱくぱくと、嬉しそうに食べ進める彼の様子を、我がことのように喜びつつも、甲太郎は、ん? と食事の手を止めた。

「まあねー。体は疲れてるのに、頭の方は興奮したまんまだったみたいで」

「…………思う処でもあったのか? ハンターなんだから、慣れてるんだろう? ああいうことにも」

「慣れてる訳ないじゃん。言ったろう? 俺は、ここが二度目の仕事のぺーぺーだって」

「ああ、そういう意味じゃない。その歳で宝探し屋なんかやってるんだし、トレジャー・ハンターギルドとかいう所に属してるし、銃器だって扱えるんだから、経験的にはぺーぺーでも、それなりの訓練は受けてるんだろう? って意味だ」

「え? そんなことないよ」

一度は留めた手を、酷くゆっくり動かし直す甲太郎に問われ、スプーンを銜えたまま、九龍はきょとんとした。

「そうなのか?」

「うちのギルドは、人材派遣会社とか、農協みたいなもんだ、って言ったじゃん。会員になる為には資格審査試験受けなきゃ駄目だし、三ヶ月から半年の研修とかもあるけど、試験はそんなに難しいもんじゃないし、研修だって、大抵の会社にそういうのがあるのと一緒だよ。唯、仕事内容がトレジャーハンティングだから、サバイバルのやり方ー、とか、緊急救命方法ー、とか、銃器の扱い方ー、とか、ロッククライミングー、とかが研修内容なだけでさ。それだって、俺達みたいなド素人同然です、な連中が受けさせられるだけだしね。軍隊じゃないんだから、戦闘に関することなんて、自分の身を守る為に最低限必要なことしかしないって」

「そういうもんなのか」

何言ってんの? とばかりに、カレーをぱくつきながら説明した九龍に、今度は甲太郎が、きょとん、と首を傾げる番だった。