『死』など、大したことでも何でもない。

死んでしまった人の代わりなど、お父様が幾らでも用意してくれる。

………………心の底からそう言うリカに、九龍は、酷く悲しそうに顔を歪めた。

「どうして、そんなお顔をするんですの?」

「…………リカちゃん。『死』って言うのは。『死』って言うのはさ……」

辛そうな顔をする彼に、リカは唯々不思議そうに目を丸くし、何をどう言ってやればいいのかも判らない風に、九龍は、『死』は……、と言い掛けては言葉を飲み込んだ。

「人の『死』ってのはな、そんなもんじゃない」

唇を開いては音にならない何かを飲み込む、それを彼が幾度も繰り返していたら、廊下の向こうから、コツコツと足音を立てて近付いて来た者──甲太郎が、リカの眼前で立ち止まって、底冷えのする眼差しで彼女を見下ろしながら、酷く淡々と言い放った。

「死んだ奴には二度と会えない。誰もそいつの代わりになんてなれない」

じっとリカだけを見据え、彼は、銜えた似非パイプに火を点ける。

「貴方の言うことが、リカには…………」

漂い出した、ラベンダーの香りする煙を無意味に目で追って、リカは困惑を露にした。

「お前は、本当に『死』の意味が解らないのか?」

「……嘘ですわ、そんなの……」

「嘘なんかじゃないさ。そうだろう、九龍?」

オロオロと、力無く『真実』を拒否する彼女から、甲太郎はふいっと視線を外し、九龍を見た。

「……………………うん」

「……お前も知ってるのか、その痛みを」

見詰められ、九龍は、リノリウム貼りの床へと目を落とし、甲太郎はほんの僅か、眉を顰め。

「一体何ですの? 急に出て来て訳の解らないことばかり言って……。そんなの……そんなの、出鱈目ですわっ」

リカは、困惑を憤りに掏り替えた。

「貴方達の言うことは全部出鱈目ですわっ! リカは、ちゃーんと知ってるんですの。死んだ人を死の国に迎えに行くことが出来るって、あの遺跡の中に書いてあったんですものっ」

「何……?」

「遺跡……?」

人は死んでも生き返る、それが真理であると叫び出したリカは、遺跡が、とも言い、甲太郎と九龍は顔を見合わせる。

「伊邪那岐の神様は、伊邪那美の神様が死んだ時、ちゃーんと死の国である黄泉まで迎えに行ったんですのよ。だから何れお父様が、お母様もベロックもお友達も、何も彼も全部、リカの所に連れ帰って来てくれるんですもの」

「お前……」

「リカちゃん、それは……」

「貴方達なんて、リカ、大ッ嫌いですわ。それでは、失礼しまぁす」

己が知る、遺跡の中に記されていたことが本当だ、ときっぱり言い切った彼女は、物問いた気な彼等を残し、一人その場より去った。

「もーー、訳判んないっ! どうしてあんなこと……────。……まさかあの子も、取手クンと同じ……?」

「多分、ね」

軽くスキップをするような足取りで廊下の向こうへ消えて行くリカを見送り、明日香は呻き、九龍は溜息を零して。

「……九龍。お前、死にたくなければあの遺跡のこと……。…………いや、今更言っても、か……」

甲太郎は九龍を説得し掛け、無駄だった、と苦笑する。

「………………御免、甲太郎」

「……嫌なんだよ。ツラ知ってる奴が死ぬってのは……」

心配して、そう言ってくれるのは嬉しいが、と又俯いた九龍に、甲太郎はボソっと吐くと、一人踵を返した。

「本当に、御免な、甲太郎…………」

去り行く背は、付いて来るなと物語っていて、九龍はその場に留まったまま、詫びだけを繰り返す。

「椎名サンが、取手クンと同じ執行委員なら、椎名サンの大切な物も、あの遺跡の中にあるのかな……。あの遺跡って、本当に何なんだろう………………」

「何なんだろうね。本当に、何なんだろう……」

「九龍クン。今夜も、遺跡に行くんでしょ? あたしに出来ることがあったら言ってね。力貸すからねっ! 皆守クンも、きっとそうしてくれるよ。九龍クンのこと、友達だと思ってるから、あんなこと言ったに決まってるもんっ!」

「……うん。有り難う、明日香ちゃん」

去り行く彼と、佇む彼とを見比べて、明日香は悲し気に洩らし、でも、自分に出来ることがあるなら! と九龍を励まして。

彼女に笑みを返して九龍は、鳴り響いたチャイムに背を押され、放課後がやって来た校舎を出るべく、教室へ向かった。

放課後の部活に勤しむ生徒達の姿が、校庭や体育館にちらほら見え始めた頃、マミーズの裏手に植わっている大木の上に、京一と龍麻はいた。

「しっかし、暇だなー……」

「することないねえ……」

前回の遅出勤務の際は、警備員室でのモニター番だった彼等は、今回は同じシフトの同僚達と入れ替わりに見回りに出ているのだが、ほんとー…………にすることがなく、木の上でのサボりの最中だった。

「幾らこの学園の敷地が広いったってよ、一周するのに何時間も掛かる訳じゃねえし、マミーズとか、せんせー達の住宅とか以外の施設は、警備員は立ち入れないと来りゃあなー。本当に、することないぜ」

「脱走しようとする子も、侵入しようとする奴も、ぜーんぜん、だしね。面白くない。体も鈍りそうだしなー」

「……言えてる。ここんトコ、暴れてねえからなあ。真神の旧校舎が恋しいぜ。………………あ」

太い枝に並んで腰掛け、足をブラブラさせつつ愚痴を垂れ、彼等はうんざり顔を拵えていたが、ふと。

京一が何かを思い付いたように、ニヤリとした。

「京一。まーた、碌でもないこと考えてる?」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。──ひーちゃん。どうせ暇なんだ、ちょっくら、例の遺跡に潜ってみねえ? 葉佩達の邪魔すんのも悪りぃと思って遠慮してたが、こうも暇じゃな。あそこ入るだけなら、ひーちゃんの体調も問題無いしな」

「遺跡かあ……。…………ま、興味無いって言ったら嘘かな。ちょーーーっと、あそこにいるって言う化人って化け物、どんなものか見てみたいかも」

「おっしゃ! 得物は『阿修羅』だけど何とかなんだろ。ひーちゃんも、手甲持ってるし。──行くぞー!」

「オーーー!」

ニタっと笑った彼が思い付いたことは、端的に言えば『憂さ晴らし』で、退屈で退屈で仕方無かった龍麻も、誠にあっさりその案に乗り、ひょいっと大木から飛び下りた二人は、いそいそ墓地へ向かった。

「……あれ?」

「皆守、だな」

久し振りに暴れられると、意気揚々、昼でも陰気な墓地へと踏み込み、地下へ続く穴を目指せば。

並ぶ墓石達の片隅に、一人佇んでいる甲太郎を二人は見付けた。

肩にラベンダーの花束を担ぎながら、向き合った墓石をじっと見下ろし、火の点いたアロマを銜える彼が、悲しんでいるような、怒っているような、憐れんでもいるような、酷く複雑な表情を湛えているのが見て取れたので、掛けようとした声を引っ込め、勢い二人は、木立の影に隠れる。

「あいつ、何やってんだ……?」

「さあ……。……墓参り、に見えるけど……」

「でもよ。この墓地に埋まってるのは、行方不明になった連中の持ち物なんだろ? それに花を手向けるってことは、行方不明になった誰かのこと、あいつは死んだと諦めてる、ってことだぜ? そんなタマじゃねえだろ」

「うん、そういうことになる、けど……。うーーん……、でもあれは、どう見ても墓参りとしか……。──あ、京一。黙って」

彼等が様子を窺っている内、甲太郎は、ひたすら見下ろし続けた墓石へ花束を添え、振り返りもせず墓地を出て行った。

──彼のプライベートに土足で踏み込むようで、申し訳ないとは思ったが、どうしても気になった京一と龍麻は、真新しいラベンダーの花束が手向けられた墓石に近付いた。

一体、誰の……、と二人はそれを見遣ったが。

そこには、何者の名も刻まれてはいなかった。