九月三十日の、午前零時になった直後。

「お疲れさん」

「手間取らせて御免」

シャワーを浴び、遺跡の埃を落としてさっぱりとし、ラフな部屋着に着替えた京一と龍麻は、ドライヤーを使い終え、洗面所から戻って来た壬生に缶ビールを放り投げた。

「いや。別に大した手間じゃないから。気にしないでくれていいよ、二人共。それにしても…………」

京一がパシリと投げたビールを片手で受け取り、家主達に倣いダイニングの椅子に腰掛けながら、壬生は唸る。

「何だよ」

「……あのタイプの異形は、僕も初めて見た。確かに、葉佩君という彼が言った通り、生物のようだね。それにしては禍々しいと言うか、余りにも陰と言うか……。…………いや、彼等が禍々しい陰のモノと言うよりは、あの遺跡そのものが、禍々しく陰なのかも知れない。──京一。龍麻。君達は、葉佩君のことがどうしても気になるからと、それだけの理由でここに来たのだろうけれど……ひょっとしたら、酷く厄介なことに首を突っ込んだのかも知れないよ」

「脅かしっこなしだよ、壬生。……まあ……正直なトコ、あの遺跡に初めて下りた時は、うわー、って思ったけど」

よく冷えたビールを飲みながら、壬生は深く考え込む風に語り、あはー、と龍麻は曖昧に笑った。

「兎に角。君達に連絡を貰って来てみたけれど、あれが何なのか、僕にも解らない。『良くないモノだ』、それだけは言えるけれどね。だから……余り関わり合いにならない方がいい。それに…………ここだけの話だが、この学園には、うちの異端審問官も潜入している最中だ。その者達からは未だに、天香遺跡に関する詳細な報告は上がっていないんだよ。……と言うことは、あそこはそれだけ手強い、ということになるから」

「まーまー。彼のやろうとしてることに、積極的にちょっかい出そうとは思ってないから平気だって。あれは彼の仕事で、彼の戦いだしね。…………けど、一寸不思議だなあ」

「何がだい? 龍麻」

「だって、壬生達の所は、退魔に関してはかなり優秀なんだよね?」

「……? ああ。そうだよ」

「そんな優秀な組織に、今まで正体さえ掴ませなかった遺跡なのに、何で葉佩君は、俺達も今夜倒してみたあの巨大な化人のいた部屋まで辿り着けたんだろう。M+Mでさえ、今まで化人の存在を掴めてなかったのに。…………葉佩君自身、宝探し屋になったばっかりだ、って言ってたし、この数日、毎日色んな話をしてみたけど、どうしても、戦うこととか諸々含めて、凄腕ハンターとは思えなかったんだよね。彼には悪いけど。…………何で、彼なんだろう。何で彼は……」

暗に、この件から手を引け、と言って来た壬生の忠告をさらっと躱し、龍麻は首を捻った。

「…………もしかしたら、だけどよ」

すれば、早くも二本目のビールを開けながら、京一が口を開く。

「何?」

「ひょっとしたらって奴だが……あいつが、『生徒』だからじゃねえのか? ロゼッタはどうか知らねえけど、壬生んトコの連中は、どう足掻いても学生に化けるにゃ無理がある連中ばっかなんだろう? …………俺等ん時のこと、思い出してみな。あの時も何でか、『力』を得たのは全員、高校生だった。葉佩が、生徒としてここに潜り込んだから、それだけが理由じゃねえにしても、理由の一端ではあるかもな。生徒として、学園生活を送ってみなけりゃ見えて来ねえ何かが、あの遺跡の奥に進むにゃ必要なのかも」

「それは、一理あるかもだけど……。だとしたら、一つ解らなくなることがあるよ。葉佩君が、ロゼッタは過去にも、お抱えハンターを潜り込ませたことがある、って言ってたの憶えてない? 学生としてだったり教職員としてだったり、それはまちまちだったらしいけど、少なくとも葉佩君より以前に、学生としてここに潜り込んだ人はいる。でも、その人達は全員、帰って来なかった。葉佩君は、ロゼッタが寄越した資料には碌なことが書いてなかった、とも言ってたんだから、京一の言う通りなら、過去に学生として潜り込んだ人も、或る程度までは中を探索出来てなきゃおかしくなるのに、実際は、そうじゃない」

──葉佩九龍が『学生』だから。

それが、疑問の答えではないかと言う京一に、龍麻は首を振った。

「……手掛かりが少な過ぎるね。何を考えるにしても、全てが足りない。……何にせよ、厄介なことに巻き込まれて抜き差しならなくなる内に、葉佩九龍という彼のことは、忘れた方が正解だと思うよ。僕はね」

腕を組み、うーむ、とひたすら知恵を絞る京一と龍麻を見比べ、壬生は再びの忠告をすると、表情一つ変えず、立ち上がった。

「そろそろ、僕は帰るよ。又、何か遭ったら何時でも呼んでくれて構わないよ」

「あ? もう帰んのか? もっとゆっくりしてきゃいいのに。──本当に、悪かったな、壬生」

「有り難う。それじゃあ、又。気を付けて帰って」

「監視カメラの届かない抜け道は教えて貰ったんだから、大丈夫さ。──それじゃ、二人共お休み」

未だ、コートを翻すには早い季節なのに、壬生は、玄関先に掛けておいた黒いそれを羽織って帰って行き。

「……もしかして、葉佩君も未だ、色々俺達に隠してることあるのかな?」

「かもな。俺達だって、あいつにゃ言えねえことがあるんだ、向こうには向こうで、言いたくない話もあんだろ」

色々諸々を考えるには、壬生が言う通り、余りにもヒントが足りないよなあ……、と彼を見送った龍麻と京一は、もう一寸呑もうと、ダイニングへ戻ろうとした。

「………………あれ……?」

「ひーちゃんっ!?」

だがその時、ふらっと龍麻の体が傾ぎ、各部屋と続く廊下の直中に踞り掛けた彼を、慌てて京一は支える。

「大丈夫か、ひーちゃんっ! おい、龍麻っ!」

「な、んだろ……。急に来た……。何か一寸、陰気みたいなのが増して……又、誰かの心臓の音みたいな…………。…………ご、めん……。御免、京一、気持ち悪い…………」

「動けるか? それとも、暫くここでじっとしてるか?」

「……ここにいる…………。うぇ…………」

口許と胸許を押さえ、次第に弛緩して行く体を抱き抱えた京一にされるがまま、床に座り込んだ龍麻は、ぐったりと壁に凭れた。

「初日以来ずっと平気だったから、もうどうってことないって思ってたんだけど……。御免、京一…………」

「黙ってろ。気持ち悪いんだろ? …………ほら」

体調がこんな風になる度、本当に申し訳なさそうに、御免、とだけ繰り返す彼に京一は不機嫌そうに言い、力無い体を胸に収めた。

両腕に意識を傾け、ふわ……、と湧き上がる己が陽氣で京一が彼を満たしてやれば、龍麻は緩く目を閉じる。

どうしようもなく辛そうに。そして、どうしようもなく哀しそうに。

けれど、そんな彼の為に京一がしてやれることは、己の、真夏の太陽の如くな氣を乗せて、抱き締めてやることのみだった。