その悲しみから救い出すこと叶わぬ無力な己にそれでも出来ることは、最愛の一人娘を悲しませないことだと、その一心で、死したるモノは、決して生き返りはしないのだ、という現実をひたすらに隠し通した、それが、リカの父の在りし日の姿だった。
だが、彼女に『真理』を教えようとしていた彼の愛妻──リカの母が亡くなった時、父はとうとう、人の身も焼く炎のような、痛みを伴う現実を彼女に伝え、一度はそれを受け止めたものの、どうしても寂しくて……大好きだった母が恋しくて、リカは、父が教えてくれたことも、母は二度と戻らぬことも、己の中より消し去る道を選んだ。
《生徒会執行委員》となり、《力》を得、とすることで、彼女は、悲しみの全てを。
その道を選ぶ切っ掛けが何だったのか、何時執行委員となったのか、取手のように、その前後の詳しいことは彼女も思い出せなかったが、九龍に倒された化人が消滅した後に残った宝物のオルゴールと、忘れ去っていた全てを取り戻すことは出来て。
「黒い砂のようなものが、リカの弱い心ごと大切なものを奪って行ったんですの。それを、貴方が取り戻してくれた…………。……葉佩君。貴方はリカを、独りぼっちにしない?」
「……俺には、多くは誓えないけど……リカちゃん。お友達になろうっ!」
「まあ……、お友達、ですか? 素敵ですのー。葉佩君の傍は、何だかとっても暖かくて居心地が良さそうですの。安心出来そうですの……」
今宵の全ての戦いが終わった後、取手がそうだったように、彼女も又、己の《宝》と記憶を取り戻してくれた九龍に救われたから、今度は自分が九龍の役に立ちたい、と告げ、今後の協力を申し出、プリクラとメルアドを渡して来た。
「有り難う、リカちゃん」
リカちゃんも女の子なんだけど……まあ、いいか……、と礼と共にそれを受け取り、職員の友人の所に行って風呂を借りるが一緒に行くか? と彼女と明日香を九龍は誘ったが、もう日付も変わったこんな時間、男の人達の部屋にお邪魔するのは、と少女達は遠慮したので。
「風呂なんか、今日はもうどうでもいい。俺は帰って寝たい」
「まーまーまー。いーじゃん。思ったより早く終わったんだから、付き合ってよ」
渋る甲太郎を引き摺って、彼は警備員のマンションへ向かった。
これまでカイロで暮していたので、彼には毎晩湯船に浸かる習慣はないが、『日本の風呂』は、今回の仕事の秘かな楽しみの一つでもあったし、何より今宵は、一人きりでいたくなかったから。
限界を迎えるまで、誰かを巻き込んででも起き続けて、気を紛らわしていたかったから。
────『アニメ壷』化人と戦っていた最中、幾度か、戦闘開始直後のように、眠たくて躓いたとか、ぼーっとしていたら蹌踉けたとか、そんな理由を口にして、甲太郎は九龍の『邪魔』をした。
その度に、ぎゃいのぎゃいの、九龍は文句を言ったけれど、それは決して本心ではなく。
甲太郎がしたことは、不可抗力の『邪魔』でなく、化人の攻撃から自分を庇う為のそれだ、とも気付いていた。
だから、この四、五日は敢えて考えないようにするだけで済んでいた甲太郎の正体を、彼は思い煩わずにはいられなくなってしまった。
…………自身が避けるだけなら未だしも、他人に化人の攻撃を避けさせるなんて、簡単に出来ることじゃない。
況してや、うっかり足を引っ掛けたとか、蹌踉けて肩を押してしまったとかいう言い訳が、傍目には通じる程然りげ無く見えるレベルでそんなことをしてみせるなんて、『普通』とは思えない。
最初の内は自分だって、「邪魔しちゃ駄目じゃないの!」と甲太郎を叱っていた明日香のように、たまたま足を引っ掛けられたら、たまたま肩を押されたら、偶然、化人の攻撃を避けられただけだと思っていたけれど、そんなことばかりが繰り返されれば、怪しく感じる。疑いもする。
……甲太郎は、何者なのか。
もしかしたら彼も、《生徒会》と関わりがあるんじゃないか。
鎌治やリカのように、人ならざる《力》を持っているんじゃないか。
だとしたら彼は、単に親切で自分に近付いたのではなくなって、なのに、極力然りげ無く、自分を庇ってくれる。
本当に甲太郎が《生徒会》と関わりがあるなら、あの場所を侵す自分など、倒されてしまった方が余程、彼や『彼等』の望みに叶うだろうに…………。
「……解んないよ…………」
────唯一人、悶々とそんなことを考えずにいられなくなってしまった九龍は。
京一と龍麻の部屋へ向かう道すがら、ぽつり、独り言を洩らした。
「解らない? 何が?」
「ん? あの遺跡はやっぱり、何だかよく判らないなあ、って思ってさ。それだけ」
「…………そうだな……」
無意識に音にしてしまった呟きは甲太郎に拾われて、どうした? と気遣わし気に顔を覗き込まれ。
九龍は彼を誤摩化した。
──……彼の瞳に宿る、己を気遣う色は、嘘ではない。…………嘘ではないと思いたい。
きっと……きっと甲太郎には甲太郎なりの理由があって、『本当のこと』を告げられぬだけなのだと思いたい。
それに、彼は嘘なんか吐いていない。言葉が足りないことを、嘘とは言わない。
…………でも。
もしかしたら『そう』かも知れない『正体』に逆らって、彼が自分を助けようとしてくれているなら。
もっと、『上手』にやればいいのに。
甲太郎のやり方は、余りにも『優し』過ぎて、余りにも不器用過ぎる……、と。
彼の瞳を見詰めながら、九龍はひっそりと、泣きそうに笑った。
「……九龍?」
酷く曖昧に彼の面が歪んだことに、甲太郎は眉を顰めた。
「あの遺跡。あそこは、何だかよく判らないけど。俺はね、あそこはやっぱり『墓』なのかなあ、って思って来たよ、甲太郎」
だから、ひたすら彼を誤摩化す為に、九龍は少々不自然に、遺跡の話を続ける。
「ふん……。……あそこが墓だとしたら、一体誰が眠ってるってんだ?」
「誰が、じゃなくてさ。…………あそこは……あそこは、『墓』だ。色んな人の記憶が眠る、『想いの墓場』。……寂しい墓だよね」
「…………そんな、上等なもんじゃないさ。単に、古臭くて黴臭くて、冥いだけの遺跡だ」
──あの遺跡は、『想いの墓場』だ。
そう九龍が言えば。
甲太郎は、詰まらなさそうにアロマを銜えた。
一時間程が過ぎた頃だろうか。
……廊下の直中に、京一は龍麻を抱き締め、龍麻は京一に抱き締められ、二人踞ってから、一時間…………程。
「……あ、消えた…………」
強い不快感を与えて来る龍脈の乱れが収まったと、龍麻は京一の胸許を軽く押した。
「有り難う、京一。もう平気……」
「大丈夫なのか?」
はあ、と溜息を付いて凭れていた体を起こそうとする彼の仕草に、京一は腕の力を少しだけ緩めた。
「……うん」
そうしながらも、自分を離そうとしない彼に、龍麻は秘かに苦笑する。
「何か…………御免、本当に。何時も何時も…………」
「…………どうしてお前はそうやって、詫びばっか言うんだよ」
自嘲のような笑いと、又繰り返された謝罪に、京一は、僅か声を荒げた。
「だって、さ」
「だってとか、でもとかも、俺は聞きたくねえ。…………なあ、ひーちゃん。──龍麻。そんなに俺は、頼りねえ?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、何なんだよ」
この絡みの話になると、どうしたって俯き加減になって、声を潜め、詫びばかりを告げて来る彼に、京一は苛立ちを感じていた。
……本当は、彼や、彼の態度に苛立っているのではなく、絶対の存在である彼を、そんな風にしてしまう己自身に苛立ち、腹を立てているのだと解ってはいるのだが。
自分達の関係が変わってしまってから一年半も時は流れ、けれど未だに出口は見えず、龍麻に告げるべき『正しい言葉』も掴めない処か、何時まで経っても己の心すら掴めなくて、なのに、龍麻の想いがどう在ろうと、誰よりも、何よりも大切な、己にとっての絶対の存在である彼の傍らを離れるつもりなど更々ない京一は、間違っていると判っていても、苛々と毛羽立つ感情を抑えられず。
「何なんだよ、って言われても……。……唯、本当に、御免って言うしか、俺には思い付けなくてさ……」
「だから、謝るなっ!! お前が悪いんじゃないっ!」
……彼は、今度こそ本当に声を荒げ、龍麻の両の二の腕を、思い切り掴んだ。